乙葉しおりの朗読倶楽部:第10回 夏目漱石「夢十夜 第一夜、第二夜」 夢覚えてますか?

「文鳥・夢十夜」作・夏目漱石(新潮文庫)の表紙(左)と乙葉しおりさん
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「文鳥・夢十夜」作・夏目漱石(新潮文庫)の表紙(左)と乙葉しおりさん

 美少女キャラクターが名作を朗読してくれるiPhoneアプリ「朗読少女」。7月から配信され、これまでに20万ダウンロードを突破する人気アプリとなっている。「朗読少女」で、本の朗読をしてくれるキャラクター、乙葉しおりさんが「朗読倶楽部」の活動報告と名作を紹介する「乙葉しおりの朗読倶楽部」。第10回は、夏目漱石の「夢十夜 第一夜、第二夜」だ。

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 みなさんこんにちは、乙葉しおりです。

 前回お休みしてしまいましたが、2月11日は建国記念の日でした。

 国民の祝日は、1948年に制定された祝日法が元になっているそうですが、建国記念の日が決まったのはそれより後の1966年。

 1948年に廃止された、「紀元節」という2月11日の休日が復活する形で制定されたそうです。

 そして、2月14日はバレンタインデーでした。

 こちらは祝日ではありませんが、男女が愛を誓い合う日として、世界各国で行われている一大イベントですね(*^^*)

 いつごろから始まったことなのかはさまざまな説がありますが、「チョコレート」と贈り物を決めているのは日本独自の風習のようです。

 最近では男性から女性に贈る逆チョコなんてお話もありますけど、みなさんはどんなチョコを贈り、あるいはもらいましたか?

 私は、家族と、倶楽部のみんなに友チョコを作りました。

 え? 本命チョコを作る予定……ですか?

 そ、そんなとんでもないです、私にはそういうのは、まだまだですから……(>_<)

 ではここで、朗読倶楽部の部員紹介のお話に移りますね!

 朗読倶楽部の部員ご紹介の2人目は、私のクラスメートでお友達の甲原(かんばら)みかえさんのお話をさせていただきます。

 みかえさんは、朗読倶楽部の結成前に、最初に私を文芸部に誘ってくれた人です。

 あの時のメンバーの誰が欠けても今の朗読倶楽部はありませんが、それもすべてはみかえさんが文芸部を存続させるために始めたことで、みかえさんあっての朗読倶楽部であることは間違いありません。

 最初に文芸部を志望していたこともあって、詩と小説を書くことが好きで、よく作品を読ませてもらっています。

 「恥ずかしいから」と言って、朗読はさせてもらえないのですが……

 また、和洋問わずお茶全般が好きで、練習の後にみかえさんがいれてくれるお茶は、倶楽部では欠かせないものになっています。

 大人っぽくて穏やかで、私と同じ高校2年生とは思えないというか、私が普通より子供っぽく見えるだけなのかもしれませんが、2人で街を歩いていたときに姉妹と間違われたときは少し落ち込みました……(>_<)

 でも、みかえさんはみかえさんで、実年齢より大人に見られることを気にしているようで……実は、みかえさんは今の高校に入学する前に1年ほど海外留学をしていて、私よりひとつ年上なのです。

 まだまだみかえさんのことをご紹介したいのですけれど、続きは次回のお楽しみです。

 次のお話もまた、よろしくお願いしますね(^−^)

■しおりの本の小道 夏目漱石「夢十夜 第一夜、第二夜」

 こんにちは、第10回となる今回ご紹介する一冊は、10の数字にちなんで夏目漱石さんの「夢十夜」から、第一夜と第二夜をご紹介させていただきます。

 「こんな夢を見た」という書き出しで有名な夢十夜は、1908年の朝日新聞に10回連続で、第一夜から第十夜までが連載されました。

 当時の夏目漱石さんは前年の1907年に教職を辞した後、朝日新聞社に入社して本格的に作家としての道を歩み始めていました。

 「漱石前期三部作」の最初のお話となる「三四郎」も、この「夢十夜」の翌月に連載を開始しています。

 【第一夜あらすじ】

 死の床についた女性から、「私が死んだらお墓を建て、側で百年待ってほしい、また逢いに来る」と頼まれた「自分」。

 女性は顔に赤みが差していて死んでしまいそうには見えませんでしたが、本人が死ぬという以上はそうなのだろうと冷静に受け止め、百年待つことを約束します。

 女性は「自分」が願いを聞き入れた瞬間、一筋の涙を流して亡くなってしまいます。

 言われたとおりにお墓をつくり、そのかたわらで日が昇り沈んでいくさまを見ながら、「自分」は彼女を待ち続けます。

 【第二夜あらすじ】

 侍でありながら「無の境地」が悟れていないと和尚さんに説教され、人間の屑とまで言われてしまった「自分」は、ある決意をします。

 置き時計が次の時刻を知らせるまでに必ず悟りを開き、「自分」を辱めた和尚さんを切るか、もし悟れなければ、自らを切って命を絶つと。

 ところが、無とは何かを考えれば考えるほど、自分をとりまく周囲の雑念ばかりが頭に浮かんでしまうのでした。

 果たして、「自分」は無我の境地を悟ることはできるのでしょうか?

 みなさんは夢を見たとき、どんな夢を見たのか、その内容を覚えていますか?

 夢って、見た直後ははっきりと覚えているはずなのに、ほんの少し時間がたっただけで、すーっと忘れちゃいますよね。

 そんなとき、自分で見た夢をメモにとれば、みなさん一人一人の夢十夜が作れるかもしれませんよ?

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