研ナオコ:盟友THE ALFEEとの共演秘話、娘のこと…歌手生活45年を振り返る

デビュー45周年ツアーを展開中の研ナオコさん
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デビュー45周年ツアーを展開中の研ナオコさん

 今年でデビュー45年目となる歌手の研ナオコさんが、中野サンプラザ(東京都中野区)で6月に行ったライブの模様がWOWOWで16日に放送される。同公演を振り返り「ものすごく緊張しましたね。『この仕事、何年やっているの?』って思うんですけど、毎回緊張の度合いがひどい」と意外な言葉を口にする研さんに、5月に発売した7年ぶりのフルアルバム「雨のち晴れ、ときどき涙」についてや同作で再共演を果たした3人組バンド「THE ALFEE」との秘話、自分と同じく歌手の道に進んだ娘・ひとみさんのこと、これまでの歌手生活の山や谷まで、じっくりと語ってもらった。

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 ◇THE ALFEE、当時は「楽器弾けなかった」?

 現在、来春まで続くデビュー45周年記念ツアーを開催中の研さん。これまで何周年という形での区切りの付け方が「あまり好きではなかった」というが、今回は「なぜか特別に思えた」といい、まずは5月に7年ぶりのフルアルバム「雨のち晴れ、ときどき涙」をリリース。同作は昭和の名曲を中心としたカバー曲と、シンガー・ソングライターの玉置浩二さんと中村中さんが書き下ろした新曲2曲で構成された“スタンダードアルバム”となった。

 研さんは「ジャンル関係なく、誰もが知っている曲を」と、八代亜紀さんの「舟唄」や梅沢富美男さんの「夢芝居」、中島みゆきさんの「糸」などを選曲。またBEGINの「恋しくて」では、いまから35年以上も前の70年代後半に研さんのバックバンドを務めていた盟友THE ALFEEの参加が実現した。研さんは「(THE ALFEEがバックバンドを務めていた78年発売の研さんのシングル)『窓ガラス』の時みたいに一緒にやりたいなって」と思い立ち、「一曲すべて預けてみよう」とアレンジまでTHE ALFEEに依頼。「案の定、すごいアレンジの曲が上がってきて。コーラスがほしいなってところにちゃんと入っていて、さすがだなって思いましたね」と仕上がりに満足げだ。

 今回はレコーディングこそスケジュールの関係で別々で行われたというが、THE ALFEEの3人とは今も絶えず交流は続けられており、「すべてにおいて変わらない3人。変わったのは、高見沢(俊彦さん)のビジュアルぐらい」と楽しそうに笑う研さん。また当時(70年代後半)に比べて「桜井(賢さん)はベースがうまくなった」といい、「『窓ガラス』の時は楽器弾けなくて、坂崎(幸之助さん)が12弦ギターで全部やってくれていた。高見沢も坂崎に教わりながらだったので、ダメな場合は『(楽器の音を)切っておいてくださいね』って、私がテレビ局の人に言ったりもしたんですよ」と貴重なエピソードも披露した。

 ◇娘・ひとみが歌手の道選んで「よかった」

 「雨のち晴れ、ときどき涙」を携えて、5月末にスタートしたデビュー45周年のツアーは、ここまで各地で好評で、研さん自身も「ファンの年齢の幅がさらに広がって、どんどん人が入るようになってきている」と手応えを感じている様子。また同ツアーには娘で歌手のひとみさんも参加し、親子共演が話題を呼んでいるが、研さんは「歌のジャンルこそ違うけれど」と前置きしつつ、「声はやっぱり私に、私の若い頃に似てますね」とうれしそうに話す。

 ひとみさんが自分と同じ歌手の道を選んだことについては、「行き詰った時にアドバイスできるし、経験したことが役に立つから、ほかの道じゃなくてよかったと思う」と母としての心境を告白。「自分には信じられないですけど、彼女(ひとみさん)は英語でラップしたり、ロックやジャズも歌えたりして、今後が楽しみですね」と目を細めると、「だから海外に出てしまってもいいのかなと思う。日本だと『2世だ、2世だ』って言われて面倒くさいじゃないですか(笑い)。本人もそこは分かっていると思うし、自分の行きたい方向に行けばいい」とエールを送った。

 ◇普通では満足できなかった45年 今でも誕生日には母に感謝忘れず

 改めて歌手生活45年の中での「山」と「谷」を聞くと、研さんは「山は分かるんですよ。チャートの1位を取ったりとか、売れていた時期ですから。絶好調でしたもの」と笑いながら答えたが、その一方、「谷も確かにありましたが、それも一瞬。じっくりと谷を味わうことができなかった」と少し残念そうな表情も見せた。本人いわく「谷には谷なりの休憩の仕方がある」といい、「でも自分は『休んでいる場合じゃないだろう!』ってすぐに引っ張り上げられてしまった。そこからはまた勝負の連続で……。でもこの刺激がたまらなかった。普通では満足できなかったんですね」と語る。

 そんな研さんにとって、これまで生きてきた中で一番うれしかったことは「自分の母の下に生まれてきたってこと」といい、「あの親がいなければ今の私はいない。命懸けで生み、育ててくれて。人の痛みや苦しさも言葉なしで教えてくれたのも全部母親。自分も子供を生んで育てるようになって、母のありがたさがさらに理解できて、私はなんて幸せなんだろうって思いましたね」としみじみ語る。「だから誕生日というと、今でも必ず母親に感謝するんです」と明かした。

 アルバムタイトルの「雨のち晴れ、ときどき涙」には「人生とは、こういうもの」という意味が込められている。研さんは「これまでやってきたことをもう一度、丁寧にやり直してみたいという思いがある」と今後の活動に意欲をのぞかせると、「もっともっと『研ナオコ』という幹を太く、強くしていきたい。この先、何年かかるか分からないし、急いでやることではないけれど、かといってそれほど多くの時間が残されているわけじゃないので。やるからには、やっぱり芸能界の歴史に名は残したいですからね」と笑顔で語った。

 番組「研ナオコ LOVE・LIFE・LIVE ~雨のち晴れ、ときどき涙~」は、WOWOWライブで16日午後9時半に放送。

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