1960年代に人気グループの「クレージーキャッツ」のメンバーとして活躍した犬塚弘さんが、10月27日までに死去した。94歳。通夜と告別式は既に済ませた。
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1929年3月23日に東京府荏原郡大森町(現在の東京都大田区大森)に生まれる。1951年、兄のハワイアンバンド「グリーン・グラス・キャップ・ボーイズ」に参加。兄からベースを担当するよう言われ、そのまま担当楽器になったという。翌年、友人の誘いで「萩原哲晶とデューク・オクテット」に参加し、モダンジャズを演奏するものの自分の望む方向性との違和感をもち始め、当時たびたび楽屋に遊びに来ていたハナ肇さんの誘いで、クレイジー・キャッツの前身である「ハナ肇とキューバン・キャッツ」の結成メンバーとなり、ウッドベース担当となった。その後は、クレイジー・キャッツの一員として多くのテレビや映画に出演し、多忙な日々を送る。
2012年11月にメンバーのピアニスト、桜井センリさんが他界したことにより「クレイジー・キャッツ」メンバーで最後の存命者となる。2015年頃に妻が亡くなり、自身も90歳を目前に思うように動けなくなったとして、2020年公開の映画「海辺の映画館~キネマの玉手箱」(大林宣彦監督)を最後に俳優としての活動を引退する意思を明らかにしていた。