アメリカ横断ウルトラクイズ:敗者がスターの番組を……スタッフが明かす誕生&制作秘話

「ニューヨークヘ行きたいか!」の名調子も懐かしい“伝説のクイズ番組”「アメリカ横断ウルトラクイズ」(C)NTV
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「ニューヨークヘ行きたいか!」の名調子も懐かしい“伝説のクイズ番組”「アメリカ横断ウルトラクイズ」(C)NTV

 アメリカ大陸を横断しながら1000問以上の難題に挑戦し、ニューヨークを目指す視聴者参加型の超大型クイズ番組「アメリカ横断ウルトラクイズ」。日本テレビ系で1977年から90年代にかけて全17回にわたって放送された大人気番組の第12回大会(1988年)が、CS放送「ファミリー劇場」で6月に放送される。DVD化はされておらず、四半世紀ぶりにテレビに登場する“伝説のクイズ番組”について、第12回から海外リポーターを務めた元同局アナウンサーの小倉淳さんと、第1回から構成を手掛けた放送作家の萩原津年武(つとむ)さんの裏話を交えながら改めて振り返った。

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 ◇社会現象を巻き起こした伝説のクイズ番組

 アメリカ横断ウルトラクイズは、日本テレビ系で1977年から90年代にかけて全17回にわたって放送された視聴者参加型のクイズ番組。参加者は「知力・体力・時の運」を合言葉に、アメリカ大陸を横断しながら途中のチェックポイントで、さまざまなクイズに挑み、決勝の地であるニューヨークを目指す。クイズに敗れるとその場で帰国させられるとともに情け容赦のない罰ゲームが課される。

 番組のスケールの大きさはもちろん、後楽園球場や東京ドームでの「○×クイズ」、成田空港でのじゃんけん、飛行機内でのペーパークイズ、「どろんこクイズ」や「バラマキクイズ」などの名物企画も人気を集めた。初代の出題者だった同局アナウンサー(当時)の福留功男さんの「ニューヨークへ行きたいか!」「罰ゲームは怖くないか!」などの名フレーズも話題になり、社会現象を巻き起こした。

 ◇逆転の発想から企画 「敗者がスターの番組を」

 記念すべき第1回大会は1977年に放送された。当時は米国本土を旅行できる日本人はまだまだ少なかった時代。当時人気だったクイズ番組「アップダウンクイズ」の優勝商品はハワイ旅行だった。萩原さんは同番組に対抗し、「けちなことは言わず、ニューヨークを目指して連れて行ったらどうかという逆転の発想から作った。敗者がスターの番組を作ろうと思った」と振り返る。

 いくつかのテレビ局に企画を持ち込んだが、ほとんど相手にされなかったが、日本テレビのプロデューサーだけが興味を示した。「これは面白い。やれ。お金のことは心配するな」。萩原さんは「ばかばかしい大風呂敷が実現しちゃった」と苦笑交じりに明かす。

 ◇大量の荷物、膨大な問題数に四苦八苦

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 番組では約1カ月の間、アメリカを中心に移動しながら撮影を行った。当時は荷物の運搬などでスタッフも重労働だった。第12回から海外リポーターを務めた小倉さんは「(機材の)ジュラルミンケースは130個。私物は1人スーツケース1個。バスに乗せて、空港に着いたら降ろし、カウンターに入れて、現地について降りると、バスに乗せて、宿に着いたら運び出し、技術の人たちは壊れていないか全部通電チェックをして……」とテレビには映らない裏方の苦労を明かす。

 スケールの大きな番組だけに、クイズの数も膨大で、スタッフ約40人がかりで5カ月かけて約1万問のクイズを用意した。小倉さんは「(毎週行われる)問題会議で僕が問題を出すと、萩原さんたちが『それは7回大会の第5チェックポイントの6問目だから』と(ダメ出しされた)。覚えっぷりはすごかった」と舌を巻く。中でも問題作成で一番大変だったのは第1問。「自由の女神」関連の○×クイズが恒例で、萩原さんは「毎年100~200問作って、1個採用されるだけ。絶対に紙媒体に書いていることは問題しては駄目で、自分たちが発想した問題じゃなかったら駄目だった」と明かす。

◇「毎年赤字」「今ならコンプライアンス違反」

 総制作費も大型だった。萩原さんは「すごい(額)です。毎年赤字だそうです。それが毎年どんどん膨らんでいったらしい」と苦笑いで明かしつつ、「こんなぜいたく、今はできないですよね」としみじみと語る。小倉さんは「日本テレビは海外に行くと残業代がつかないんです。行っているとき、僕らの働いている時間は1日8時間、週5日分しか給料がもらなくて、(海外撮影から)帰ってくると、その月は税金も引かれて14万円くらいになった。『ウルトラクイズにいって貧乏になってない?』って話になるんです」と苦笑交じりにエピソードを語る。

 今回ファミリー劇場で放送されるのは、総勢2万774人が参加し、北は米国アラスカのバロー、南はアルゼンチンのフエゴ島まで大陸を“縦断”してニューヨークを目指す大スケールで行われた1988年放送の第12回。小倉さんは「『アメリカ横断』なのに、(大陸の)北から南まで移動するってむちゃに決まっている。アラスカ鉄道をクイズで旅したんだけど、クイズのために鉄道を2分間止めた。今だと会社のコンプライアンス違反になってできないですよ。罰ゲームで女の子をボートで流すとか……、できないですよね」と苦笑いする。萩原さんは番組を知らない視聴者に向けて「スケールの大きさを見てほしい」と呼びかけ、「20~30年前の作品だけど、今見てもこの番組は古く見えないですよね」と誇らしげに語った。

 ファミリー劇場では、「史上最大!第12回アメリカ横断ウルトラクイズ」(全5回)を、6月の6、13、20日の3回に分けて、いずれも午後8時から放送予定。同22日には午前10時から全5回を一挙放送。小倉さんと萩原さんが出演するPR特番「今だから話せるウルトラクイズ丸秘証言集」も予定しており、「構成作家編」を1日、「美術・裏方スタッフ編」を13日、「挑戦者編」を20日に放送する。

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