神木隆之介:“三つの転機”と今明かす18歳の「決断」 将来を「みんなと同じようにちゃんと悩んだ」

デビュー25周年アニバーサリーブック「おもて神木/うら神木」を発売した神木隆之介さん
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デビュー25周年アニバーサリーブック「おもて神木/うら神木」を発売した神木隆之介さん

 デビュー25周年を迎えた俳優・神木隆之介さんのアニバーサリーブック「おもて神木/うら神木」(アミューズ)が9月25日に発売された。神木さんの25周年プロジェクトの一環で、俳優としての「おもて」と、27歳の一人の男性としての「うら」と、二つの面から神木さんをひもとく2冊組。各種インタビューや対談、メッセージなど、神木さんが25年の間で関わってきた人たちの“証言”を数多く収録し、神木さん発案による実の母親へのインタビューもある。「一言で言えば幸せ。おこがましいんですけど、皆さんから僕へのプレゼントのように思えて。または卒業アルバムの寄せ書きのような。発売を一番、楽しみにしていたのは僕かもしれません」とうれしそうに笑う神木さん。この機会に25年間の“転機”について語ってもらった。

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 ◇“転機”となった出会い 三池崇史監督、「ブラッディ・マンデイ」の…

 神木さんは“転機”として三つの出会いを挙げてくれた。一つ目は2005年公開の主演映画「妖怪大戦争」でメガホンをとった三池崇史監督、二つ目が連続ドラマ「ブラッディ・マンデイ」シリーズ(TBS系)の“Season2”(2010年)で演じたホーネット(藤代壮太)役、そして、三つ目が2012年公開の映画「桐島、部活やめるってよ」だ。もちろん、25年間には、それ以上に多くの出会いがあり、それぞれが転機になったはずだが、特に大きかったのが、10代で経験したこの三つだったという。

 神木さんは「三池監督は、それまで演じることがただただ楽しいってやってきた僕に、『魂を削らないとできないものもあるんだ』ってこと、役に向き合って、全身、全細胞を役にささげる、注ぐっていうことをちゃんと教えてくれた人。それが『妖怪大戦争』のときで、半年くらいずっと撮影してましたので、すごく大きい経験をさせてもらいました」と振り返る。

 三池監督は当時10~11歳の神木さんに対して、厳しい言葉を投げかけると共に、一人の俳優として見てくれて、ちゃんと向き合ってくれた大人でもあった。「これは僕の願望も入っているのですが、当時の僕を見て『こいつなら、もっと良くなる』って三池監督は思ってくれたから。現場では『ちげーよ、お前! もっとこうだって!!』『もっと! もっと!!』って大声張り上げて熱血指導してくださって。だからこそ、僕も思いっきり、恥とか捨てて、全身全霊を注ぐってことを身につけることができましたし、三池監督の褒め方って全然素直じゃないんですけど、それが素直に聞こえてくるくらいすごく愛情を感じて。頑張ろうって思いましたね」としみじみする。

 一つ目の「妖怪大戦争」と三池崇史監督が「演じるということとは?」という、ある種の原点を教えてくれたなら、二つ目の「ブラッディ・マンデイ」のホーネットは、役作りへのアプローチの話となる。神木さんは「役って、内面的なことだけじゃなく、もっと外見的に、動きで表現できるものなんだなって、表情とか、行動とか。そういう技術的なことで作れるものなんだって学べたのが、『ブラッディ・マンデイ』のホーネット。そこから役作りがすごく楽しくなりました」と明かしている。ちなみにホーネットは2話のみ登場のキャラクターで、膨大なフィルモグラフィーを誇る神木さんにとって少々意外な気もするが、それだけ印象深い役どころだったということだろう。

 ◇「桐島」にクギ刺された? 撮影時は高校3年 「選ぶのは自分だぞ」って

 そして三つ目の「桐島、部活やめるってよ」だ。「撮影しているときは高校3年生、公開したときは卒業して、大学に進まず(俳優として)頑張ってやっていこうってときだったので、本当に“ブーメラン”のような作品。『お前、本当に後悔しないのか?』『選ぶのは自分だぞ』って言われているような気がして……」と神木さんは話す。

 続けて「『まいったな~』って思いましたね。自分が出た作品、無意識にやっていた役にまさか自分がクギを刺されるなんて……」と当時を思い出し苦笑いする神木さん。そのわけは「(学生と俳優の)二足のわらじじゃなく、この仕事一本でやっていこうっていうのを、決して軽いノリで通過せず、ちゃんととどめてくれた」作品でもあるからだ。

 さらに、神木さんは「同い年のみんなと同じように進学するべきか、しないなら役者一本でやっていくことは本当に可能なのかどうか。ほかのみんなが将来について考えるのと同じように、一人の人間として、ちゃんと自分で考えろって言われているような気がして。みんなと同じようにちゃんと悩みました」と振り返ると、「周りの人たちからしたら、僕が進学せず、役者一本でやっていくことを決めたとき『当然』と思ったかもしれません。実際に高校の最後の面談で先生に『僕は大学に行かずに、役者として頑張っていこうと思います』と告げたら、『最初からそうだと思っていた』と言われましたから。ただ、僕にとっては大きな決断。みんなと同じようにちゃんと悩んで決めたことなので。その悩む手助けを、さらにもっと悩むように仕向けたのが『桐島』。人間的にありがたい作品になったなって」と語ってみせた。

 改めて自分が選んだ道について、神木さんは「楽しいだけの、そんな甘い世界じゃないですし、このお仕事をしてお金をもらっている以上、その責任もある」と前置きした上で、「仮に、役者一本でやっていくっていう意志が早くに固まっていたとしても、18歳のあの時点で考え直さなくてはいけなかったと思います。結果や答えが一緒だとしても。だから本当に『桐島』という作品に出会えて、悩めたことは僕にとっての財産です」と結論づけていた。

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