悪の教典:三池崇史監督に聞く 久々のバイオレンス映画「やっぱりハスミンみたいな人が好き」

最新作「悪の教典」について語った三池崇史監督
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最新作「悪の教典」について語った三池崇史監督

 貴志祐介さんのベストセラー小説を、伊藤英明さん主演で映画化した「悪の教典」が、10日から全国で公開された。同僚教師からの信望が厚く、生徒たちからも「ハスミン」と呼ばれて慕われる高校教師、蓮実聖司は、実は、共感能力を欠くサイコパス(反社会性人格障害)で、自らの保身のために恐るべき凶行に及んでいく衝撃作だ。メガホンをとったのは三池崇史監督。今回は脚本も自ら書いた。最近は「十三人の刺客」(10年)や「一命」(11年)といった時代劇や「忍たま乱太郎」(11年)などのファミリー映画を手がけているが、かつては、95年の劇場デビュー作「新宿黒社会 チャイナ・マフィア戦争」や01年の「殺し屋1」など、多くのバイオレンス映画を撮っていた三池監督。久しぶりにバイオレンスの描写が多い、「R15」指定の最新作「悪の教典」について三池監督に話を聞いた。(りんたいこ/毎日新聞デジタル)

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 ◇「映画の意義」はハスミンには通用しない

 −−三池監督が脚本を書くのはめずらしいですね。

 脚本というのは、原作者はもとより、製作にかかわるいろんな人の意向を受け止めて書くことが必要で、僕はそういうことがあまり得意じゃないので、これまであまり書いてきませんでした。今回も、実は別の台本があったんです。なるほど映画的にはこうですよね、というような台本が。でも、「悪の教典」だからなあということで、ちょっと自分で書いてみてもいいですかと書かせていただいたんです。

 −−すでにあった台本がしっくりこなかったのですか?

 もっとシンプルでいいんじゃないですか、ということです。その台本は、映画的にいろいろ考え過ぎていた。たくさんの人を殺すことの建前が必要だったり、映画の意義みたいなものだったり。でも、それはハスミンには通用しないんです。例えば、アーチェリーを持った生徒は、最初は怖かったけど勇気を振りしぼって戻ってきて、友だちが転ぶの見て、その子の名前を呼んじゃって、かえって迷惑かけちゃう。でも、現実ってそんな感じじゃないですか。それを映画では、努力すると何かが報われるとか、それが美しいものだということを表現しようとする。でも、そこでダメになってしまう覚悟さえ持っていれば、どういう選択をするかはその人次第だと思うんです。

 蓮実にしても、うそで固めていたものがボロボロと正体を現してしまう。そこがやっぱり、貴志(祐介)先生が書かれた「悪の教典」の一番の魅力ではないかと思うんです。だからこそみんな、ひどいやつだと思いながら、どこかで「ハスミン」と呼んでしまう、どこかで彼を応援している。恐ろしいのは、(観客が)差別をし始めているということ。映画を見ながら、ある人物が殺されたとき、その人の断片しか見ていないのに、先入観で「よくやった、こいつは死んでもいい」と思っていたりする。あるいは「この子がかわいそう」だと。でも、かわいそうって何? どこを見て哀れんでいるの? (蓮実を)ひどいやつだと思いながら、(散弾銃の腕前が)百発百中だと感心していたりする。そういう残酷な部分が、見ている人の心の中で自然に起こる。そこに気付いてもらえると、よりこの映画を楽しんでもらえるのではないかと思います。

 −−今回の作品はバイオレンス色が強く、久しぶりの“三池監督的映画”だと思うのですが、監督ご自身は“古巣に戻ってきたゾ”的な感覚はあるんですか?

 自分ではそんなふうには思っていなかったけれど、やっぱりハスミンみたいな人、好きなんですね。現場が楽しいんですよ。ハスミンや、ハスミンと対決する無力な子供たちとの仕事が楽しいんです。子供たちは、新人をたくさん使ってます。初めて弾着(弾が当たると血のりが飛ぶ仕掛け)をつけるような子たちで、「痛いんですか」とプルプル震えていたり、「もし失敗したら迷惑かけるんじゃないか」と本番前に泣き出しちゃいそうな子もいる。それでも練習して、「ダメかもしれないけど、本番、やっちゃおうぜ。お前、行けよ!」というと、「はいっ、頑張ります!」と見事にやるんですね。そういうのが楽しいんですよ。

 −−ライブ感を大切にした現場だったと聞いています。

 ライブ感というか、現場で生まれたノリですね。計算して、クライマックスといわれているところにピークをもっていくと、映画的には興奮する。それがうまい映画の作り方だけど、まあそれは、そういうことがうまい人にやってもらって(笑い)、僕らは「ここでピークが来ちゃった、どうなるの」と。ファーストシーンが一番面白くてもいいわけです。“その場”を優先させたということです。

 ◇生きることの方がよほどバイオレンス

 −−この作品がバイオレンス映画といわれることについてはどう思われますか。

 そもそも、人間の本質的なところがバイオレンスだと思います。そうでないと、人間は生き残っていないと思う。勝ち残った人間たちが、過去の自分たちがやってきたことをきれいさっぱり清算した状態で穏やかに生きている。生き残ってきたわれわれは、ずっとこういう平和な形を作っていけるんじゃないかと思っているけど、それは幻想で、いずれもろくも崩れる瞬間が来るわけです。そういうことを、ハスミンはあざ笑いながら教えてくれている。つまり、生きることそのものがバイオレンスなのであって、あの教室での惨劇は、バイオレンスという程度のものではないんです。

 −−そのハスミンを「海猿」の伊藤英明さんが演じています。三池監督としては最初から適任だったと?

 うん、僕の中ではね。伊藤くんはピュアなんです。子供みたいに純粋で、やんちゃなところがある。それは、「スキヤキ・ウエスタン ジャンゴ」(07年)のころから感じていました。役者として、すごく正直に生きてきて、その結果、今の状況を作っている。その点において、蓮実に近いんです。もちろん上手にお芝居をして、その役になり切れる人はいるでしょう。でも、あれは素だよねという、いいお芝居するのとは次元の違うキャラクターを今回は作りたかった。眼球というのは芝居のしようがないんですが、伊藤君のそれは、(蓮実の)狂気を表現している。この役に演技は邪魔なんです。その場の状況で感情が反射的に出る。ドンと撃って弾が当たると、やけにうれしそうな顔をしているときがある。でも次の瞬間には冷めている。なるほど、蓮実も興奮するんだと。そこに人間っぽさが出てくる。あれが(別の人が)“演じている”となると、ただの無表情になる。あの生っぽさというものは、伊藤英明の独特のものなんです。

 <プロフィル>

 1960年生まれ、大阪府出身。横浜放送映画専門学院を卒業後、今村昌平監督や恩地日出夫監督に師事。91年、監督デビュー。以来、極道モノからアクション、ホラー、ファミリー向け、青春ものなどジャンルを問わず作り続け、“器用な作り手”として名高く、海外での評価も高い。ほかの主な作品に「オーディション」(00年)、「着信アリ」(04年)、「妖怪大戦争」(05年)、「クローズZERO、2」(07、09年)、「スキヤキ・ウェスタン ジャンゴ」(07年)、「ヤッターマン」(09年)、「十三人の刺客」(10年)、「忍たま乱太郎」「一命」(ともに11年)。「逆転裁判」「愛と誠」(ともに12年)。

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