台北が誇る書の至宝・何創時コレクションを日本初の大規模公開!特別展「躍動する明代の書―台北・何創時コレクションの至宝」今秋、大阪市立美術館で開催

台北が誇る書の至宝・何創時コレクションを日本初の大規模公開!特別展「躍動する明代の書―台北・何創時コレクションの至宝」今秋、大阪市立美術館で開催
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大阪市博物館機構
このたび、大阪市立美術館では、台北の何創時(かそうじ)書法芸術基金会が所蔵する中国・明時代の書画の名品を紹介する特別展「躍動する明代の書―台北・何創時コレクションの至宝」を開催いたします。




 何創時書法芸術基金会は何国慶(かこくけい)氏によって1995年に台北で創設された財団で、昨年30周年を迎えました。明・清時代の書を中心に多数の作品を蒐集し、展覧会・講座などの活動を通じて書芸術の振興を図っています。日本の書家や研究者で訪れる方も多く、注目されています。
 この度は、そのコレクションの中でも質量ともに最も充実している明代中期から明末清初の書に焦点をあて、日本初公開の作品を多数含む82件を精選して展示します。江戸時代には文徴明(ぶんちょうめい)・董其昌(とうきしょう)らの書をもとに、唐様(からよう)が流行しました。黄檗(おうばく)僧らがもたらした明末清初の書は、今日の書壇でも手本として習われています。
 明代の書は多様性に富み、個性あふれる作品が揃っています。この特別展を通じて、躍動する筆墨の美をぜひお楽しみください。

公式HPはこちら▼
https://www.osaka-art-museum.jp/special_exhibition/mindai

みどころ

1.台北が誇る書の至宝・何創時(かそうじ)コレクション―日本初の大規模公開!
総数およそ2,500件のコレクションの中から、優品82件を一挙に公開します。
このうち72件、出品の9割近くが日本初公開作品です。何創時コレクションがこれほどの規模にて日本で紹介されたことはなく、貴重な機会となります。
2.呉(蘇州)派(ご(そしゅう)は)・華亭(松江)派(かてい(しょうこう)は)の大家の書画は必見!
明代中期に活躍した蘇州(江蘇省)の祝允明(しゅくいんめい)・文徴明・王寵(おうちょう)、後期に書壇の主流を占めた松江(今の上海市松江区)の張弼(ちょうひつ)・董其昌・陳継綬(ちんけいじゅ)といった、書道史を飾る明代中後期の大家の名品が並びます。
3.明末清初の名家の条幅作品が充実!
米万鍾(べいばんしょう)・張瑞図(ちょうずいと)・黄道周(こうどうしゅう)・王鐸(おうたく)・傅山(ふざん)・許友(きょゆう)らの個性際立つ作品が勢揃いします。
4.大阪会場のみの限定開催
2026年秋、大阪市立美術館だけの特別な機会をお見逃しなく。

明とは

 1368年、朱元璋(しゅげんしょう)が応天府(おうてんふ)(南京)を首都に明を建国し、漢民族が支配する国家となり、元の統治下で政治の中心で活躍するのが困難だった知識人に科挙の道が開けました。第3代皇帝の永楽帝(えいらくてい)は、順天府(じゅんてんふ)(北京)に遷都し、周囲の国々を服属させて版図を広げ、鄭和(ていわ)を遠征させて多くの国が朝貢するようになりました。日本とは勘合貿易という形で交易を行いました。国内では江南地方で農業に加え商工業が発展し、中期になると蘇州を始めとする都市が栄え、文化の中心は江南へと移りました。
 一方で暗愚な皇帝も多く、時に宦官(かんがん)が権勢を振うなど、政治的な混乱も度々起こり、北虜南倭(ほくりょなんわ)や文禄・慶長の役など他国への対応の必要もありました。明末になると財政が疲弊したところに飢饉が起こり、農民反乱も頻発します。1644年、反乱軍の李自成(りじせい)によって北京が陥落、次いで清が南下して明は滅び、最後の漢民族王朝が終焉を迎えることとなりました。



明代の書の特徴

 明代の書の特徴は、表現の多様性にあります。明代も中期になると、学書の対象が広がります。晋唐の古典を中心として、宋代の書風を取り入れる者、連綿草や小楷、篆書や隷書を用いる者など多種多様な表現が生まれます。
 宋元時代までは、書は主に手元で鑑賞するものでしたが、明代にはこれまでの横巻に加えて掛軸や扇面が広く行われるようになります。特に明末に向かうに従って掛軸は大型化して、いわゆる「長条幅(ちょうじょうふく)」が多く制作されました。表現もまた情感を発露するかのような個性的で躍動的なものが増え、多字数を草書で連続して揮毫する「連綿草(れんめんそう)」が流行します。書は「机上の芸術」から「壁面の芸術」に進化したのです。
 素材も通常の紙や絹に加えて、金箋などの加工紙や絖(ぬめ)も用いられるようになります。さらに文房具などにも趣味的要素が濃くなっていきます。在野での収蔵家も陸続と現れ、家蔵の作品をまとめた法帖(ほうじょう)(書のお手本)の作成も盛んに行われました。
 この背景にあったのは、江南地方を中心に社会経済に大きな変化が起きたことです。絹や綿に代表される手工業の隆盛、それに伴う商業・交通の発達などにより、書画の商品化も進むことになります。すると、以前は宮廷とその周辺が中心であった書画は、広く民間の需要にも応えることになります。
 日本でも江戸時代には、明代中期に蘇州を中心に活躍した呉派(祝允明・文徴明・王寵ら)、後期に書壇の主流を占めた松江(しょうこう)の華亭派(張弼・董其昌・陳継綬ら)に代表される文人たちの書風がもてはやされて、「唐様」の書が流行しました。黄檗僧らによってもたらされた明末清初の書は、近代になるとその大胆で個性的な表現が注目されます。今日の書の団体展や公募展でも、漢字分野では多く手本の対象となっています。何創時コレクションには明代中後期から、米万鍾、張瑞図、黄道周、王鐸、倪元璐、傅山、許友などの明末清初の作品までが充実しており、一般の方々はもとより、現代の書家の方々にも大変参考になる特別展となります。

台北何創時書法芸術基金会(何創時コレクション)とは

 台北にある何創時書法芸術基金会は、董事長(とうじちょう)(日本でいう理事長)で収蔵家の何国慶氏が、1995年に父の名を冠して設立した財団。所蔵品は明・清時代の書を中核とし、王陽明、徐渭(じょい)、王鐸、張瑞図、黄道周、倪元璐ら明代の賢人たち2,000余人の書画作品2,500余件を収蔵しています。
 同財団は年間を通じて展覧会や学術講座を開催し、国際的な芸術・文化交流の拡大に積極的に取り組んでいます。これまでに日本をはじめ重要な書の特別展にも作品を貸出し、東アジアの書道交流の架け橋を築いてきました。近年では展示室「創時講堂」や「オンライン博物館」を開設し、学術研究のために収蔵資料を公開することで、書道文化の発展を継承しています。
 今回、大阪市立美術館での特別展では、同財団としては初めて、日本において明代の書画コレクションを大規模に展示します。展示作品は計82件で、その9割近い72件が日本での初公開となります。

おもな展示作品

※作品は、すべて台北何創時書法芸術基金会蔵
※寸法は縦×横(cm)
蘇州第一の名手 祝允明(しゅくいんめい)(1460~1526年)
右手の指が六本あったので、枝山(しざん)・枝指生(ししせい)と号しました。幼いころから晋唐の書の臨書にはげみ、後には宋元の書までに及びました。作風は幅広く、鍾繇(しょうよう)や王羲之などを学んだ小楷から、晩年の狂草まで、数多くの名品を残しています。同郷蘇州の後輩、王世貞(おうせいてい)は「天下の法書、吾が呉(蘇州)に帰す。祝京兆允明最と為す」と評しています。
力強く古風な筆法。字と行が絶妙なバランスを織りなす8mの大作
【日本初公開】「草書蚕衣五篇(そうしょさんい ごへん)」(部分) 明時代・嘉靖元年(1522) 28×830cm


自跋によると、成化戊申(23年、1488、29歳)に作った「蚕衣」五篇を、嘉靖改元壬午(元年、1522、63歳)の時に揮毫したといいます。連綿を用いない「独草」で書かれた8m以上に及ぶ長巻で、全編にわたり古風な趣が漂い、用筆は力強くも流麗さを失わず、それぞれの文字と文字、行と行が見事な呼応を見せています。末尾の跋には「章草(しょうそう)」という、隷書を早書きした木簡などに見られる書体が用いられています。



蘇州芸苑の中心人物 文徴明(ぶんちょうめい)(1470~1559年)
字は徴仲(ちょうちゅう)、号は衡山(こうざん)。翰林院待詔(かんりんいんたいしょう)という官に就いたので文待詔とも呼ばれます。詩文書画いずれも善くし、温厚で清廉な人柄と、九十歳の長寿を保ったこともあって、蘇州芸苑(芸術界)の中心として活躍し、多くの門人や追随者を生みました。その書は晋唐のほか、宋の黄庭堅(こうていけん)や元の趙孟頫(ちょうもうふ)などを学び、精巧な小楷から軽快な行・草、篆書や隷書に至るまで多くの作品を残しました。
陶淵明の詩を王羲之+趙孟頫風に書いた長巻
【日本初公開】「行書陶淵明飲酒詩(ぎょうしょとうえんめいいんしゅし)」(部分)明時代・嘉靖34年(1555) 29×481cm


陶淵明の五言古詩「飲酒」二十首を5m近い長巻に揮毫したもの。末尾に「乙卯七月三日書、徴明」とあり、嘉靖34年(1555)86歳の作とわかります。「集王聖教序(しゅうおうしょうぎょうじょ)」にやや趙孟頫風を交えた、晩年の熟達した書きぶりです。ちなみに京都国立博物館にも「飲酒」詩二十首を書写した巻子があり、そちらは前年の「甲寅七月朔」の作で、同様な書風を示しています。



陽明学の創始者 王陽明(おうようめい)(1472~1529年)
名は守仁、陽明の号で広く知られています。それまでの朱子学に対して、「心即理(しんそくり)」「知行合一(ちぎょうごういつ)」などを提唱して陽明学を創始し、江戸から明治期の日本にも大きな影響をあたえました。また軍事に通じ、政治家としては兵部尚書(軍事を掌る大臣)に昇りました。書では、王羲之(おうぎし)の32世の孫とも言われ、「集王聖教序」などを学んで「清勁絶倫(せいけいぜつりん)」(すっきりとした力強さが群を抜いている)と評されます。
一気呵成に書き上げた「清勁絶倫(せいけいぜつりん)」な力作
【日本初公開】「草書七言詩(そうしょしちごんし)」(部分) 明時代・正徳14年(1519) 33×442cm 


「泊金山(金山に泊す)」ほか七首の七言詩を鋭い筆法で一気呵成に書き上げた、まさに「清勁絶倫」の評語に相応しい一巻です。落款に「陽明山人潯陽(じんよう)(江西省九江)の舟次に書す。時に正徳己卯(14年、1519)臘(ろう)月(12月)四日なり。」とあります。この年の6月、明の皇族で寧王(ねいおう)として江西省南昌に封ぜられた朱宸濠(しゅしんごう)が、正徳帝(しょうとくてい)の帝位簒奪(さんだつ)を計画して大規模な反乱を起こしました。これを聞いた王陽明は軍を率いて向かい、巧妙な作戦により一か月余りで平定し、大きな功績を残しました。



芸林百世の大宗師 董其昌(とうきしょう)(1555~1636年)
蘇州に次いで明朝後期に繁栄をみせたのが、華亭(今の上海市松江区)で、その中心となったのが董其昌でした。字は玄宰(げんさい)、思白(しはく)・香光(こうこう)と号しました。官は礼部尚書という大臣に昇りましたが、強欲な性格で民衆の焼討にもあいました。一方、書画を善くしたばかりでなく、理論や鑑賞にも優れて、後世への影響が大きく「芸林百世の大宗師」と称えられました。
独自の書論と王羲之臨書が併存した、流麗秀逸な作
【日本初公開】「草書論書与臨王羲之十七帖(そうしょろんしょと りんおうぎしじゅうしちじょう)」(部分) 明時代・万暦35年(1607) 25×540cm


前段は書論を述べた部分で、趙孟頫の書の至らなさを指摘し、顔真卿(がんしんけい)・柳公権(りゅうこうけん)・楊凝式(ようぎょうしき)らを称えています。「十七日…」以下が王羲之の「十七帖」の臨書で、明の呉廷(ごてい)が刻させた名法帖として名高い『余清斎帖(よせいさいじょう)』を見ながら、そのうちの15帖を書いています。臨書とはいえ力強さに奔放さを備え、率意による流麗秀逸な趣を備えた作品に仕上がっています。丁未は万暦35年(1607)、53歳の書です。



書が火除けになる? 張瑞図(ちょうずいと)(1570~1641年)
号は果亭(かてい)・白豪庵(びゃくこうあん)など。二水(にすい)とも号したことから、水星の生まれ変わりでその書を掛けると火除けになると言われました。董其昌と同じく礼部尚書に昇りましたが、権勢を振るった魏忠賢(ぎちゅうけん)が失脚すると、その生祠(せいし)(存命中の人を祀った祠)の扁額を揮毫したかどで官を去りました。その書は筆を鋭く左右に振り動かすものや、強靭な筆力で豪快に書き下ろすものなど、独創性に富んだものなっています。
素早い筆運び、縦に伸びた筆法に注目
「草書王世懋詩(そうしょうおうせいぼうし)」明時代・16~17世紀 165×47.5cm


王世懋(おうせいぼう)(1536-1588)の友人と飲酒する喜びを詠う詩を録す本作は、筆の運びが直線的で角張っており、筆先の切り替えが躍動感に満ち、字形は横に広がり、素早い筆運びを見せています。上下に筆跡が連なる部分はあるものの、一文字一文字は独立しており、各文間隔を詰める一方で、「中」「年」「馴」などの字は縦画(たてかく)を伸ばすことで緊密感を打ち破り、作品全体に開放感をもたらしています。



恭順という選択 王鐸(おうたく)(1592~1652年)
字は覚之(かくし)、石樵(せきしょう)・痴庵(ちあん)などと号しました。明朝では崇禎17年(1644)に礼部尚書となりましたが、赴任する前に北京が陥落してしまい、南京で即位した福王(ふくおう)のもとで東閣大学士となります。しかし、清軍が南下すると降伏、順治3年(1646)には清朝に仕えて同6年に再び礼部尚書となります。二つの王朝に仕えたため、後世「弐臣(じしん)」に列せられて非難されることになりました。
王羲之の原本にとらわれない、自在な「連綿草」の作品
「臨王羲之意適帖(りんおうぎしいてきじょう)」明時代・17世紀 254×49cm


王鐸は「唐宋の諸家はみな王羲之・王献之(おうけんし)に源を発する」と考えており、その書作は二王の体系を骨格とし、宋の太宗が歴代の名蹟をまとめた『淳化閣帖(じゅんかかくじょう)』などの臨書を徹底して行いました。本作のように、長条幅に臨書する時は草書で書かれることが多く、字形は原本から離れ、字句の脱落など構わず、しばしば自在な連綿を用いて、筆力に富み感情をほとばしらせるかのような雄渾な作品を生み出しました。



明朝に殉じた烈士 倪元璐(げいげんろ)(1593~1644年)
字は玉汝(ぎょくじょ)、鴻宝(こうほう)・園客(えんきゃく)と号しました。天啓2年(1622)に科挙に合格して進士となりましたが、黄道周(こうどうしゅう)・王鐸も同年です。権勢を振るって失脚した魏忠賢の遺党を攻撃し、その剛直さで知られました。一時は官を離れるも復職し、崇禎16年(1643)には戸部尚書になりました。しかし翌年2月に李自成の反乱軍が北京を陥れ、崇禎帝が自害すると、後を追って自縊(じい)し、国に殉じました。
筆の速度と乾湿で変化をつけた、沈着かつ重厚な風格
「行書李商隠詩(ぎょうしょりしょういんし)」 明時代・17世紀 156×43cm


晩唐の李商隠(りんしょういん)の詩で、月夜の美しい仙人の住み家を詠います。倪元璐も明末にあって個性の強い書境を拓きました。本作のように晩年に近くなると、硬い筆を擦りつけるような運筆で頓挫をくりかえし、速さはあるも急ぎすぎず、粗密のバランス絶妙にとり、墨法の乾湿によって変化をつけ、沈着かつ重厚な風格を生み出しています。



遺民として抵抗 傅山(ふざん)(1607~1684年)
字を青主(せいしゅ)といい、石道人(せきどうじん)・丹崖子(たんがいし)などと号しました。代々学者の家に生まれ、経書・史書をはじめ道教や仏教にも造詣が深く、医術にも優れました。明が滅ぶと、道士となって各地に流寓して、亡国の恨みを詩によせました。清朝から仕官の誘いを受けるも固辞し、北京に連行されるも病と称して都城に入りませんでした。
酒に酔った勢いで筆を走らせた、躍る書
「草書酔後浪書(そうしょすいごろうしょ)」明~清時代・17世紀 197×58cm


傅山の書で最も有名なのは、大胆な連綿草の作品ですが、小楷をはじめ、古文や篆書といった様々な書体も善くしました。本作はとりわけ異彩を放つ一点で、酒に酔った勢いで、情緒を込めて奔放に筆を走らせています。力強い筆致で線は途切れることなく連綿と伸び、一部の画は、最初は墨が濃く重厚ですが、瞬時に細く枯れた筆致へと変化し、心のままに書き上げられています。



隷書復興の先駆者 宋玨(そうかく)(1576~1632年)
字を比玉(ひぎょく)といい、荔枝生(れいしせい)・荔支仙(れいしせん)と号しました。書は隷書の八分(はっぷん)に長け、「夏承碑(かしょうひ)」に範をとったといい、清代における隷書復興の先駆者として尊ばれています。画は米芾(べいふつ)親子や呉鎮(ごちん)・黄公望(こうこうぼう)の影響を受けつつも、特定の流派に属しませんでした。30歳の時、南京の国子監(こくしかん)(最高学府)へ学びに行くことを決意し、杭州・蘇州など各地を遊歴しましたが、最後は南京で亡くなりました。
【日本初公開】「隷書黒児像賛(れいしょこくじぞうさん)」明時代・万暦45年(1617) 188×32cm


隷書で書かれた賛に、飼い主と愛猫との悲哀のエピソードが記されています。「黒児」とは、崔子鎮(さいしちん)先生が飼い大変可愛がっていた猫のこと。先生が外出するたび戸口まで見送り、帰宅すると履物の音を聞いて跳び上がって駆け寄り、先生も喜んで食事を共にしました。ある日先生が病に倒れると、黒児は付き添い寝床を離れず、先生が亡くなると棺の周りで悲しげに鳴き、ついに何も食べずに棺の下で息絶えました。先生の息子は、これを葬り「黒児塚」と名付けました。



開催概要

- 名  称:特別展「躍動する明代の書―台北・何創時(かそうじ)コレクションの至宝」
- 会  場:大阪市立美術館 〒543-0063 大阪市天王寺区茶臼山町1-82
- 会  期:2026年10月9日(金)~12月20日(日)
- 開館時間:午前9時30分~午後5時(入館は午後4時30分まで)
- 休 館 日 :毎週月曜日(月曜日が祝日の場合は開館し、翌平日休館)
- 主  催:大阪市立美術館、毎日新聞社、NHKエンタープライズ近畿
- 特別協力:台北何創時書法芸術基金会
- 後  援:公益財団法人大阪観光局(予定)
- 問い合わせ:大阪市立美術館 06-6771-4874(休館日を除く)
【6月15日(月)からは以下】
大阪市総合コールセンターなにわコール 06-4301-7285(年中無休 午前8時~午後9時)
- 観覧料:


※団体料金は20名以上で適用。
※前売券の販売期間:2026年8月6日(木)午前10時~10月8日(木)午後11時59分
※本展の観覧券で企画展示もご覧いただけます(観覧当日のみ)。
※未就学児は無料。
※障がい者手帳をお持ちの方と介護者1名は無料(要証明)。ただし、障がい者手帳等は日本の法律に基づき交付されたものに限ります。
※大阪市内在住の65歳以上の方も一般料金が必要です。

- 販売場所:公式オンラインチケット(etix、大阪市立美術館公式ホームページ内)など

◆券売情報の詳細は、次回のリリース(7月下旬頃を予定)でお知らせします。
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