テレビ質問状:「撮影監督ハリー三村のヒロシマ」 原爆投下から半年後の広島を撮った名カメラマン

原爆投下から半年後の広島の惨状をカラーフィルムに収めた三村明さん
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原爆投下から半年後の広島の惨状をカラーフィルムに収めた三村明さん

 WOWOWは毎週土曜午後1時に「WOWOWオリジナルドキュメンタリー」枠として、「ノンフィクションW」と「国際共同制作プロジェクト」の2番組を両輪に、国内外のさまざまなテーマを扱ったオリジナルのドキュメンタリー番組を放送している。8月8日に放送される「ノンフィクションW 撮影監督ハリー三村のヒロシマ ~カラーフィルムに残された復興への祈り~」のプロデューサーを務めたWOWOWの映画部の小野秀樹さんに、番組の魅力を聞いた。

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 --番組の概要と魅力は?

 “ハリー三村”こと三村明は、黒澤明の監督デビュー作「姿三四郎」や山中貞雄監督の「人情紙風船」など数々の名作の撮影を手掛けた、日本映画界を代表する映画カメラマンです。と同時に、原爆投下から半年後の広島の惨状をカラーフィルムに収めた唯一の日本人でもあります。この番組では、アメリカ・ワシントンD.C.の国立公文書館に眠るカラーフィルムをハイビジョン画質でよみがえらせ、彼が残した200字詰原稿用紙1753枚もの膨大(ぼうだい)な手記をひもときながら、三村の運命と思いに迫ります。

 --今回のテーマを取り上げたきっかけと理由は?

 普段私は、映画の放送権の買い付けに携わっていて、三村明が撮影した映画は見ているし、彼が広島の惨状を記録したことは知識としてはありました。しかし、アメリカ国立公文書館にその貴重なカラーフィルムが保管されていること、遺族が膨大な手記を大切に保存していることなどはまったく知りませんでした。映画評論家の清水節さんにそのことを教えられ、清水さんを企画・監修に迎えて制作がスタートしました。

 --制作中、一番に心掛けたことは?

 三村明は18歳で渡米しますが、当時の米西海岸では排日運動が吹き荒れていました。英語を学ぶために編入した現地の小学校で三村が取った行動とは? ハリウッドの撮影所でストライキが起きたときの三村の選択は? 三村の撮影技術や仕事だけでなく、手記から読み取れる日米の架け橋になろうとした三村の思いを描こうとしました。

 --番組を作る上でうれしかったこと、逆に大変だったエピソードは?

 取材しながらカットしたエピソードが無数にあります。例えば、映画評論家の淀川長治さんは、旧制中学時代にハリウッドで活躍する三村明にファンレターを出して返信を受け取り、その感激を自伝につづっています。淀川さんが読んだ悼辞の実物もお借りしたのですが、番組では紹介できませんでした。

 また、三村は「女優を美しく撮る」ことで名高く、名女優たちが「ハリーさんに撮ってほしい」と懇願したと伝えられています。三村が撮影した映画の名シーンももっとお見せしたいのですが、放送時間に収まらず泣く泣くあきらめました。10月に放送する「銀座化粧」は、田中絹代と香川京子を三村が撮った名作ですので、ぜひご覧ください。

 --番組の見どころを教えてください。

 三村は原爆投下から半年後の広島に派遣されますが、本来の彼の役割はただ記録フィルムに撮影するだけのはずでした。しかし、熟達のカメラマン三村の撮影する映像からは、記録というだけに収まらないものが伝わってきます。その映像を分析するのは、映画「311」の森達也監督、映画「かぞくのくに」のヤン・ヨンヒ監督らです。独自の深い読みから三村の思いが浮かび上がります。

 --視聴者へ一言お願いします。

 三村明の長男で米ロサンゼルスに在住のケネス・ミムラさんは、父親の手記を読んで「ナイスガイだったという感じですね」と語っています。カメラマンとしての業績だけではなく、三村明の人柄も感じととっていただけたらと思います。

 WOWOW 映画部 プロデューサー 小野秀樹

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