未来のミライ:世界で受け入れられる理由 齋藤優一郎プロデューサーが語る細田守作品

劇場版アニメ「未来のミライ」について語った齋藤優一郎プロデューサー
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劇場版アニメ「未来のミライ」について語った齋藤優一郎プロデューサー

 細田守監督の最新劇場版アニメ「未来のミライ」が、2月に発表される「第91回アカデミー賞」の長編アニメーション映画賞にノミネートされた。前哨戦となる第76回ゴールデン・グローブ賞でもアニメーション作品賞にノミネートされるなど、海外で高い評価を受けている。なぜ今作が世界で受け入れられているのか。「スタジオ地図」の齋藤優一郎プロデューサーに話を聞き、その理由を探った。

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 「未来のミライ」は、生まれたばかりの妹に両親の愛を奪われ、戸惑う4歳児のくんちゃんが、未来から来た妹のミライちゃんと出会い、時を超えた冒険に旅立つ……というストーリー。声優として、くんちゃんの声を上白石萌歌さんが演じたほか、黒木華さん、星野源さん、麻生久美子さん、吉原光夫さん、宮崎美子さん、役所広司さんらが出演した。ブルーレイディスクとDVDが23日にリリースされた。

 ◇細田作品は「自分の写し鏡のようだ」

 「未来のミライ」は国内の映画賞だけでなく、海外でも数々の賞を受賞したりノミネートされている。細田作品がこれほど広く世界に受け入れられる理由はなんだろうか。齋藤プロデューサーは「細田さんの映画は、特殊な人間、ありえない人物設定で物語を作っているわけではなくて、自分たちに似た人、自分たちの隣にいる人が主演になりえるような、自分の人生の一片かもしれないと思えるような日常の中で、面白さだったり、問題意識を持って描いていると思うので、自分の人生に置き換えることができるんです」と力を込める。

 細田作品を見た外国人から「(自分の)写し鏡のようだ」という反応があったという。例えば「おおかみこどもの雨と雪」(2012年)に出てくる剣岳が、フランス人には「アルプスに見えた」と。齋藤プロデューサーは「見た人が住んでいる場所、人生によって見え方が変わるんです」と語る。

 「見た人が現在、どう生きているのか、もしくはこれからどう生きていくのかということにシンクロしてしまう。そこが細田さんの作品の面白さであり、他にないものなのではないかな」と分析する。

 「未来のミライ」も、観客の反応に「誰もが自分は(主人公の)くんちゃんなんだ、と自分の映画だと思える。自分の日常の延長線上にある作品だと思っていただける」という実感を得た。

 ◇公開時の反応は…

 「未来のミライ」は昨年の公開時には賛否両論があったのも事実だ。それについては齋藤プロデューサーは「何も起こらない映画じゃないですか。大恋愛も大災害も大冒険もなくて、ただ日本の片隅にある小さな家族の日常、中でも4歳の子供と0歳の赤ちゃんの成長というものを淡々と描いているにすぎない」ゆえの観客の戸惑いだったのではないかと推測する。だが、「だからこそ、日常にある大切さというか、日常のきらめきとか、奇跡のようなものを、それぞれの国の皆さんが見つけていただいたんじゃないかな」という手応えも感じた。

 細田作品についての反応は「日本も海外でも、面白いと思ってくれる方の反応は大きくは違わないと思っているんです。当然カルチャー(文化)の違いだったり、その国の社会の変化だったりはあるんですけれど、細田監督が常に描いている家族の中に起こっている喜びや問題意識というのは、世界中どこの家族の中にも起こっている」と考えている。そして「映画を通して世界中の人々と共有したい、地球の裏側の人たちにも面白いと思ってもらえるような作品を作りたいという気持ちで製作しているんです。特に『未来のミライ』はすごくシンプルな話なので、よりダイレクトに楽しんでいただけたんじゃないかと思います」と世界で受け入れられる理由を分析した。

 ◇次回作は3年後?

 細田監督は09年に「サマーウォーズ」、12年に「おおかみこどもの雨と雪」、15年に「バケモノの子」、18年に「未来のミライ」と3年おきに作品を発表してきた。だとすると、次回作は21年公開になるのだろうか。齋藤プロデューサーは「これまで3年おきだったので、そう言われるんですけれど、今は『考え始めています』という感じです」とだけ答えた。「ただ常日ごろ、細田さんと話をしている中で、細田さんも50歳過ぎましたし、『未来のミライ』という作品で作家としてのフェーズも大きく変わったので、きっと誰も見たことのない作品を考えてくるんじゃないかと思っています」と期待を寄せる。

 齋藤プロデューサーは「50歳になっても60歳になっても細田さんはチャレンジャーであり、変化し続ける作家だと思います。おそらく3年後、もしくはそれになるべく近いところで新しい作品を皆さんにお届けできたらいいな、と思いますけれど」と語った。

 ◇齋藤Pの4歳のころは…

 ところで、齋藤プロデューサーがくんちゃんと同じ4歳のころはどんな子供だったのだろうか。「モンチッチのぬいぐるみをずっと引きずって歩いていました。妹にいつもいじめられていたので、弟が欲しいなと思っていて、弟の代わりにしていたと思います(笑い)。大きくなってから捨てろといわれたんですけれど、泣いて嫌がったという。モンチッチを通して、くんちゃんのように違う世界に行って、バイクに乗ったり、空を飛んだりしていたんだと思います」と思いをはせていた。

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