BEGIN:25周年で「初めて1位になった」と「海の声」のヒットに沸く 最終公演に向けて3人に聞く 

2015年に25周年を迎えたBEGINの(左から)上地等さん、比嘉栄昇さん、島袋優さん
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2015年に25周年を迎えたBEGINの(左から)上地等さん、比嘉栄昇さん、島袋優さん

 沖縄県石垣島出身の3人組バンド「BEGIN」が2015年にデビュー25周年を迎えた。石垣島と東京をつないだレコーディングによって制作された約3年ぶりのオリジナルアルバム「Sugar Cane Cable Network」を携え2015年10月から全国ツアーを展開中だ。その最終公演が20日、東京・両国国技館で行われる。この模様をWOWOWが生中継する。25周年に対する思い、ライブの見どころなどを3人に沖縄の琉球村で聞いた。

ウナギノボリ

 ◇25周年の一発目は故郷で手作りライブ

 ――2015年3月から25周年の活動をされていますが、一番思い出に残っていることは?

 上地等さん:日本全国回っているときもそうなんですけど、ブラジルやペルーを回って日系の方や沖縄県人会の方に「25年間ありがとう」というお礼ができたっていうのが一番うれしかったですね。

 ブラジルやペルーの方も僕たちの曲を結構知っていて。地球の反対側なのに、聴く環境が変わって、インターネットですぐに「海の声」(が話題になっている)のこととかも知っていたし、それはすごく驚きました。

 島袋優さん:25周年一発目が昨年3月21日の石垣島での公演だったんです。そのときにステージ後ろの看板とかも手作りしようと決めて、スタッフに手伝ってもらいながら全員で一つ3メートルくらいの(長さの)文字をさとうきびで作ったんです。外の屋台では同級生が沖縄っぽく装飾してくれたりとか。手作りで学園祭のようにやれたのが25周年では一番思い出に残っています。そういうのが何ににも代えられないというか、お金で買えないというのはこういうことなのかなと思いました。自分たちにとっては、いいスタートが切れたんじゃないかなという気がします。

 比嘉栄昇さん:振り返って印象深いのはテレビ番組で(SPEEDの)島袋寛子ちゃんと一緒に「島人ぬ宝」を歌ったときは、時が流れて、まさかこういう時が来るとは思わなかったし、本当にうれしかったんですよ。(SPEEDのデビュー時)あのときあんなに距離があるように感じていた寛子ちゃんが、こうやって時が流れて一緒にやれる。やっぱり音楽っていいなあと思ったし、やり続けることでこういうことが生まれるのかとしみじみ思いましたね。

 ――「JALホノルルマラソン2015」のテーマ曲も手掛けました。。

 比嘉さん:ホノルルに行ってみて分かったことは、こんなにも日本とハワイは近しい関係にあったのかということ。ホノルルマラソンは40年以上やっているということで、それに向けて3万人以上のランナーのうち半数近くは日本人のランナーがいて、それをハワイの方々がすごく歓迎して受け入れてくれて。内面的にハワイの方々は日本人のことを近しく感じていただいているというのはすごく感じましたね。

 ――そして2015年は「海の声」が配信チャートで1位になりましたね。

 上地さん:あれもBEGINとしては25年間で初めてのことだし、うれしかったことの一つでもありますよね。「ええっ」と驚きましたけれど。

 島袋さん:正直うれしいし、この年に取ったので冷静に見ていられました。(auのCMで歌った桐谷健太さん演じる)浦ちゃんのお陰だろうとか、ちょっと外から(客観的に)見ていられたというのはよかった。もうちょっと若かったらもう少し浮かれたかもしれないですけど、なんかそういう25周年で2016年は全員年男の48歳なんですけど、その年に1位になれたというのが面白いし、よかったんじゃないかなという気がしますね。

 ――浦ちゃんこと桐谷さんにはお会いになったんですか。

 島袋さん:石垣島で初めて会って、今ちょっと仲良くさせていただいているんですけど、すごくいい人で。桐谷君が歌ってくれて本当によかったなと思うし、すごく好青年です。

 ――桐谷さんからはどんなアプローチがあったんですか。

 島袋さん:僕が歌ったデモテープを送ったんですよ。それがものすごく気に入ってくれたみたいで。「参考にさせてもらいました」ということを言っていました。桐谷さんは十何年前からずっと沖縄が好きらしいんですよ。それで、(桐谷さんの)大阪の実家の近くに三線(さんしん)をやっている人がいて、沖縄との関わりはすごくあって。この間、「まさかBEGINの人たちと同じステージに立てるとは夢にも思っていなかった」って言ってくれていたので。それは正直うれしかったですね。

 ――25年活動してきて、25周年に限らず、25年間での一番の思い出は?

 上地さん:97、98年あたりに、楽器車に乗って、3人とあとマネジャーと楽器のテクの人とミキサーの人と6人でずっと全国を回っていたというのがすごく楽しかった。修業というか、全国にはすごい人がたくさんいて、中央には出てこないけれども各地にめちゃギターがうまい人とか、そういうライブハウスのオヤジがいたりとか、そういう方たちと知り合いになったのはやっぱり一番よかった時期でしたね。

 島袋さん:パッと鮮明に思い出せるのはデビューのとき。デビューは1990年3月21日に等(上地さん)と一緒に住んでいて、仕事がなくて家にいたんですよ。それで「今日、俺たちデビュー日じゃない?」って駅の小さなCD屋さんに、俺たちのCDが置いてあるか見てみようって。そうしたら本当に置いてあったんですよ。それを見て本当に感激して。「俺たち本当にデビューできたんだ!」みたいな。

 比嘉さん:うたの日コンサートですかね。この存在というのが自分の中で年々大きくなって来ているんですよね。なぜ歌うのかという、自分の中での理由づけになってきている。なぜ自分は音楽活動をさせていただいているのかということを自問自答しながら(やっていた)。なかなか芽が出ない人もいる中で、自分は当たり前のようにステージに上がれて、そのありがたさをどう受け入れればいいのかなみたいな。

 かといって、自分の中ではずっとステージに立ち続けたいというそういう強い欲みたいのもないんですよ。25年やってきて、歌を待ってくれている方がいるから歌うというのは自分の中で意味づけとして一番大きいんですけれど、でも「うたの日」というのがあるからさらに自分、BEGINということだけではなくてみんなで歌をお祝いしていくということで、より力が湧いてくるというか。ああだこうだやりたいことが毎年浮かんできます。

 ◇生中継に緊張と不安

 ――3月20日のツアーファイナルがWOWOWで生中継されます。BEGINのライブはMCがいつも長めですが、尺は大丈夫ですか(笑い)。

 島袋さん:生中継にこれほど向かないバンドもないんじゃないか(笑い)。予定調和で全然いかないし、本当にアンコールも決まっていたのはあるんですけど、決まったものは絶対にやらないので。予定調和じゃないバンドだから逆に面白いのかな。

 上地さん:時間という規制があるのはちょっとやばいね(笑い)。

 比嘉さん:ちょっと君たち、俺は時間を守れる男だから(笑い)。

 上地さん:そうか(笑い)。でもね、テレビ局が入るとなると3人とも緊張しちゃう。でもライブはお客さまが前にいるので自然にできると思うんですけど。栄昇に時間を守ってもらえれば(笑い)。本番が楽しみではありますね。

 ――両国国技館という場所については?

 比嘉さん:自分としては沖縄の石垣島で生まれ育った僕たちが「東京に行くぜ」みたいな。いかにも日本らしいところだし、例えばブラジルの方とか、ペルーの方、両国国技館でBEGINのライブを見るのが楽しいと思うんですよね。ライブDVDと生中継と違うのは、(生中継は)その場で生まれるものですから、テレビでご覧になっていただいている方々にも共有できるということが、すごくやりがいのあることといいますか。

 結局自分たちはライブバンドなので、そこで完璧を目指してはいないですし、完璧は目指せないので。ハプニングあった方がライブ会場の雰囲気がよくなる場合も多いので、そこらへんはウエルカムとしてやるんですけど、等(上地さん)のいう緊張感というのはもちろんですけど、ここだけは外しちゃだめだよなというのはあるわけで、そこは乗り越えなくちゃいけないと思いますけれど。そういう緊張感みたいなものも伝わったらいいなと思いますし。

 僕らのライブで、お客さんが一番びっくりするのは、間違ったりするのが何回かあるんですよ(笑い)。そういうのも含めて、ライブの楽しみ、醍醐味(だいごみ)みたいなもので、会場にいらっしゃる方もそうですけれど、テレビでご覧になる方もね味わっていただけたらなと思います。

 ――お客さんの反応を見て仕切り直しもありですか?

 比嘉さん:そういうこともあるかもしれないし、本当にどうこうしたいというのは一切考えていないんですよ。ただお客さんとどうやったら一体感を共有できるかっていう中で、ちょっとでも不安になってらっしゃるように見える方、戸惑ってらっしゃる方がいると、1回仕切り直してという、そんな雰囲気はありますね。

 ――3人とも年男ですが、それぞれ抱負を。

 上地さん:正直、48歳だから何やるっていうのはないんですけれど、これからの僕らの中でのキーワードになるのは、移民の方とか、ハワイ、ペルー、ブラジルしか行ってないんですけれど、もっとたくさんの国にたくさんの日系人、ウチナンチュー(沖縄の地元の人)の方がいるので、その方たちと会うというのは今後の僕らの活動の中の一つのテーマになるのかなと。そのことをすごく大事にやっていきたいなと思います。ライブを続けていくことが一番自分たちに合っていると思いますので、それを続けていきたいですね。

 島袋さん:25周年が一通り落ち着いたらスタッフも含めて俺たちも少しほっとすると思うんですよ。最近、個人的なことでいうと、楽器が壊れてきたり、アコースティックギターに穴が開いたり。楽器がいろんなことを教えてくれているというか、もう少し休めと言われているようで。そういうことも含めて、今後は楽器をリペア(修理)して、きれいに整える時間を取ろうかと。ずっとツアーでものすごく酷使しているので、少し休ませてあげるというか、エレキギターとかだとフレットの打ち直しをしたいなと思っていて。そういう自分の仕事仲間の楽器をきれいにしてあげたいなというのが目標というか、必ずやらないといけないことかなという気がしますね。

 比嘉さん:等の世界中に行きたいというのにドキッとしましたけどね。僕はどこにも行きたくないんですが(笑い)。現実的なことをいえば世界でウチナンチュー大会という大きなイベントがあって、自分たちもどういう形かは分からないんですが、参加させていただいて、4年に1回、5年に1回くらいのスパンでしか集まれないので、向こうで皆さんが聴きたい歌をお届けするということがしたいと思います。

 あと個人的なことになるかもしれないんですけど、自分が動く方がいいのか、動かない方がいいのかということを、今、思っているんですよ。石垣島にいて、そこで世界中いろんなところからいらっしゃる方々をどうやって迎え入れるかみたいな。BEGINとは少し違うことになるかもしれないんですけど、今自分たちがいる場所の魅力を知ってお伝えできるのかということが、自分の中では今、欠けていると思っていて。いろんなところに行かせていただいたんだけど、自分のいる場所をPRできないという。それってもしかして自分のいる石垣、沖縄、日本という素晴らしさを本当に自分がちゃんと知っているのかということだと思います。26年目は通過点にしかすぎないと思いますけれど、そういった25年目だから浮かんできた自分との問いみたいなものに向き合っていきたいなと思います。

 *……3月20日午後3時からWOWOWライブで両国国技館(東京都墨田区)でのライブを生中継する番組「生中継! BEGIN 25周年記念コンサート『Sugar Cane Cable Network』ツアー 2015-2016」を放送。

 <プロフィル>

 上地等さん(キーボード)、比嘉栄昇さん(ボーカル)、島袋優さん(ギター)の3人組。3人とも沖縄県石垣島出身。1990年シングル「恋しくて」でデビュー。その後も順調にリリースを重ね、数多くのステージに出演。代表曲の「島人ぬ宝」「涙そうそう」は世代、性別を問わず長く歌い継がれる名曲になっている。最近はブラジルやハワイで海外公演を行うなど活躍の場を広げ、ブルースから島唄まで多彩な音楽性と温かいサウンドでファンを魅了し続ける。2015年3月にデビュー25周年のキックオフとして、故郷の石垣島で記念コンサートを開催し、大きな反響を呼んだ。同年6月にはブラジルのマルシャのリズムを取り入れたアルバム「ビギンのマルシャ ショーラ」をリリース。10月には19枚目のアルバム「Sugar Cane Cable Network」を発表した。

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