アンジェラ・アキ:音楽活動無期限休止を語る「限界の向こう側の景色を見てみたいと思った」

音楽活動無期限休止について語ったアンジェラ・アキさん
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音楽活動無期限休止について語ったアンジェラ・アキさん

 4月から行われる全国ツアーをもって日本での音楽活動を無期限で休止するシンガー・ソングライターのアンジェラ・アキさんが、10年間の活動の集大成となるベストアルバム「TAPESTRY OF SONGS−THE BEST OF ANGELA AKI」を5日にリリースした。ツアー終了後は米国に移住し、秋から現地の音楽大学に留学することが決まっているアンジェラさんに、活動休止に至った経緯、「この10年の節目をとらえた心のスナップショットの連続」と語るベスト盤の話、これまでの10年間の思いを聞いた。

ウナギノボリ

 −−日本での活動を無期限で休止して米国の音楽大学に留学をする決意をした理由は?

 決断をしたのは1年ぐらい前だったんですけど、その何年か前から、自分の音楽の技術的な能力の限界を感じ始めていて、その限界の向こう側の景色を見てみたいなって思い始めたんです。デビューのころから世界で勝負したい、グラミー賞をとりたいという夢もありましたし、ブロードウェーで成功させたいと思っているミュージカルのプロジェクト(アンジェラさんの小説家の友人との共同発案による舞台制作)も進んでいたりして、それを実際の作品として出すためにも、(自身に対する)教育が必要だなって。

 −−大学では主に作曲の勉強をするんですか?

 作詞、作曲、オーケストレーション、理論も最初から全部学ぼうと思ってます。実は2008年ごろ、「手紙~拝啓 十五の君へ~」という曲をリリースしたくらいのときに、米国のバークレーの音楽大学の通信教育を始めて、インターネット通信だったんですけど5年間クラスを受講していたんです。そうしたら、その前とあとでは抜本的にソングライティングが変わって、「なんでこれを早くやってなかったんだろう」って衝撃を受けて。ネット通信でこれだけ刺激を受けるんであれば、実際に大学に行ったらすごいだろうなっていうのもあって。

 −−この決断について、アンジェラさんのデビュー時からのディレクターでもあったご主人はどのようにおっしゃっていますか?

 主人は、私が26、27歳のころ、ほかのレコード会社には「ハーフって売れないんだよね」「音楽じゃなくてモデルとかやればいいじゃん」「26、27歳でデビューなんて絶対ムリ」っていくつものドアをバタバタと閉められてた時代に、私のデモテープを聴いて、「この人に懸けてみよう」と受け入れてくれた唯一の人で、その結果、今のダンナになった人なんです。なので、私の音楽を最初に信じてくれた人だから「あなたの次のステップとしては当たり前」って受け入れてくれて、背中を押してくれてます。

 −−息子さんはこの状況は理解してるようですか?

 絶対分かってないです。最近「ママ」とか言い出してるくらいなので。2歳なのにやっと色を言え始めたぐらいで、「雪は何色?」(と聞いたら)「しーろ(白)」って。可愛いんです(笑い)。

 −−そんなご家族とともに米国に渡るということですが、活動休止発表時の公式コメントでは「『サクラ色』の中でのメッセージを~胸に刻み込んでいます」と記していましたね。その真意は?

 ワシントンD.C.にいたころ、シンガー・ソングライターになりたいという夢を追いかけてたことと、前のダンナとの離婚が重なって、「サクラ色」は私にとって、いろんな挫折をへて夢をかなえてデビューするとか、離婚をへて新しいパートナーを見つけて再出発を切るっていう新しいスタートの歌なんです。今回10年かけて手に入れたデビュー、そしてこのキャリアを、(活動)10年というタイミングでまた閉じて再出発するというのは、やっぱり100%よどみない気持ちというわけではなく、どこか揺らいでる部分もあるし、ホントにこれでいいのかなとも思う。でも、嫌なことがあっても乗り越えられるんだっていう自分の人生の前例があるから強いですよね。そういう意味で、「サクラ色」は私にとって再出発は可能なんだって思える大事な1曲なんです。

 −−今回のベスト盤は「サクラ色」を含むシングル楽曲がリリース順で並んでいますが、ほかにどんな思い出がよみがえりますか。

 例えばデビュー曲の「HOME」は28歳のときの曲なんですけど、その段階で、断片ではなく最初から最後まで作詞・作曲・アレンジをしてる楽曲が500曲あったんですよ。満を持してたどり着いた「HOME」という意味では、遠回りのように思えるけど、あの500曲があったからたどり着けた、ムダなものはないんだなって思える思い出の1曲ですね。あと「手紙~拝啓 十五の君へ~」(NHK全国学校音楽コンクール「中学校の部」課題曲に採用された曲)は、歌というのは自分で歌って自分で息吹きを吹き込んで届くものだと思ってたものが、人が歌って羽ばたいていくものでもあるんだなって。やっぱりシンガー・ソングライターだから、自分の曲を囲ってしまいがちだったのが、曲たちに“翼をはやして飛んでいってください”って言っていいんだって思えた楽曲でした。

 −−それでは、日本の皆さんにメッセージをお願いします!

 私、デビューまではいわゆる普通の20代を過ごしてきたから、ステージでも客席と同じ目線という意識で歌ってきたし、聴いてくれる人たちとの心の距離がすごく近かったと思うんです。体は離れても心の部分はつながってると思うし、どんなに夢がかなっても、私の理想は、日本で、母国語である日本語で曲を作ってみんなに届けることなので、いつになるかは分からないけれど、必ず(日本に)戻って来たいです!

 <プロフィル>

 1977年9月15日生まれ、徳島県出身。2005年にシングル「HOME」でメジャーデビュー。ベスト盤「TAPESTRY OF SONGS−THE BEST OF ANGELA AKI−」の初回生産限定盤は「1冊の小説や1本の映画のように風景が見えて、起承転結というストーリーがある歌を作ることを目指してきた」と語る本人が、特に残したい完成度の高い楽曲を選んだというセレクションCD付き。4~8月にアルバムと同タイトルの全国ツアーを開催予定。アンジェラさんが初めてハマったマンガは、小学校高学年から中学にかけて好きだったという「ドラゴンボール」と「らんま1/2」。「『ドラゴンボール』はサイヤ人(宇宙人)とかの話なのに自分の仲間のように応援したくなる身近な話になっている。私が子供のころに出てきたものが、自分の子供も共有して好きになってくれるであろう作品になっていて、そのストーリーの強さ、発想の豊かさはすごいなって。『らんま1/2』は、私がカンフーものとかの中国映画や格闘モノが好きだったので、すごくツボだったんです」と話した。

 (インタビュー・文・撮影:水白京) 

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