4人の俳優が12年間、一つの家族を演じるという画期的な映画を作り上げ、リチャード・リンクレイター監督が今年のベルリン国際映画祭で監督賞(銀熊賞)に輝いた「6才のボクが、大人になるまで。」が14日から全国で公開されている。6歳の少年から18歳の若者へと成長する主人公メイソンを演じたのは、オーディションで監督に見いだされた新星エラー・コルトレーンさん。メイソンの母をパトリシア・アークエットさんが演じ、リンクレイター監督の実娘ローレライ・リンクレイターさんがメイソンの姉を演じている。さらに、メイソンの父メイソンSr.を演じているのは、リンクレイター監督の「ウェイキング・ライフ」(2001年)にも出演していたイーサン・ホークさんだ。今作のアイデアを監督から聞いたとき二つ返事でオーケーしたというホークさんが、電話インタビューに応じた。
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ホークさんがこの映画のアイデアをリンクレイター監督から打ち明けられたのは01年。ちょうどホークさんが「トレーニング デイ」(01年)と「ウェイキング・ライフ」の撮影を終えた直後だった。リンクレイター監督とはそれまでに3本の映画で組み、信頼していたホークさんは、ためらうことなく話に乗った。当時は脚本はなく、あったのは、リンクレイター監督の頭の中の“青写真”と、「12年」という設定だけ。「普通は1年生で小学生になって、12年生で卒業して社会に出て行く。リチャード(・リンクレイター監督)は、その時代を撮りたかったんだ。それに、5~6歳から記憶を残すようになる人が多いしね」と監督の意図をホークさんは代弁する。
12年間の物語の中で、息子とともに成長していくメイソンSr.を演じたホークさん。そのキャラクターは、リンクレイター監督と話し合いながら作り上げていったという。「僕とリチャード(監督)は考え方がとてもよく似ているんだ。2人とも穏やかに話すテキサス出身の父親を持ち、その2人とも生命保険会社に勤めていた。そして、2度目の結婚で幸せを見つけているから、そういった部分も含めて、この作品にかなり影響していると思う。僕も、自分の経験や体験を映画に盛り込むように手伝ったよ」と語る。
ためらうことなく企画に乗ったホークさんだが、撮影中、不安がなかったわけではない。「(製作会社の)IFCフィルムが、倒産や合併、買収などされてしまうこと」もありえたからだ。幸いにもそのようなことにはならず、「やり遂げることができたのは、僕たちの選択が正しかったということと、IFCフィルムが僕たちを最後まで信じて資金を提供し続けてくれたからだ。普通の製作会社は、制作に12年もかける映画のプロジェクトになんて、まず乗ってくれないからね」と製作会社に対する謝意も忘れない。そして、ホークさん自身も「ハリウッドでは7年以上の契約はできないから、途中から契約なしの状態で参加していた」ということ、「誰かがやめると言ったらそこで終わってしまう可能性もあった」ことを打ち明け、完成させられたのはひとえに「みんながこの仕事が好きだったからさ」と感無量の様子だ。
ところで、ホークさんとリンクレイター監督の作品で思い浮かぶのが、あるカップルの18年間を3部構成で描いた「恋人までの距離(ディスタンス)」(1995年)をはじめとする「ビフォア」3部作だ。この3部作と今作の関係についてホークさんは「“時”について描くという点が共通していた」と指摘し、「今回の作品を撮っていたからこそ、(続編の)『ビフォア・サンセット』(04年)と『ビフォア・ミッドナイト』(13年)の脚本をリチャードと一緒に作ることができた」と互いに影響を及ぼし合っていたことを認める。また、アドリブに見えるような演技でも、そこには「自然な感じを作り上げるのがとても好き」なリンクレイター監督による「緻密に作り上げられた脚本」が常にあり、「アドリブは一切なかった」と否定した。
85年の「エクスプローラーズ」で俳優デビューしたホークさんだが、その存在を大きく世に知らしめたのは、出演2作目の「いまを生きる」(89年)だ。ホークさんにとってもこの作品は「自分の人生を変えたと最も強く思える作品」で、「最近になって改めてそれに気づかされた」という。というのも「『いまを生きる』が公開された時の僕の年齢と、(今回のメイソン役の)エラー・コルトレーンの今の年齢はちょうど同じ」だからだ。ホークさんは「いまを生きる」で共演し、今年8月に亡くなったロビン・ウィリアムズさんについて、「僕にとって恩師だし、僕を最初のエージェントに紹介してくれた人でもある」と語り、「ピーター・ウィアー監督には強いインスピレーションを受けた」という。そして「この作品で僕は、演技というものに初めて高揚感を感じた。ロビン・ウィリアムズが、ウォルト・ホイットマンの詩の引用を黒板に書くシーンで、僕のキャラクターに『詩を作ってみてくれ』と言うんだ。監督はそのシーンをワンテイクで撮ると決めた。僕はその時18歳で、初めて自分の考えで演技を作り上げなければいけなかった。その時の高揚した気分を、俳優として今もずっと追い求めているんだと思う」と振り返った。
俳優業にとどまらず、監督、脚本もこなし、作家としても精力的に活動しているホークさん。今月6日には44歳の誕生日を迎えた。今後の抱負をたずねると「やりたいことがいっぱいあるんだ!」と言い切り、「僕の人生の後半が、前半と同じくらいエキサイティングなものであるといいと思っている。宇宙を変えたいなんていう大それた抱負はないけれど、もっと映画を作りたい、それも、よりよいものをと思っているんだ。俳優としても、『いまを生きる』の頃よりずっとよくなっていると思うから、演技に対してもより興味が湧いてきている。それに、いくつか小説のアイデアも浮かんでいるし、自分で監督したい作品もある。やりたい芝居もある。これからまだ予測できないいろんなことが待っていると思うよ」と将来への興味は尽きないようだった。
最後に、今作で印象に残っているシーンをたずねると、「すべてだよ!」と即答し、「僕たちが恵まれていたと思うのは、物事がすべてうまく進み、小さな出来事がよい結果をもたらすことが多かったからだ。家族を描くということは僕にとってとても身近に感じられることだし、とてもリアルな描写ができたと思う。僕にとってこの作品のすべてが思い出深いものになったし、すべてを覚えている。それに、一生残ると思う」とかみしめるように語った。映画は14日から全国で公開中。
<プロフィル>
1970年、米テキサス州出身。85年、「エクスプローラーズ」で俳優デビューし、「いまを生きる」(89年)で注目される。「トレーニング デイ」(2001年)では米アカデミー賞助演男優賞候補になった。映画監督作として「チェルシーホテル」(01年)、「痛いほどきみが好きなのに」(06年)がある。また、リチャード・リンクレイター監督作「ビフォア・サンセット」(04年)、「ビフォア・ミッドナイト」(13年)では、監督と共演のジュリー・デルピーさんと脚本を書き、米アカデミー賞脚色賞にノミネートされた。舞台にも出演しており、小説家としては96年に自身の監督作の原作「痛いほどきみが好きなのに」を、02年に「いま、この瞬間も愛している」を発表。ほかの主な出演作に「生きてこそ」(93年)、「リアリティ・バイツ」(94年)、「ガタカ」(97年)、「大いなる遺産」(98年)、「ハムレット」(2000年)、最近では「フッテージ」(12年)、「ゲッタウェイ スーパースネーク」(13年)などがある。リンクレイター監督とは「恋人までの距離(ディスタンス)」(95年)、「ニュートン・ボーイズ」(98年)、「ウェイキング・ライフ」(01年)、「テープ」(01年)、「ファーストフード・ネイション」(06年)でタッグを組んでいる。
(構成・文/りんたいこ)
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