小野憲史のゲーム時評:デジタル流通で見えたレーティング制度の問題と今後

 超硬派のゲーム雑誌「ゲーム批評」の元編集長で、ゲーム開発・産業を支援するNPO法人「国際ゲーム開発者協会日本(IGDA日本)」元代表の小野憲史さんが、ゲーム業界の現在を語る「小野憲史のゲーム時評」。今回は、国別に異なる基準で運用されるレーティング制度について語ります。

ウナギノボリ

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 前回のコラムでは家庭用ゲームにおけるデジタル流通の割合増加について論じた。この傾向は不可逆的であり、次世代ゲーム機ではパッケージ流通とデジタル流通の割合が逆転することは確実だと思われる。もっとも、デジタル流通によって新たな問題も発生する。ゲームの表現内容に応じて年齢別の等級を設けるレーティング制度は、その代表的なものだろう。

 現在、家庭用ゲームには世界中でさまざまなレーティングが存在し、内容が事前審査された上で発売されている。ただし、これらは既存流通を前提とした仕組みで、デジタル流通時代にはそぐわなくなってきている。クリック一つで世界中に配信したい事業者側と、国や地域別の文化・風習とで、摩擦がおきるからだ。実際、日本と欧米では暴力・性的表現の規制基準に違いがあることが、良く知られている。

 こうした中、PS4で発売されたアドベンチャーゲーム「The Last of Us Part II」「ゴースト・オブ・ツシマ」は、興味深いケーススタディーとなった。前者は復讐がテーマの冒険譚(ぼうけんたん)で、後者は元寇がテーマの歴史アクション。開発はともに米国の会社で、激しい肉弾戦や暴力シーンが頻発する。そのため北米では「M」区分(17歳以上対象)だが、日本では「Z」区分(18才以上のみ対象)で発売されている。

 ただし両作品とも、いたずらに暴力を賛美しているわけではなく、ゲームのテーマに適切に落とし込まれている。一方で前者は「Z」区分を取得するため、内容の一部が削除・修正された。そのためネットではオリジナルと同じ内容で遊べないことに、不満を示すゲームファンもみられる。中には北米版のアカウントを取得し、オリジナル版をダウンロード購入して遊ぶファンもいるほどだ。

 このように利用者が国や地域を偽ってアカウントを登録する行為を、発売元のソニー・インタラクティブエンタテインメントは、利用規約で禁じている。ただし運用の徹底が難しく、半ば黙認せざるを得ないのが現状だ。一方でこうした行為は、ユーザーが関連ダウンロードコンテンツを購入する際、トラブルが発生する遠因になりかねない。誰にとっても望ましい状況ではないのは、明らかだろう。

 なお、こうしたレーティングを巡る摩擦は、ゲームだけに限らない。米アマゾンでは今年に入り、日本のライトノベルやマンガの発売停止が相次ぎ、出版社側が抗議する事態となった。いずれも電子書籍で、「俺の妹がこんなに可愛いわけがない」(マンガ版)などの有名タイトルが含まれる。米アマゾンは発売停止の理由をあきらかにしていないが、一部の作品に見られる性的表現が理由だとみられる。

 その上でゲームについては、技術革新がレーティングの発足につながった経緯がある。年末にPS5の発売を控える中、ゲームの表現力がさらに増すことは確実だ。一方で開発費のさらなる増加も予測される。開発費を回収するためには、海外展開をさらに進める以外にない。その結果、国別・地域別のレーティングと摩擦が発生し、一部のファンが不満を抱く流れが進むおそれがある。

 そこで提案したいのが、レーティングの弾力的な運用だ。ゲームの販売自体は従来通りのレーティングで行う。必要に応じて内容の削除や修正も行う。その上で希望者に対しては、作り手側の意図や内容の理解を前提とした上で、オリジナル版の提供や、追加パッチなどの配信を行うのだ。そのためにはレーティングのさらなる啓蒙や、ペアレンタルコントロールの推進といった施策も必要だろう。

 重要なことは、それぞれの国や地域のユーザーが、お互いの文化や風習を尊重しながら、自分に合ったゲームを楽しめる環境の整備を進めることだ。デジタル流通の進展で、そうした世界が可能になりつつあるのだ。ゲーム開発の敷居が低下する中、こうした取り組みはクリエーターの倫理教育の推進にも役立つ。レーティングを否定するのではなく、レーティングを前提とした多様性の推進を期待したい。

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 おの・けんじ 1971年生まれ。山口県出身。「ゲーム批評」編集長を経て2000年からフリーのゲームジャーナリスト。2008年に結婚して妻と猫4匹を支える主夫に。2011~2016年に国際ゲーム開発者協会日本(IGDA日本)代表として活躍。退任後も事務局長として活動している。

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