登場人物すべてがろう者であり、せりふは手話のみによって構成され、しかも全編にわたり字幕なし、吹き替えも存在しないという前代未聞の映画「ザ・トライブ」(ミロスラブ・スラボシュピツキー監督)が18日に公開された。この野心的な作品は、2014年のカンヌ国際映画祭で批評家週間グランプリを含む3賞を獲得したほか、各国の映画祭で30以上の賞を受賞。ヒロインを演じたヤナ・ノヴィコヴァさんは一躍注目の人となった。ヤナさんは、今作が映画デビュー作というだけでなく、演技そのものが初体験だという。過激なラブシーンにも臆することなく挑んだヤナさんに、撮影の裏話や女優を志したきっかけ、さらに今後の抱負を聞いた。
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故郷ベラルーシ共和国からドバイを経て、14時間かけて日本にやって来たヤナさん。長旅でしたねと声をかけると、ぐったりと肩を落とすしぐさでちゃめっ気のあるところを見せる。今回の取材は、ヤナさんが使う国際手話が分かる日本人のろう者が日本語手話に訳し、それを日本語手話の分かる日本人健常者が言葉で伝えるという形で行われた。
映画「ザ・トライブ」は、ウクライナのろう者の寄宿学校が舞台だ。そこには売春や犯罪などを行う悪の組織=トライブ(族)によるヒエラルキー(階層)が形成されており、転校してきたセルゲイ(グレゴリー・フェセンコさん)は入学早々彼らの洗礼を受け犯罪に関わるようになる。やがて組織の中で頭角を現していくセルゲイ。ヤナさんが演じるのは、セルゲイが好意を持ってしまうリーダーの愛人アナだ。
「非常に大変な仕事でした」と切り出したヤナさんは、アナという人物について「イタリアに行きたいという夢を持っている。そのお金を得るために売春をする。いつも売春することだけを考え、友達ともあまり付き合わず、自分だけの世界を持っている」と説明する。それはヤナさんにとって、「自分の性格とは全く違う」人物像だった。そのため、「まず自分自身を取り払って、新しいキャラクターを入れることが大変でした」と振り返る。
もちろんヤナさんには売春の経験はないことから「売春をする人の気持ちをつかむ」ために、多くの本を読んだり、「アデル、ブルーは熱い色」(2013年)や「魚と寝る女」(2000年)といった性描写がある多くの作品を見た。また、「聞こえる人、聞こえない人の関係なく、街に立っている女性たちを観察した」という。
一番大変だった堕胎シーンでは、「私自身経験はありませんから、どういう痛みなのか、どこが痛むのか、顔の表情は? 泣くのかどうなのか。そうしたことを経験した人たちに聞き」、演技に役立てていった。監督からは「(演じるのは)難しいのではないか」と言われたそうだが、「大丈夫です」と受けて立った。そして、専門の病院に行き、方法を詳しく聞き、そのシーンの表情を自撮りした映像を専門家に見てもらったところ、「経験があるような表情だと言われたので、これでいいんだと自信がつき」、さらに練習を重ね本番の撮影に臨んだという。撮影には8時間を要した。「バケツ1杯分くらい泣きました。でも一番大切なことは、映画を見ている人に同じ痛みを感じてもらうこと。ですから自分が持っている力をすべて出し切って演じました」と胸を張った。
6歳の頃、家のテレビで「タイタニック」(1997年)を見てケイト・ウィンスレットさんの演技に魅了され、女優を夢見るようになった。しかし両親からは「ろう者だから女優は無理」と言われ、母の勧めに従って絵画を習った。それでも夢を捨て切れず、聴覚障害児のための全寮制の学校ではパントマイムやダンスを習った。卒業後は、一旦は地元の工業学校に入学したが、「やっぱり女優をやりたい。可能性を広げたい」と1年で辞め、ウクライナのキエフに向かった。キエフ・シアター・アカデミーが運営している劇団が、当時ろう者の役者を追加募集しており、そのオーディションを受けるためだった。「ろう者といえば、男性ならエンジニア、女性なら洋裁、そういった手に職をつけるための学校はあります。健常者はいろんな仕事の選択肢があるのに、ろう者は限られている。それが悔しかった」と当時の思いを語るヤナさん。しかし残念ながらオーディションは不合格だった。ところが、たまたま今作のためにろう者の役者を探すためにオーディション会場に来ていたスラボシュピツキー監督の目に留まり、道が開けた。
出演が決まったヤナさんは、「ぽっちゃりめ」の体形を変えるために、野菜やフルーツ中心の食事に切り替え、運動をし、体重を7キロ落とした。また結婚を考えていた恋人とも別れた。その決断に悔いはない。「人それぞれだと思いますが、やはり女性は仕事を大事にする必要があると私は思います。恋人とのことや、その人と別れるといろいろあるけれど、自分の仕事に影響があっては困るわけです。私は映画を選びました。私は、次々と新しい映画に出て、いい仕事をしていきたと思っています。もし恋人ができたら、いつかその人を頼ってしまうでしょう。頼るともう、映画の仕事は続けられません。ですから今は、映画の仕事を続けることが第一で、“彼氏”は2番目になるということなのです」と熱く語る。
今作の日本での公開を、「本当にうれしいです」と顔をほころばせる。その上で日本の観客には、「この映画にはすごく強いメッセージがあります。若い人は壁にぶつかったり、閉塞感があったりすると思いますが、それを打ち破って、自分自身を解放して元気になってもらいたい、そういう刺激を与えられる映画になってほしい」と願っている。そして、「この映画には、音もなければ声もない、字幕もありません。声が聞こえれば下を向いてスマホをちょっといじることもできますが(笑い)、今回は集中して見なければいけません。でも、そうさせるパワーがある映画だと思います。最初から最後までを見て初めて、すべての流れが分かり、それによってメッセージが伝わるのです。ですからぜひ最初から最後までをしっかりと見てほしいですね」と力を込めた。
今回が初来日。うなぎやすしを堪能し、明治神宮を散策したという。時間がなく東京だけの滞在となったが、訪れてみたいのは「歴史的な街」の京都だという。そんなヤナさんに今後の抱負を聞くと、「いろんな映画に出て、いろんな役に挑戦したい。それだけでなく、将来的には自分で映画を作ることを考えています」と目を輝かせた。映画は18日から渋谷ユーロスペース(東京都渋谷区)ほか全国で順次公開。
<プロフィル>
1993年、ベラルーシ共和国のホメリに近い村で生まれる。生後2週間で病気のために聴覚を失う。聴覚障害児のための全寮制の学校で学び、卒業後、ホメリに出て工業学校に入るが1年で退学。キエフ・シアター・アカデミーの劇団「レインボー」のろう者の役者の追加募集に応募するが不合格だったものの、ミロスラヴ・スラポシュピツキー監督の目にとまり、今作に出演を果たす。
(取材・文・撮影/りんたいこ)
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