黒川文雄のサブカル黙示録:キャンディーズ・スーちゃんの早すぎる死 昭和の芸能史

 元キャンディーズのスーちゃんこと女優の田中好子さんが21日、亡くなった。30代の半ばから既に乳がんを患っていたが、屈することなく、女優として最後まで活躍をされたことはファンならずとも驚きを隠せないものだった。かつて解散コンサートで後楽園球場を沸かせたスーちゃんが自分たちよりも先にあの世へ旅立つことなど誰が想像しただろうか。

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 人は若いころには、老いや死とは無縁だと思うものだが、次第に現実に目の前に迫ってくることを知る。そのようにして時代に流れの中で変わってきたものは多い。昭和から平成にかけても価値観が大きく変わった。それは芸能界も同様だ。

 かつて芸能人にスキャンダルはご法度だった。しかし「芸能人も普通の人」という感覚が生まれ、公然と恋愛を語り、破局に涙するようになった。松田聖子と郷ひろみのケースは、今となって思い起こせば幼い演出だが、当時はアイドル同士の恋愛ということで波紋を呼んだ。キャンディーズの引退もしかり。芸能人にあこがれる“予備軍”を前にして、「普通の女の子に戻りたい」という宣言をした3人。芸能界の入口はあってないようなもの。そんな不思議な世界が芸能界だった。

 「追っかけ」が誕生したのも、昭和の芸能界だった。インターネットや携帯がない時代で、芸能雑誌の「平凡」「明星」には芸能人の番組収録スケジュールが公開されており、熱心なファンはスタジオで出入りを張っていた。写真撮影にも寛容な時代で、出待ちでファンとタレントがツーショットを撮ることもあった。新人や中堅のタレントであれば、地方への営業の際には、所属レコード会社の地方営業所に顔を出し、担当セールスと交流することもあった。新人アイドルならば握手会、演歌歌手ならば各地の繁華街のバーやスナックなどを夜通し回り、シングルレコードを手売りでさばくというキャンペーンも珍しくなかった。

 私自身も、レコード会社の営業マン時代に、当時、新人だった男性タレントとコンサートツアーの中日に草野球を楽しんだこともあった。営業マンが内野ヒットを打つと、タレントや事務所メンバーチームからは「接待プレー!お願いしますよ」という冗談が飛び交うような和気あいあいとしたものだった。今はレコード会社も地方営業所を撤退してしまったため、そのような土着型のプロモーションは姿を消してしまった。

 やがてアイドルタレントの時代が過ぎニューミュージックへ時代は変遷し、その後にバンドブーム。だが時代は変われど芸能界はいつの時代もあこがれの存在だった。平成に入り、芸能界は身近なものになった気がする。1億総芸能人化。となりのあの人が“スター”になることも珍しくない。インターネットなどメディアが多様化したこともその要因だろう。

 アイドルとしてデビューし、歌手、バラドル、グラドル、女優……と時代の中で、それぞれがカメレオンのように変化して生きていく。変化は時代に望まれた証(あかし)。そして、いつかは訪れるはずの終わりだが、早すぎると受け入れるには時間がかかる。

著者プロフィル

くろかわ・ふみお=1960年、東京都生まれ。音楽ビジネス、映画・映像ビジネス、ゲームソフトビジネス、オンラインコンテンツ、そしてカードゲームビジネスなどエンターテインメントビジネスとコンテンツの表と裏を知りつくすメディアコンテンツ研究家。ブログ「黒川文雄の『帰ってきた!大江戸デジタル走査線』」(http://blog.livedoor.jp/kurokawa_fumio/)も更新中。

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