富野由悠季監督:映像表現の進化を語る 「G-レコ」で失われつつある“手触り感”を

「Gのレコンギスタ」の第5部「死線を越えて」の一場面(C)創通・サンライズ
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「Gのレコンギスタ」の第5部「死線を越えて」の一場面(C)創通・サンライズ

 テレビアニメ「ガンダム Gのレコンギスタ(G-レコ)」の劇場版「Gのレコンギスタ」(富野由悠季総監督)の第4部「激闘に叫ぶ愛」が公開された。8月5日には完結編となる第5部「死線を越えて」が公開され、2014年にテレビアニメの放送がスタートしてから約8年で、完結を迎えることになった。富野監督は劇場版「G-レコ」について「50年残る作品にしていきたい」と話していた。映像技術は進化しているが、それでも「G-レコ」は残っていくという確信があるという。

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 ◇培ってきた映像文化が根本的に変わってきた

 富野監督は「こんな言い方すると年寄りのたわごとに聞こえてくるんだけど」と前置きしつつ「特にこの数年の映像業界は、質的なものが根本的に違ってきた」と話を切り出した。

 「コンサートの映像にしても映像に関わってるようなスタイルが、本質的に変わってきた。極端な言い方、分かりやすく言うと、オールCGで作ることがすごく簡単になってしまったため、20年くらい前にそれまで培ってきた映像文化が根本的に変わってきた。手触りが違ってきたんです。技術の進化が必ずしも映像文化を豊かにはしてない。キレイにはなってるんですよ。でも、ただキレイなだけじゃない? 毛穴まで作画することが進化したと言えるのか? 進化していないんですね。幼児向けの映像なんかは、一見進化してないような稚拙な作り方をしているんだけど、進化した技術の上で稚拙にしてるんです。素朴には見えない。この10年、20年、あんまり楽しくないんです。技術論的に頂点にきちゃってるから、もしかすると今が一番いいのかもしれない」

 富野監督は「手触り感みたいなものがなくなってきた」と感じているという。

 「実写もデジタルですり減っちゃっている。今さら人間が空を飛んでも珍しくもなんともないんだから、やめたらいいのに、相変わらずやっている。この数年で新しいスタイルが出てくるような気がする。出てこなければしょうがない。『ドライブ・マイ・カー』が評判になっていたので、劇場に見に行く暇はなかったんで、しょうがなくてブルーレイディスクを買って、見たんです。あれは、実写として踏ん張っている。その心地よさを感じて、映画はこれだろう!となった。ああいう切り口のものは、もう少しきちんと育っていかないといけない」

 ◇面倒がらずに手描きのアニメをやろうとした

 「G-レコ」はデジタル技術を駆使しながらも、手描きということもあって「手触り感」を感じる映像になっている。

 「手描きでやらざるを得ない環境だったのと同時に、企画を始めた時に、デジタルでやろうという気はありませんでした。旧来の手法でも絶対にいいと思っていた。面倒がらずに手描きのアニメをやろうとした」

 映像が進化する中で「手触り感」はますます重要になってくるのかもしれない。

 「戦前のディズニーの短編アニメを見ると、古っぽいけど、面白いわけ。古っぽいけど問題ない。孫と一緒に見ていても全然問題ない。親たちが、こっちの方が面白いんじゃない?と言い始めている。とても重要なことなんじゃないのかな?という気がしてるのは、技術の問題だけではなく、人間は、視覚的な手触り感みたいなものが好きなんだよね。ディズニーがカラーの短編アニメを作り始めた頃のマンパワーが本当にすごくて、当時はセルを重ねているわけだけど、セルを重ねすぎても劣化が見えないんですよ。今、見ているものはデジタルで修正をしているけど、それにしてもキレイなんです。一カットの中に、50匹ぐらいの動物が動いてるわけ。勘弁してくれ! これを戦前にやっていたのか!となる。ややクラシックに見えるけど、問題ない。ブタさんもウサギさんもあのままでいい。技術革新論だけで物事が進むわけではなく、昔から伝承されているもの、手触りを維持していくべきだと思う。ただ、これが本当に難しいところで、一辺倒で見てはいけないんだけど」

 「G-レコ」は、「機動戦士ガンダム」誕生35周年記念作品の一つとしてテレビアニメ版が2014年10月~15年3月に放送。劇場版はテレビアニメ全26話に新たなカットを追加し、全5部作として公開する。宇宙開発論、エネルギー問題などさまざまなテーマが描かれ、50年後も残るであろうメッセージを込めた。

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