橋田壽賀子さん:95歳で死去 「おしん」「おんな太閤記」「渡鬼」脚本 石井ふく子、泉ピン子が追悼コメント 

橋田壽賀子さん
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橋田壽賀子さん

 「渡る世間は鬼ばかり」(TBS系)シリーズなどで知られる脚本家の橋田壽賀子さんが、急性リンパ腫のため死去したことが4月5日、明らかになった。橋田さんは今年2月下旬、東京都内の病院に入院し治療に専念。3月中旬に静岡・熱海市内の病院に転院していた。4月3日、同市内の自宅に戻り、翌4日、静かに息を引き取ったという。95歳だった。

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 橋田さんの遺志により通夜、告別式は執り行わないといい、お別れの会などの予定もないという。

 橋田さんは、1964年にTBS東芝日曜劇場「袋を渡せば」の脚本でデビュー。以来、約55年にわたり、テレビドラマの脚本家として活躍。1983年度のNHK連続テレビ小説(朝ドラ)「おしん」、NHK大河ドラマ「おんな太閤記」(1981年)「春日局」(1989年)などを手掛け、2020年に文化勲章を受賞。

 ◇「渡る世間は鬼ばかり」シリーズなどの石井ふく子プロデューサーのコメント(以下原文まま)

 橋田さんとは60年のお付き合いです。年中喧嘩したり、相談したり、家族のように付き合ってきました。一日電話しないと「どうしたの?」と心配されることもありました。思い出がありすぎて何も言えません。こんなに急だなんて悔しくて、なんと言っていいかわかりません。「あなた一人でどこに行ったのよ」という思いでいっぱいです。

 橋田さんは現在のコロナ禍の状況を見て、そこで感じた家族の形を書きたいとおっしゃっていました。同時に「私はいつも一人だと思っていたけれど、あなたたちがそばにいてくれたのね」とおっしゃって。私は「今更、なにを言ってるのよ」と返しましたけれど。お互いに元気でいようねって話していたところでした。

 今、私の隣りに笑って私を見ている遺影があります。まだ、橋田さんがこの世からいなくなったなんて考えられません。

 ◇泉ピン子さんのコメント

 昨日意識がなくなったとき、「ママ」って呼ぶ私の声が聞こえたのか、最後に目を見開いたんです。それが最後でした。クルーズ旅行に行くとき、お正月に着ていたお気に入りのドレスと、橋田文化財団を設立したときに作った松竹梅の思い出のドレスを着せて、私がお化粧をしてあげて、旅立ちました。

 橋田さんは「悲しまなくていい。千の風になっているんだから。あなたの周りにいるから」といつも言っていました。「でも、私が先に逝くとは限らないけど」と茶目っ気たっぷりで付け加えたりして。ですから最後は「千の風になって」をかけて送りました。

 今の私があるのは橋田先生のおかげです。舞台もドラマもやらせてもらいました。ずいぶん喧嘩もしたし、泣いたこともあったけれど、橋田さんとご主人には本当の娘のようにかわいがっていただきました。私も熱海で暮らすようになって、最後はずっとそばにいられたから熱海に越してきた意味があったと思います。

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