テレビ質問状:「いま甦る幻の映画『ひろしま』」 被爆からわずか8年後に広島で撮影

被爆からわずか8年後に広島で撮影された映画「ひろしま」 (C)奇跡への情熱プロジェクト
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被爆からわずか8年後に広島で撮影された映画「ひろしま」 (C)奇跡への情熱プロジェクト

 WOWOWは毎週土曜午後1時に「WOWOWオリジナルドキュメンタリー」枠として、「ノンフィクションW」と「国際共同制作プロジェクト」の2番組を両輪に、国内外のさまざまなテーマを扱ったオリジナルのドキュメンタリー番組を放送している。8月15日に放送される「ノンフィクションW いま甦る幻の映画『ひろしま』~受け継がれていく映画人の想い~」のプロデューサーを務めたWOWOWの制作部の曽山睦子さんに、番組の魅力を聞いた。

ウナギノボリ

 --番組の概要と魅力は?

 原爆の惨状を訴える映画「ひろしま」が、被爆からわずか8年後に広島で撮影されました。被爆者を含むのべ9万人がエキストラとして参加し、壮大なスケールで描かれたにもかかわらず、時代に翻弄され、広く見られることはありませんでした。2008年、この映画で助監督を務めた熊井啓さんが残した200点に及ぶ製作資料を託された一人の男が動き出します。被爆から70年、映画製作に尽力した人々、この映画を一人でも多くの人に見てもらいたいと再上映に向けて奔走する人々の熱い思いを感じていただきたいと思います。

 --今回のテーマを取り上げたきっかけと理由は?

 制作会社の方から企画提案をいただいた時の正直な気持ちは、「やられた!」です。実は私は広島生まれで、これまでも原爆に関する取材にも多く携わってきました。しかし、映画「ひろしま」の存在を知らなかったのです。被爆からわずか8年後の広島で製作した映画人やエキストラとして参加した被爆者の方々の「伝えなければ」という思いが今を生きる映画人へと受け継がれ、半世紀余の年月を経てこの映画をよみがえらせます。さらに、「この事実を、今、伝えなければ」と(番組を)企画してくださった制作会社の方の思いを、我々もしっかりと受けとめたいと思いました。

 --制作中、一番に心掛けたことは?

 映画「ひろしま」には、さまざまな形で多くの人が関わっています。複雑な思いを抱えながらも、「今だからこそ」と語ってくださった方もおられます。そこにあるのは「この映画の存在を一人でも多くの人に知ってもらいたい、被爆の惨状を知ってほしい」という、映画製作当時と変わらぬ思いでした。一人一人の思いを大切に、しっかりと伝え、受け継いでいかなければと思いました。

 --番組を作る上でうれしかったこと、逆に大変だったエピソードは?

 番組の企画を立ち上げて間もなく、映画「ひろしま」の再上映に最も情熱を注いでいた方=番組の核となるであろうと考えていた映画プロデューサーが病気で急逝されました。突然バトンを受け継いだのは、その息子さんでした。戸惑いながらも、周囲の人々と力を合わせて、再上映の会場を一つ、また一つと増やしていかれました。日本各地の上映会場で、さらなる熱い思いが広がったのです。

 --番組の見どころを教えてください。

 映画「ひろしま」には、社会派映画の巨匠・熊井啓監督が、助監督見習いとして参加し、多くの資料を残しています。番組ではこの貴重な資料を元に、被爆からわずか8年の広島で、壮大かつリアリティーあふれる映画がどのようにして撮影されたかもひもといています。特撮もCGもない時代に、これほどの映画が作られた過程からも、関わった人々の思いを感じていただくことができます。

 --視聴者へ一言お願いします。

 映画「ひろしま」は、WOWOWメンバーズ・オンデマンドで配信中です。ノンフィクションWと併せてご覧ください。そして、「被爆から70年の今、感じたこと」を、伝えていっていただければと思います。

 WOWOW 制作部 プロデューサー 曽山睦子

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