今秋にデビュー満35周年を迎える歌手の杏里さんが、10日にセルフカバーベスト「Surf City−Coool Breeze−」をリリースした。80年代と当時のコンセプト“夏、海、杏里”をキーワードとした今作は、「悲しみがとまらない」「SUMMER CANDLES」をはじめ、1980年代の名曲をセレクトして新たにレコーディングし、リメークを施した。80年代という時代と“夏、海”を音楽で体現してきた杏里さんに、今回のベスト盤や35年間の思い出などについて聞いた。(水白京/毎日新聞デジタル)
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−−今回の「Surf City −Coool Breeze−」は、80年代の曲のセルフカバー集になっていますが、デビュー35周年記念という意味合いもあっての企画だったんでしょうか。
杏里さん:それもありますね。でも、自己満足的なものというよりは、もう1回“夏、海、杏里”という音楽を取り戻して、一緒に80年代を過ごしたファンや私の音楽を聴いてくれた人たちと、また共有できるものができたらいいなっていう皆さんへのギフトとして、このアルバムを作りました。
−−80年代の音楽って、確かに特有の雰囲気がありますよね。
杏里さん:70年代半ば~85年くらいの間にAORやブラックコンテンポラリーがはやっていて、それを先がけてやっていたというか、確かにそういうコンセプトでやっていたんですね。というのも、子供のころ、父がたくさんレコードを持っていて、ほとんど洋楽を聴いて育ったような感じだったし、近くに米軍基地があったので、そこの米軍向けのFENというラジオを聴いていたり。中でも、ウエストコーストのサウンドが一番自分の心に響いて、しっくりきたんです。それで、洋楽や米国の文化に憧れて、いつか米国に行きたいなって思っているときにデビューの話があって、デモテープをとった半年後には米国でレコーディングをしていたっていう。それも奇遇だったなと思います。
−−今作の中で、曲にまつわるエピソードはありますか?
杏里さん:「気ままにREFLECTION」という曲は意外にファンのリクエストが多くて。以前ツアーでアンケート用紙を配っていたんですけど、ある男性が、アンケートの全部のクエスチョンに「気ままにREFLECTION」って書いていて……。質問に答えてないでしょっていう(笑い)。そういうことがけっこうあったんですよ。なので、そこまで書かれたらやっぱり歌ってあげなきゃって。
−−なるほど。では“夏、海”のイメージが強い杏里さんが、実際に印象に残っている夏の思い出は?
杏里さん:子供のころは、父がすごく自然が好きな人だったので、週末になると海に行ったり、父の運転でドライブをしながら、そこには絶えず音楽が流れていたりしました。あとやっぱり、私の誕生日が8月31日で夏生まれのせいか、夏になるとウキウキするというか。太陽を浴びるのが好きで、日本の夏が終わっちゃったり、夏を待てないときは、ハワイに行っちゃったりしてましたね。
−−まさに“夏、海、杏里”ですね(笑い)。特に80年代の夏という意味ではどうですか。
杏里さん:一生懸命仕事して、でも遊びも一生懸命して。友だちと六本木のディスコに行って、朝方「海にサンライズを見に行こう」って言って湘南に行ったり。自然って表情はあって、海を見ているだけで無心になれるし、無心になれるんだけれど、波の音って毎回違って、それを聴いていると“自分は将来こういうことがしたい”っていう夢が浮かび上がってくるんです。だから、曲作りで煮詰まったときは海に行きますね。米国でも、自分の運転でサンタモニカやマリブの海に行ったり。波の音だけで嫌な気持ちが全部流れて吹っ飛んだ上に、インスパイアされることがすごくある。だから私は海が好きなのかもしれないです。
−−改めて、35周年を迎えた今の心境はいかがですか。
杏里さん:いろんな意味で、生まれてきた意味はこれだったんだって気づかされる経験をいっぱいしたし、充実した35年間でしたね。実は、30周年記念ライブをやったとき、最終日の前日に40度の熱があったんです。もうフラフラで、本番直前まで横になっていたんですけど、ステージに出たら全部吹っ飛んじゃったんですよ。前半1時間はバラード、後半1時間半は歌って踊ってっていう構成だったんですけど、汗を流したら元気になっちゃいましたね。まさにステージは私にとって元気の源というか、水を得た魚になれる水槽みたいなもの。音楽ってホントにすごいなって思いますね。
−−音楽への思いを新たにする出来事ですね。
杏里さん:私は周りに“箱入り娘”っていわれるぐらい両親に大事に育てられて、ホントに大人になりきれなかったんです。でも、17歳でデビューして、35年という月日の中で、音楽によって人生勉強をさせられましたね。ヒットするまでけっこう月日もかかって、その間の修業がなければ今の私はないわけですし。この35年間、一度も休業とかで活動を止めたことはなかったし、音楽を作ったり歌ったり、パフォーマンスをするっていうことは、私にとってはもう一生欠かすことのできないもの。自分は一生涯歌い続けるんじゃないかなと思いますね。
<プロフィル>
1978年11月、シングル「オリビアを聴きながら」でデビュー。83年に発表した「CAT'S EYE」と「悲しみがとまらない」が立て続けにヒット。杏里さんが初めてハマッたポップカルチャーは、昭和の歌謡曲。「小学生くらいのころ、由紀さおりさんの『夜明けのスキャット』や、ちあきなおみさんの『喝采』とかを子供心にいい曲だなっていう感覚で聴いていて、そこからどんどん追求していって洋楽も聴き始めました。父が歌が好きで、家に音楽が自然と流れている環境にあったんだと思います」と話した。
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