スティーブン・スピルバーグ:巨匠が語る映画作りの原点とポリシー 「レディ・プレイヤー1」で13年ぶり来日 

映画「レディ・プレイヤー1」のPRのため13年ぶりに来日したスティーブン・スピルバーグ監督
1 / 12
映画「レディ・プレイヤー1」のPRのため13年ぶりに来日したスティーブン・スピルバーグ監督

 スティーブン・スピルバーグ監督の最新SFアドベンチャー作「レディ・プレイヤー1」が全国で公開中だ。映画のPRのために、スピルバーグ監督が13年ぶりに来日した。限られた媒体に与えられたというスピルバーグ監督との対面インタビューに参加する機会に恵まれた。

ウナギノボリ

 「超一流」といわれる人はやはり違う……。インタビューの相手は、あのスピルバーグ監督だ。取材前、記者たちは、皆、一様に緊張していた。ところが、当のスピルバーグ監督はこちらの緊張をよそに、紙コップを片手に朗らかにインタビュー部屋に入ってきた。そして、「はじめまして」と、記者一人一人とにこやかに握手。ガチガチになっていた心が一気にほぐれた。スピルバーグ監督とのやりとりは以下の通り。

 ◇80年代を回顧した理由

 「レディ・プレイヤー1」は、17歳の青年が、VR(バーチャル・リアリティー)の世界「OASIS(オアシス)」の中で知り合った仲間と協力し、OASISの中に隠された宝の卵の争奪戦を世界中のプレーヤーと繰り広げるエンターテインメント作だ。

 映画には、1980年代のポップカルチャーが多数登場するが、スピルバーグ監督は80年代を、「映画、テレビ、音楽、ファッションといった文化が、何にも勝り素晴らしかった、非常に善良な、穏やかな時代」と回顧する。同時に、「個人的には、最初の子供が生まれた年であり、(製作会社)アンブリン(・エンターテイメント)を創立した時代でもあります。そして、恋をしました(笑い)。ですから、私にとって、もすごく重要な意味を持つ時代なのです」と説明する。

 スピルバーグ監督は、今という時代を「シニシズム(冷笑)の時代」と捉えている。その上で、「今の人間は、80年代ほど、他人を信用しなくなっていると思います。今の米国を見ても、思想が半分に分かれてしまっていて、信用というものが失われてきている。『レディ・プレイヤー1』を作りたかった一つの大きな理由は、そのシニシズムから逃げ出したかったからです。皆さんを、空想と希望の世界に誘いたかったのです」と語る。

 ◇原点は子供時代の作り話

 スピルバーグ監督は、テレビ映画として撮った「激突!」(71年)が話題となり、「続・激突!/カージャック」(74年)で長編映画監督デビュー。以降、「JAWS/ジョーズ」(75年)、「E.T.」(82年)、「シンドラーのリスト」(93年)と、さまざまなヒット映画を作り続けてきた。何がスピルバーグ監督を映画製作へと駆り立てるのか。その問いに、「答えが見つかったら、(映画作りを)やめてしまうかもしれない」としつつ、「肉体が続く限り、監督を続けたいと思っています」と意欲を見せる。

 「とにかく、小さいころから、ストーリーを語るのが好きだった」という。子供のころは、3人の妹に毎晩怖い話を聞かせていた。妹たちが怖がってベッドに飛び込むたびに、「また怖い話をしたんだろうと父に叱られ、怖い話ではなく、いい話をしなさいと言われていた(笑い)」という。そして、71歳の今も、夜になると四つの寝室を回り、7人の子供たちにそれぞれ違う物語を語って聞かせているという。

 ◇ジャンル選びは「潜在的なもの」

 手掛けるジャンルもさまざまだ。観客を空想と希望の世界に誘いたくて作った「レディ・プレイヤー1」がある一方、先ごろ封切られた、「ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書」(2017年)では、権力と報道機関の戦いを描いた。真逆ともいえる2作品。映画作りの基準は、「あまり意識していないのかもしれない。潜在的なものかな」とスピルバーグ監督自身も分からないようだ。

 ただ、「レディ・プレイヤー1」の編集中に、「ペンタゴン・ペーパーズ」の台本を読み、「これは今の話じゃないか。我々の今の大統領が、まさにそういうことをしていると思った。過去の話だけれど、新しい時代のために、今、語る義務を感じたのです」と熱く語る。時として、「政治的な環境や歴史的な物語を語らなくてはいけない、そういう使命を感じることがある」といい、「社会的な現実を描いた作品と、今回のようなSFの世界。両者を行ったり来たりできるのが理想。ある意味、両極端なんです(笑い)」と自己分析する。

 ◇子供の心が若さを保つ秘訣?

 その一方で、「本当にあった出来事を、映像で作り出すことが大好きなんです」とも語る。学生時代に学んだ歴史は「すべて暗記。読んで覚えるしかなかった」。「聞いたものより、見たもののほうがインパクトは強い」ことは自身の経験上、分かっていた。「アミスタッド」(97年)や「プライベート・ライアン」(98年)、そして「ペンタゴン・ペーパーズ」など、史実に基づいた監督の作品は、学校の教材として使われるという。「映像で見ると、若い人たちは、学べるし、忘れない」と考えている。自身の作品が、観衆に、とりわけ若い世代に良い影響を与えていることが、やりがいにつながっているようだ。

 また、「きちんとリサーチし、事実確認をした上で、解釈者としてカメラの後ろ」から撮った「ペンタゴン・ペーパーズ」が、「大人として作らなければいけない映画」だったのに対して、この「レディ・プレイヤー1」は、「堅苦しい作業はさておき、開放感を持ちながら空想の世界で作ることができ、観客席にいる自分に対して作っている」点で、「子供の心で作った作品」だと語る。70歳を越えてもなお、肌は血色よくつやつやしているスピルバーグ監督。子供の心が、若さを保つ秘訣(ひけつ)なのかもしれない。

 ◇アバターを選ぶなら

 その「子供の心」で作った「レディ・プレイヤー1」には、VRの世界「OASIS」が登場する。監督自身、OASISの中に入るならアバターは何を選ぶかと聞かれ、「ダフィー・ダック」と即答。「一番好きなアニメーションなんです。私の中に存在してるんです、ダフィー・ダックが(笑い)。私は、スーパーヒーローにはなりたくない。ロボットにもなりたくない。なるならダック(鴨)。羽が欲しいんです」と笑顔で言い切る。

 今回は13年ぶりの来日となる。「日本に来ると、いつもインスピレーションを与えられます。人々の礼儀正しさや人間関係を素晴らしいと思います」と親日家ぶりは変わらない。朗らかで、鷹揚(おうよう)で、少しも偉ぶった素振りを見せない。そして、こちらの緊張を瞬く間に解いてくれたスピルバーグ監督。インタビューの終了が告げられると、「え、もう終わり!?」と残念そうな声を上げ、カメラを向けても終始にこやか。撮影が終わると、再び「ありがとう!」と記者一人一人と握手し、労ってくれた。インタビュー部屋を出る記者の耳には、スピルバーグ監督がスタッフに向かって、英語なまりの日本語で「ちょっとすいません、お茶くーださーい」と頼む声が聞こえた。

 <プロフィル>

 1946年12月18日生まれ、米オハイオ州シンシナティ出身。68年の短編映画「Amblin’」でキャリアをスタート。その後、「刑事コロンボ/構想の死角」(71年)などのテレビ映画で監督を務め、「激突!」(同年)で注目される。「JAWS/ジョーズ」(75年)、「E.T.」(82年)、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」(85年)、「プライベート・ライアン」(98年)、「ミュンヘン」(2005年)、「リンカーン」(12年)、「ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書」(17年)まで、さまざまなジャンルの作品を多数監督している。映画のみならず、「ER 緊急救命室」(94~09年)、「バンド・オブ・ブラザース」(01年)などのテレビシリーズでは製作総指揮を務めている。

 (インタビュー・文・撮影/りんたいこ)

写真を見る全 12 枚

映画 最新記事