台湾伝統の食文化にカメラを向けた娯楽映画「祝宴!シェフ!」が1日から全国で順次公開されている。伝説の料理人を父に持ちながら、才能はあるのに修業をしてこなかった娘シャオワンが、衰退の一途をたどる宴会料理の返り咲きを懸けて全国宴席料理大会に出場するというストーリー。メガホンをとったのは、16年前の「ラブゴーゴー」(1997年)以降(「祝宴!シェフ」は2013年製作)、長編映画から遠ざかっていたチェン・ユーシュン監督。「完全に映画を捨てていた」と語るチェン監督が、何をきっかけに再び監督する気になり、またどのような思いでこの作品を撮ったのか。チェン監督に話を聞いた。
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−−この16年間、どう過ごしていたのですか?
「ラブゴーゴー」の頃の台湾映画界は本当に不景気で、私自身、この先どんな映画を撮っていったらいいのか非常に悩みました。脚本を2本ばかり書きましたが、自分の持ち味である独特のユーモアがどうしても盛り込めず、こんな映画では誰も見てくれないとだんだん自信をなくしていったのです。仕事がないと当然、お金もなくなります。それで、CMを撮り始めたのですが、CMディレクターをしているうちにあっという間に歳月が流れてしまいました。
−−その間、短編映画は撮っていますが、今回、長編を撮ろうと思ったきっかけは?
CMディレクターを始めた頃は、完全に映画を捨てていました。多くの人が撮り続けてほしいと言ってくれましたが、私自身、もう映画を撮ることへの興味をなくしていたのです。ところが、年齢を重ねるにつれ、また撮りたくなってきた。その気持ちを鼓舞してくれたのが、「海角七号/君想う、国境の南」(2008年/ウェイ・ダーション監督)のヒットでした。それ以前にも台湾映画では、素晴らしい作品が何本か作られていました。そういった他の監督の作品に触発されたのです。それと、5年くらい前に武侠(ぶきょう)映画の企画が持ち上がり、一度は準備に入ったものの、いろんな要因が重なり中断してしまった。そのこともまた、もう人生を無駄にしたくないと本気でテーマを決め、今回の脚本を書き始めるきっかけになりました。
−−料理に焦点を当てたのはなぜでしょうか。
私自身、食べることがとても好きで、美食文化に関心があったからです。また、台湾ローカルの題材の映画がヒットしている時代だったので、そういうもので何かないかと考えました。映画に登場する「バンド」という祝宴料理は、台湾の伝統的な文化です。ところが、その文化がどんどん廃れ、なくなってしまうという危機感がありました。映画を撮ることで、みんなの関心を呼び覚ましたかったのです。
−−チェン監督のデビュー作「熱帯魚」(95年)のときは、監督自身の体験が投影されていました。今回の作品でも、監督自身の体験が投影されているのですか。
この映画は、料理を題材にしていますが、実のところ私自身は「映画を撮る」ということをテーマにしています。クリエーティブな作業ということからすると、映画監督も、バンドでメニューと調理を取り仕切る総舗師(ツォンポーサイ)も、同じような職業だと考えています。ですから、私の経験がそのままこの映画に投影されていると考えていただいてよいでしょう。
−−ということは、チェン監督の心情は、今作のヒロイン、キミ・シアさんが演じるシャオワンの心情と重なるわけですね。
はい。シャオワンは、伝説の宴席料理人である父親が跡を継がせたいと思っていた娘です。でも彼女は、父の生前、その期待に添うことができなかった。私も同じです。映画界の人が映画を撮ってほしいと引き留めてくれたのに、私はそこから逃げてしまった。でも、私が映画を撮ろうと戻ってきたとき、多くの先輩方が手を貸してくれました。ですから、私の心情とシャオワンの心情はまったく同じなわけです。
−−そのシャオワンの亡き父親は、「蝿(はえ)師」と呼ばれています。料理人の彼が素手で蝿をつかむのには、「ええっ!」と思いました。シャオワンが蝿のタトゥーを入れているのにも驚きました。
私が蝿好きということはまったくないです(笑い)。シャオワンが蝿のタトゥーをしているのは、亡き父への思いからです。それに、蝿は台湾語では「蒼蝿(ホウシン)」と言います。「シン」という音が「神」と同じで、いわばだじゃれのようなもの。台湾語では、人をからかうときによく、「あなたはシンです」と言います。ですから、父親のあだ名が蝿師というのは、「お父さんは神だった」という意味なわけです。
−−“料理ドクター”を名乗るイエ・ルーハイ役のトニー・ヤンさんと「ハッピーエッグ」という歌を歌うシーンでは、キミさんが笑いをこらえながら歌っていたのが印象的でした。また、料理大会に出場を決めホテルに滞在した際、継母パフィー(リン・メイシウさん)がベッドから落ちますが、あれは演出ですか、ハプニングですか?
「ハッピーエッグ」での笑いは、歌の内容が面白かったのと、トニー・ヤンの歌がおかしかったからです(笑い)。あれは演出ですし、パフィーがベッドから落ちたのも演出です。
−−では、同じホテルで蝿師の師匠の虎鼻(コビ)師が車椅子ごと引っくり返ったのは?
あれは演出ではなく、ハプニングです(笑い)。
−−今日、お目にかかってお話しをして、チェン監督がとても物静かな方だったのは意外でした。ユーモアのアイデアは、どういうところから生まれるのですか?
もともと私は引きこもりのようなタイプで、ダンボール箱をかぶったり、押し入れの中に入って、空想を膨らませるのが好きな人間でした。現実逃避のようなものですね。ユーモアのアイデアは、そういうところから生まれています。
−−シャオワンがダンボールをかぶるのは、監督の体験からきているのですね。
はい。さすがに今はかぶりませんが、でも、かぶりたいと思うことはあります(笑い)。
−−ちなみに、影響を受けた映画監督はどなたでしょう。
いろいろいますが、台湾映画では、やはりホウ・シャオシェン監督が私の中では素晴らしい監督と位置付けられています。特に「恋恋風塵」(87年)が大好きです。香港映画ではウォン・カーウァイ監督。「欲望の翼」(90年)が好きです。日本では北野武監督。もちろん、小津安二郎監督や黒澤明監督は大好きですが、まだ存命中の活躍している監督のなかで挙げるなら、北野監督ですね。
−−最後に、料理に対する愛情が伝わってくる今作ですが、チェン監督ご自身が、この作品を通して伝えたいメッセージは?
観客の皆さんに喜んでもらいたい、そして、人情や温かさを感じていただける、そういう映画でありたいと思っています。その一方で、映画がすべての人に受け入れられるとは思っていません。ただ、私自身が楽しんで撮った作品を、同じように楽しんでくれる人がいればいい、そう願っています。
<プロフィル>
1962年生まれ、台北出身。テレビドラマを長年手がけたのち、95年に「熱帯魚」で長編監督デビューし、商業的成功を収めた。97年の「ラブゴーゴー」以降、映画界から遠ざかり、CM業界に活躍の場を移していた。2010年、連作映画「ジュリエット」の1編「もうひとりのジュリエット」やオムニバス映画「10+10」の1編「Hippocamp Hair Salon」(11年、日本未公開)を監督し、このたび16年ぶりに長編映画のメガホンをとった。
(インタビュー・文・撮影/りんたいこ)
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