大平サブロー:シローへの思い語る「あの世でコンビやっても面白いかなあ」 会見全文

9日に亡くなった元相方の大平シローさんについて語る大平サブローさん
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9日に亡くなった元相方の大平シローさんについて語る大平サブローさん

 80年代の漫才ブームに「太平サブロー・シロー」として活躍し、9日に55歳の若さで亡くなった大平シローさんの元相方、大平サブローさん(55)が10日、大阪市中央区の吉本興業本社で会見し、シローさんについて語った。サブローさんは4年前に2人で食事をしながら、シローさんから「もういっぺんサブロー・シローっていうのどう? どうなんや」とコンビ復活を打診されたことなどを明かした。会見全文は次の通り。(毎日新聞デジタル)

ウナギノボリ

 −−シローさん死去の知らせはいつ、どこで知りましたか?

 倒れたというのは彼が天国へ行く3日前に弟子からメールがあり、えっということになったんですけど。前にも心臓の具合が悪くて倒れたと聞いていたので、まあ2回目だから大丈夫かなとちょっと軽く思っていたんですが。その後すぐ来た連絡が意識がないと聞いたので、かなり心配してました。でも回復するやろなと思って様子をみてたら、見舞いにも行けない状況らしくて、面会謝絶ときいて、聞くたびに重さが増してたんで……。

 昨日(9日)の(午後)3時すぎに弟子からメールが入り、ご他界されましたと。ちょっと信じられないなと。もともと学生時代、陸上選手で、短距離はデブになってからでも相当速かったんです。ちょっと太ってからでも運動能力はかなり高かったんです。そういう部分でいうと、僕は走るのも遅くて全然ダメだったんで、体力的には全然問題ないだろなとは思っていたんですが、年齢重ねてきておじさんになってきて、まあそこそこは摂生はしてくれてるのかなあと思うてはいたんですが、骨の髄まで芸人の人ですから、おそらく最後まで芸人、飲んで、好きなもの食べて、たばこも吸って、逝ってしまったのかなあという、そんな思いが昨日からジワジワ来てますね。

 −−病気らしい病気は3年前(に倒れたの)が初めてだったんですか。

 ですねえ。3年前ちょっと心臓の調子が悪いって聞きました。あとは年齢的なものはあるなとは思ったけど、ちょっと太ってたから、起こるならそこかなとは思ってましたが、それが原因で逝くとは思わなかったですね。

 −−最近連絡を取ったのは?

 冷たいもんでございましてね、コンビは20年前に解散して、その後、吉本に先帰りまして、彼が帰ってきてから何度か、すれ違った時にあいさつしたり、ちょっと楽屋のぞきに行ったり、そんなことも何度かありながら、そうですねえ、なんか彼もシャイな人で、僕もちょっと彼がシャイなのでちょっと行けんところがあったり。そんなことしながらですけど、4年前に、ちょっと2人でご飯を食べたことがありまして、個室でね。なんで解散したんやろな?という話をした時に、本当に夫婦みたいなもんですね。ボタンの掛け違い。「えっ、お前があんとき止めに来てくれるやろと思った」って言うんでね。僕は帰ってくるやろと思った。このことで2人で笑い合いしてね、しょーもないことで別れてもうたなあ、こんなんで終わったんかあ、みたいな話を2人でして、大阪のミナミの八幡筋の小料理屋さんでご飯を食べて、久しぶりに。

 昔、若いときはずーっとミナミで遊んでて、一緒に2人で。心斎橋や道頓堀でウロウロしてたことがあって、道頓堀まで歩こうか?って2人でずーっと心斎橋から歩いて道頓堀まで来たんですよ。で、「もういっぺんサブロー・シローっていうのどう、どうなんや、どんな思い?」みたいな話を彼が振ってきたんですけど、僕の中ではもうサブロー・シローというのは解散した時点で完全に終わっていたので、「シロー君、申し訳ないけど、僕の中ではそれはないねん」っていうと、そーかーって言ったときにすごい寂しそうな顔をしたんでね、そこが今一番ひっかかるというか、心に表情が残ってるんですけど、でもすぐに彼はニコッと笑って「そりゃそやわな、難しいもんな」って。

 一長一短にすぐ漫才コンビなんて、漫才はできてもコンビを作るのはなかなか難しいもんなあっていって、握手して、「ええ話できたわ」って言うて、さよならしたんですよ。それが4年前の道頓堀で、それからゆっくり話をする機会がなかったですね。一度だけ彼が経営する焼酎バーに行きましたけど、他のお客さんの手前があるので、彼のスタンスで構えていて、みんなで飲んだりしたんですが、お店の経営者の顔だったので、2人でじっくり話したのは4年前がラストですね。

 シローさんのお店に行ったのは焼酎バーに行った1回だけでした。行くとものすごく気を使ってるのが分かるんです。本当にわがままで豪快な人のわりに神経が意外なところ細いんで、すごく僕にすら気を使って。僕に普段宝物のようにしている瓶に入った焼酎を「サブやん、のむ?」とポンと出して、「サブやんのキープや」ってものすごく気を使って出すんですよ。それにこっちも気を使ってしまって。あんまり行くとしんどいのかなと思ったりもしたりして。会うのやったら2人の方がいいんかなあと、そんな思いになってましたね。ねえ、もうちょっと年いって、60歳ぐらいにお互いがなっていたら、話がもっといろんなこと、じいさんになってできていたのかなあと。僕は今年56歳になるんですけどね、60歳ぐらいになったらどんなじいさんになって、どんな話をしたのかなあと思いますね。それぐらい長いこと会ってません。

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 −−一番の思い出は? 

 そりゃあいっぱいありますね。もう、もともと友だち同士から組んだんで、面白かったですよ。彼は普段のほうが抜群に面白いんですよ。漫才ブームのときが面白いとかいっていただいたんですが、僕の中では、いやいや、普段飲みに行ってノッてるときの彼の方があれの数倍面白かったし、あれのまま舞台に出てたら、僕が相方に言うのもおかしいですけども、天才ですからね、ホント天才ですよ。引退しましたけど、島田紳助さんという超天才がいますけど、僕は負けず劣らずの近いくらいの天才やったと思いますね。すごい能力ありましたよ。僕はいつも、亡くなられたからではなく、その前から言うてますが、僕は彼の100分の1にも満たない、才能がないぐらいなんで、僕が一番知ってますね、彼の才能を。だから彼と漫才やれたお陰で、ラサール石井くんや桂雀々さんとやったり、西川きよし師匠とやすきよ師匠をやらせていただいた時も、やっぱりシローさんとやってたから、どんな方とでもツッコめると、彼に鍛えてもらいました。だからどなたとからんでも全然楽しく楽にやれるのは彼のお陰です。

 −−4年前もう一度漫才を組みたいという話の中で断ったという話がありましたが?

 断ったというか、組む気ある?と試すような感じできたんでね。僕の中では本当に、冷たいようなんですが、サブロー・シローは、みなさん分かんないと思うんですが、漫才って昔のネタを思い出してやるのは簡単なんですよ。だけど、もう1回始めて、あの当時の笑いをこれから作っていけるかというと、テレビ見はった人、あ、やっぱり、さびてんなあ、とか、あっ衰えてもうてるなあ、というサブロー・シローになるのは嫌やったんですよ。だから終わったと言うたのもそこなんです。たぶんシローさんもそこはわかってくれてたんじゃないのかなあという気はするんですけどね。だからよく言ってもらいましたよ、ほんと、もういっぺん組んだらええのに、もういっぺん見たいとか、たくさんの方に言っていただいて、ありがたいコンビやったなあと。今ようやくサブロー・シローを客観的に見られるようになったんで、自分の漫才見て自分で笑えますしね。DVDとか見て。このサブローさんのツッコミうまいなとか、このシローさんのボケ絶妙やなとか、ホントに客観的に批評しながら見られるぐらいのスタンスにまでなったんですけど、それぐらい作るのは難しいと思います。だから無理だったなあと思います。

 −−シローさんはどんな存在?

 うーん、芸能界に入った時に僕はホントに素人に近い状態で、彼は子役からやってましたから、彼は芸能界のいろんなしきたりとか人対人との接し方とか、ホントに全くのど素人でしたから、そこを厳しかったですけど手取り足取り教えていただいた人なんでねえ。もともと漫才に入る入り口を作ってくれたのは、レツゴー三匹のじゅん師匠のところに彼がお近づきになってやってたというのもあって、この世界の入り口になった、教えてもらった人なんで、友だちではあったんですが、やっぱりいろんな意味で足元に僕は及ばなかったなあと。芸とか才能とか追いつけなかったなあと。こんな言い方したら怒られるけど、逃げ切られてもうたなという、そんな感覚ですね、今。もうちょっと先になったら、たぶんもっと僕の中にしみわたってくるんでしょうね、つらさとか悲しみが。まだちょっとホントにピンときてないんですよ。こんなんもっと先の話でしょ、普通、70歳や80歳とかいう年代になってから来る話だと思っていたのが、こんな早くに来る話だとは思わなかったんで。今、冷静に話してますよね僕、おかしいですよねえ。それぐらい、ボーッとした話にしか感じてないんです。

 −−今一言声をかけるとしたら?

 僕らも何年先になるか分からんけど行きますけど、気い使いなんで、まだ上行って誰かに気い使いながら背中丸めてどっか端っこに座ったりせんと、もう堂々と真ん中で好きなこというて好きなもの食べてやっていただいたらええんちゃいますか。天国行って、タイミングが合えば僕も後でゆくゆく行きますから、お互い元気で変わらんかったらあの世でサブロー・シローやっても面白いかなあ思いますんで、まあ、待っとってやあ、いう言葉が正しいんですかねえ。

 −−コンビ結成36(サブロー)周年で気合の入った年にこの訃報をどうとらえていますか。

 36年のイベントが近づくにつれ、過去を振り返ることが多く、2人の写真や映像を見ることが多かったので、どうしてんのかなあと思うことは多かったんです。彼も36年なんです。だから、オレも忘れんといてやあみたいな、なんかそんなメッセージ性みたいなことが、彼なりの表現で遠回りで来たのかなあという気が、せんでもないんですけど、それはこんな形じゃないやろうと。もっとそれだったら違う形だったら。らしいといえばらしいんですが、寂しいなあという、そんな感じですね。この振り返らせ方がね。だけど、まあ、彼の中で36年をどうとらえてんのやろなあという思いはありますけど、彼はシローですんで、天国で46年をやるんちゃうのかなあと。あと10年後で僕が駆けつけるのは、僕の中ではやや早いかなあと思うので、66年ぐらいまで頑張っててもろうて、66年ぐらいに向こうでやれたらなあ思いますけど。でも、どんなんですかねえ、これ、このタイミングは思いませんでしたね。

 −−4年前の再結成の打診は意外でしたか?

 「組まへんかあ?」ではなくて、「もういっぺんやるとしたらどう思う?」という言い回しだったんで。ひょっとして彼が三つ指ついて来られてたら、僕ももうちょっと違う返事になってたかもしれないけど。彼はね、これはホントに僕のおごりですけどね、彼に対してええツッコミできるのは僕だけやったんやないかなあと、たぶんやめてから分かったんだと思うんですよ。僕の中でも自負がちょっとだけあって。その後、若い人と組んだりしたけど続かなかったじゃないですか。僕が一番心地よい相手やったんでしょうねえ。だから、僕もいろんな方と漫才やらしてもらいましたが、サブロー・シローでドカーンとうけていたウルトラ爆笑に至った漫才は、僕としてやった漫才ではなかったですね。あの爆笑を取れたのはなかったですねえ。

 僕よう笑ってて、お前よう笑うなあと見てる人に言われたんですが、本気で笑わすんですよ。たまにお客さん笑ってないのに僕だけ笑い転げてることがあって、それは彼は僕と袖だけ笑わすんですよ。それで袖が若手とか仲間で山盛りになるんですよ。最近、袖に芸人さんがたまる漫才師さんが少なくなったなあとよく言うんですが。その代わりダメなときは客席シーン。あれが天才にありがちなムラというもので。だからよく(オール)巨人さんに言われたんです。「君んとこはホンマ0点か120点やなあ」と。

 −−ご遺体とは対面したんですか。

 まだなんです。できれば通夜、告別式に行きたいんですが、そこは会社と相談しながら。できれば顔は見たいです。お別れの会はやりたいと思います。具体的には何も上がってないんですが、ちょっと落ち着いてから会社と相談したい。

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