初代林家三平(1925~80)の妻で林家正蔵さん、二代目三平さんの母、海老名香葉子さん(83)にとって、最もつらい日、そして大事な日が今年もやってくる。1945(昭和20)年3月9日の夜から10日未明にかけて、米国による「東京大空襲」で10万人以上の都民が命を失った。あれから七十余年。おかみさんは今年も9日に、東京・上野で犠牲者を慰霊する「時忘れじの集い」を開く。おかみさんに思いを聞いた。
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東京・根岸の海老名家。初代三平の貴重な資料を展示する「ねぎし三平堂」も併設されている。「ごびさたしてます」とうかがうと、おかみさんはさっそく大きな写真を見せてくれた。
三平さんと国分佐智子さん夫妻の第1子で、昨年11月に生まれた長男、柊乃助(しゅうのすけ)ちゃんだ。三平さんが出演中の「笑点」(日本テレビ系)で名前を公募したことも話題になった。
写真の柊乃助ちゃんは生まれた直後なのに笑っている。「面白い赤ん坊なんですよ。見てください。生まれた時から笑ってるの」とおかみさんもうれしそうだ。一門には林家しゅう平師匠がいる。「なんて呼ぶんですか」と聞くと「そうなの。しゅうちゃんだと同じになっちゃうでしょ。じゃあ、『しゅっしゅ』でいいやと、でも『ちゅっちゅ』と呼んでるようで」と笑顔がこぼれる。
正蔵さんは現在、東京・日比谷の日生劇場で、今井翼さん主演、映画監督の山田洋次さん脚本・演出を手がける音楽劇「マリウス」に出演中だ(27日まで)。「最後に一人で歌を歌うんですよ。あんたが歌えるの?って」と尋ねたという。正蔵さんも54歳。父・先代三平師匠と同い年になった。
おかみさんは11歳の時、東京大空襲で、父、母、祖母、兄2人と弟の家族6人を失った。疎開していたおかみさんは、家族の遺体を捜し続けたが、見つからなかった。
「天災は防ごうと思えば防げますが、戦争はそうじゃないですよね。人が人を殺し合う。止めようと思えば止められます。ですから、絶対に戦争はいけません。今、慰安婦問題にしても拉致問題にしても未解決のままですよね、東京大空襲はなおさら未解決です。私の家族も、ここで亡くなったらしいというのは分かっても、骨を拾えない。死んだ人は無念の死です。それを供養してあげないといけない」
東京都墨田区には東京都慰霊堂があるが、これは関東大震災の慰霊堂に東京大空襲で身元不明の遺骨を納め、死亡者の霊を合祀(ごうし)したもの。
東京大空襲の犠牲者の碑をなんとか造りたい。そんな思いから、おかみさんは2005年、東京・上野に「哀しみの東京大空襲」「時忘れじの塔」を建立し、毎年3月9日に空襲犠牲者を慰霊する集い「時忘れじの集い」を自分が主催者として開いている。年々参加者も、そして詩や歌を披露する子どもたちも増え続けている。そして驚くことに、政治家も自民党から共産党まで、おかみさんの思いを知るまさに超党派の議員が毎年参加している。
そして、海老名家の家族、一門の弟子たちも朝から集いの手伝いに励む。「平和がなければ笑えません」とおかみさんはいう。この集いの足しになればと、今もおかみさんは講演会に足を運ぶ。「働かなくちゃ、まだまだ。85歳までは働こうと思ってましたが、あと5年は働きたい」という。「最近は、お金がかかるでしょうからと、3000円とか1000円とか貯金や年金とかから送ってくださるんです、ありがたいことです」と喜ぶ。
いつもは寄席でお客さんを笑わせる正蔵さん、三平さん、海老名家の皆さん、そして一門の皆さんが、この日だけは、おかみさんのために、そして東京大空襲で亡くなった人のために、裏方として集いの成功のために朝から働いている。平和にこだわるおかみさんの姿を、ぜひ見に行って応援していただきたい。
9日の「時忘れじの集い」は2部構成。慰霊碑「哀しみの東京大空襲」供養式は午前10時、東叡山現龍院の慰霊碑前で。正蔵さんも芝居の出演前に駆けつける。
平和の母子像「時忘れじの塔」 記念式典は午前11時半、上野公園いこいの広場「時忘れじの塔」前で。詳しくは「ねぎし三平堂」ホームページ(http://www.sanpeido.com)。(油井雅和/毎日新聞)