NHK連続テレビ小説(朝ドラ)「らんまん」で、主人公・槙野万太郎を演じている神木隆之介さんが、5月19日に30歳の誕生日を迎えた。2歳でCM出演を果たし、子役として芸能活動をスタートさせた“あの神木くん”が、「ついに30歳か……」と感慨を覚えた人も少なくはないだろう。俳優として、声優として、数々のヒット作に起用されてきた神木さんだが、3年前に語っていた“三つの転機”とは? それぞれの出会いと当時の思いを振り返ってみたい。
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インタビューが行われたのは、神木さんがデビュー25周年を迎えた2020年秋ごろ。それまでの芸能活動の“転機”として三つの出会いを挙げてくれた。
一つ目は2005年公開の主演映画「妖怪大戦争」でメガホンをとった三池崇史監督、二つ目が連続ドラマ「ブラッディ・マンデイ」シリーズ(TBS系)の“Season2”(2010年)で演じたホーネット(藤代壮太)、そして、三つ目が2012年公開の映画「桐島、部活やめるってよ」だ。そのほかにも多くの出会いがあり、それぞれが転機になったはずだが、特に大きかったのが、10代で経験したこの三つだったという。
「三池監督は、それまで演じることがただただ楽しいってやってきた僕に、『魂を削らないとできないものもあるんだ』ってこと、役に向き合って、全身、全細胞を役にささげる、注ぐっていうことをちゃんと教えてくれた人。それが『妖怪大戦争』のときで、半年くらいずっと撮影してましたので、すごく大きい経験をさせてもらいました」
三池監督は、当時10、11歳の神木さんを、一人の俳優として見てくれた大人でもあった。
「これは僕の願望も入っているのですが、当時の僕を見て『こいつなら、もっと良くなる』って三池監督は思ってくれたみたいで。現場では、大声を張り上げて熱血指導してくださって。だからこそ、僕も思いっきり、恥とか捨てて、全身全霊を注ぐってことを身につけることができました。三池監督の褒め方って全然素直じゃないんですけど、それが素直に聞こえてくるくらいすごく愛情を感じて。頑張ろうって思いましたね」
「妖怪大戦争」と三池崇史監督が「演じるということとは?」という、ある種の原点を教えてくれたなら、二つ目の「ブラッディ・マンデイ」のホーネットは、役作りへのアプローチの話となる。
「役って、内面的なことだけじゃなく、もっと外見的に、動きで表現できるものなんだなって、表情とか、行動とか。そういう技術的なことで作れるものなんだって学べたのが、『ブラッディ・マンデイ』のホーネット。そこから役作りがすごく楽しくなりました」
ちなみにホーネットは2話のみ登場のキャラクター。膨大なフィルモグラフィーを誇る神木さんにとって少々意外な気もするが、それだけ印象深い役だったということだろう。
そして、三つ目の「桐島、部活やめるってよ」だが、撮影時、神木さんは高校3年生。映画が公開されたのは「大学に進まず(俳優として)頑張ってやっていこうってとき」だった。
「本当に“ブーメラン”のような作品。『お前、本当に後悔しないのか?』『選ぶのは自分だぞ』って言われているような気がして。『まいったな』って思いました。自分が出た作品、無意識にやっていた役にまさか自分がクギを刺されるなんて」
当時を思い出し、苦笑いを浮かべた神木さん。そのわけは「(学生と俳優の)二足のわらじじゃなく、この仕事一本でやっていこうっていうのを、決して軽いノリで通過せず、ちゃんととどめてくれた」作品でもあったから。
「周りの人たちからしたら、僕が進学せず、役者一本でやっていくことを決めたとき『当然』と思ったかもしれません。実際に高校の最後の面談で先生に『僕は大学に行かずに、役者として頑張っていこうと思います』と告げたら、『最初からそうだと思っていた』と言われましたから。ただ、僕にとっては大きな決断。みんなと同じようにちゃんと悩んで決めたことなので。その悩む手助けを、さらにもっと悩むように仕向けたのが『桐島』。人間的にありがたい作品になったなって」
改めて自分が選んだ道について、「楽しいだけの、そんな甘い世界じゃないですし、このお仕事をしてお金をもらっている以上、その責任もある」と理解した上で、「仮に、役者一本でやっていくという意志が早くに固まっていたとしても、18歳のあの時点で考え直さなくてはいけなかったと思います。結果や答えが一緒だとしても。だから本当に『桐島』という作品に出会えて、悩めたことは僕にとっての財産です」と語っていた。
インタビューから3年がたち、朝ドラで主演を務めるなど、30歳にして「国民的俳優」としての地位を確立しつつあるように思える神木さん。ここからどんな30代、40代へと突き進むのか、その活躍に引き続き期待したい。