横山裕:中学卒業後、建設会社に就職 作業着のままレッスンも 「24時間テレビ」“走る理由”が明らかに

「24時間テレビ48-愛は地球を救う-」で、チャリティーランナーを務める横山裕さん
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「24時間テレビ48-愛は地球を救う-」で、チャリティーランナーを務める横山裕さん

 8月30、31日に日本テレビ系で放送される「24時間テレビ48-愛は地球を救う-」で、チャリティーランナーを務める人気グループ「SUPER EIGHT」の横山裕さんの“走る理由”が明かされた。

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 横山さんは大阪生まれで、本名は候隆(きみたか)。3歳のとき両親が離婚、シングルマザー家庭で育った。当時の暮らしを「うち貧乏やったと思うんですけど、オカンがそれを感じさせなかった。とにかく子供ファーストで、自分のことより子どもに何かしてあげな、という人だった。裕福ではなかったけど、幸せだった」と振り返った。

 やがて母が再婚し、名字が横山となるが2人目の父との仲は必ずしも良好ではなく、自分の居場所がないような気持ちになったことも。そんなとき心の支えになったのは、6歳差と8歳差で生まれてきた2人の弟たち。兄を慕って、どこにでもついてくる弟たちが可愛くて仕方なかった。

 しかし、生活に余裕があったとはいいがたく、中学卒業後、建設会社に就職。家計の負担を考えての選択だった。工事現場で働きながら、やがてタレント活動をスタートさせた。時には作業着のまま事務所のレッスンなどに行くこともあった。

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 働きながらの自分が、芸能界で光をつかむことはできるのか……葛藤しながら、人知れず自己研さんを積む日々が続いた。やがてその努力が身を結び活躍の場が広がって、10代にして単身、関西から東京に拠点を移した。

 そんなある日、母が重い病に倒れてしまう。やがて、2度目の離婚。生活は立ち行かなくなり、幼い弟は児童養護施設のお世話になることになった。10代だった横山さんは、生きるために、また家族で暮らすためにと、東京でいっそう仕事にまい進。ひたむきな日々の中、ずっと心に引っかかっていたのは「離れて暮らす弟たちはどんな思いで過ごしているのか」ということだった。

 横山さんは、20年ぶりに弟たちがお世話になっていた児童養護施設を訪問。「あの頃、弟はどんな風に暮らして、どんな思いだったのだろう」。当時を知る先生たちに熱心に話を聞く横山さんが読ませてもらったのは、当時、先生たちがつけていた日誌。そこには横山さんの知らなかった弟の様子が、細かく記されていた。

 横山がテレビに出演しているのを見た弟が、小さな声で「きみ兄ちゃんだ」とつぶやき、近くにいた先生に抱きついて喜びを体で表現していたこと。遠く離れた東京にいる兄をテレビで見られてうれしい反面、会いたい気持ちがあふれ、その夜は眠りにつく前にホームシックになってしまったこと。兄が忙しいスケジュールのあいまをぬって迎えに来てくれたときは、満面の笑顔だったこと。

 横山さんは「自身の子ども時代を振り返り、いま、支援が必要な子どもたちを支援したい」という決意を語ってきた。そこには、横山さんの生い立ちや、2人の弟と亡き母への深い愛が強く結びついていたのだった。

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