15日に東京都渋谷区の自宅で死去した女優の樹木希林さん(本名・内田啓子)さん(享年75)の告別式が30日、光林寺(東京都港区)で営まれた。弔辞では、樹木さんと文学座附属演劇研究所1期生の同期だった俳優の橋爪功さん(77)が、樹木さんが出演した映画「万引き家族」「海街diary」などを手がけた是枝裕和監督の手紙を代読した。
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手紙は「告別式の場で、直接、お別れの言葉を告げられない非礼を、おわびさせてください。希林さん、ごめんなさい。もしかすると、私がその場に現れて、涙声でお別れを語ることなど、希林さんは全く望んでないかもしれない。私のシャツの肘のあたりをつまんで、『陰気でもないのに、何で悲しそうな顔してるのよ』といたずらっ子のように私をのぞき込む姿が浮かぶ」とつづられていた。
「希林さんが重い病を抱えていた以上、いつかはこの日が来ると覚悟していましたが、こんなに急にお別れを告げなければいけなくなるとは思っておらず、途方に暮れています。ずいぶん前に実の母は他界していますが、2度、母を失ったような、今はそんな悲しみの沼の中にいて抜けられそうにありません。それだけ私にとって、あなたの存在は特別だったのだと思います」と続く。
「希林さんと私が初めてお会いしたのは2007年のことです。まだ10年ちょっとの付き合い。私が語れるのはあなたの人生、そして役者としての長いキャリアの最後の数ページに過ぎません。弔辞を読む大役を担う資格があるのか、心もとない限りですが、悩んだ末、お引き受けしました。今、弔辞を読んでいただいている橋爪功さんは、希林さんとは文学座附属演劇研究所の同期で旧知の間柄。一度、夫婦を演じていただいたのですが、掛け合い漫才のような言葉の応酬、50年を超える歳月で培われた人間性や芝居に対する尊敬がにじみ出ていて心の底からうらやましかった。そんなやりとりができるような対等な関係になりたいと思いました。その願いは、かなわずじまいでしたが、橋爪さんに弔辞を代読していただくことで、少しだけ2人の間に割り込ませていただいたような、うれしい錯覚をしています」と続く。
「希林さんと私とは、およそ20歳の年齢差があります。2人の関係は、失礼を承知でいうとウマが合ったということに尽きるのではないのかと思います。そして何より出会いのタイミングにご縁があった。07年は私が『歩いても 歩いても』という母を描いた映画の準備をし始めたところ。希林さんは、その前年に盟友(樹木さんが出演したドラマ『寺内貫太郎一家』『ムー』『ムー一族』などを手掛けた演出家)の久世光彦さんを亡くされていました。久世さんが存命だったら、共に作品を作る演出家として私を選び導いてくれたかと、時折、そんな考えが頭をよぎりました。久世さんがドラマ化しようとして実現できなかった『東京タワー ~オカンとボクと、時々、オトン~』のオカンの役を映画で演じられたときの経緯を考えると、あなたが果たせなかった思いのようなものを感じずにいられません」とつづられていた。
是枝監督は、自身がメガホンをとった「海よりもまだ深く」で、樹木さんがオファーを快諾しなかった過去に触れながら、「昨年の春。『万引き家族』の脚本ができていないのに、出演をあっさり引き受けてくれたことに、不可解さを感じていました。撮影が終わり、あなたから、がんの転移を示す黒い小さな点が全身の骨に広がった画像を見させられました。寿命は年内がめどだと告げられており、『あなたの作品に出るのは、これでおしまい』と言われた。映画が6月8日に公開され、その日、あなたは私に『もう、おばあさんのことを忘れて、若い人のために(時間を)使いなさい。私はもう会わないからね』と言いました」と続ける。
「そして、その言葉通り翌日からいくらお誘いしてもかたくなに断られ、うろたえました。あなたほど覚悟ができていなかった。骨折をされたときに、直接自宅に、あなたへの感謝をつづった手紙を投函(とうかん)しに行きました。独りよがりでとても恥ずかしいものでした。あなたはあっという間に旅立たれてしまった。それから3カ月ぶりに会ったあなたは、りんとした穏やかな美しさに包まれていました。あなたが会おうとしなかったのは、私があなたを失うこと、そして悲しみを引きずらないようにするための優しさだと気付きました」とつづっている。
是枝監督は、樹木さんが亡くなった9月15日が実母の命日だと明かしながら、「樹木希林さん、15日は私の母の命日でもあります。母と別れた日に、こうしてまた母が出会わせてくれたあなたとお別れする巡りあわせが、私の寂しさをひときわ、耐えがたいものにしています。でも母が亡くなったことを、何とか作品にしようとしたからこそ、希林さんと出会えたことは間違いないのです。残された私は、あなたを失ったこと、そしてその悲しみを、同様にまた何とかして別なものに昇華しなくてはいけない。それが、ほんの人生の一時を共に走らせていただいた人間としての責任だろうと思う。私のようなみなしごを拾い、そばに置いてくれた愛情を注いでくれた、あなたへの恩返しだと思っています。希林さん、私と出会ってくれてありがとうございました。さようなら。2018年9月30日、是枝裕和」と締めくくった。
告別式後に取材に応じた橋爪さんは、樹木さんについて「しょっちゅう会ってはいないけど、年齢が近いこともあり、仲が良かったですよ」と振り返った。「どんな方でしたか」と聞かれ「難しい方でした。謎のような方でした」としのんだ。
また、女優の安藤サクラさんが、オノ・ヨーコさんのメッセージを代読した。「あなたのように頭がキレる人は、日本ではあなた以外に知りません。(内田)裕也さん、さぞかしショックでしょう。ご自分の体を守って頑張ってください。私も(夫の)ジョン(・レノン)を失ってから、それがどのくらい私の息子のショーンに影響を与えたかということに、気が付きませんでしたが、ショーンは父親がいないことをとても強く感じていました。ほかの人のために自分を大事に。樹木さんと裕也さん、アイラブユー! ヨーコ」という内容だった。