トニー・レオンさん、チャン・ツィイーさん、チャン・ツェンさんらが出演し、中国各地に実在した、武術の宗師(グランド・マスター)たちの壮絶な運命を描いた「グランド・マスター」(ウォン・カーウァイ監督)が全国で公開中だ。2度の骨折を経験しながらも主人公・葉問(イップ・マン)を演じ切ったレオンさん。作品のPRのために来日したレオンさんに過酷な撮影を振り返り、カーウァイ監督や作品に対する思いを聞いた。(りんたいこ/毎日新聞デジタル)
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「1度目は、カンフーのトレーニングを始めて半年ほどたったころでした。相手のけりを左手でかわそうとしたら折れました」と、左の前腕を示しながら、骨折した当時の状況を説明するレオンさん。「そのときはクソッと思いました」と笑顔で話すが、「クソッ」どころではない、骨が折れていたのだから。
レオンさんの主演映画「グランド・マスター」は、レオンさんとは1990年の「欲望の翼」以降、「恋する惑星」(94年)や「ブエノスアイレス」(97年)、「2046」(04年)などでタッグを組んできたウォン・カーウァイ監督の作品だ。レオンさんが演じたのは、伝説の武術家・葉問(1893~1972)で、かのブルース・リーのただ1人の師として知られる人物。映画は、1930~40年代の中国を舞台に葉問と他の流派の宗師たちが、最強の流派を決めるための戦いに身を投じる様子を描いている。ツィイーさんやチェンさんが葉問と戦う武術家として登場、いずれもハードなトレーニングをへて、本物の武術を披露している。
今作のトレーング中にレオンさんは左腕を骨折。「何が悔しいって、それまでトレーニングしてきたことすべてが、パアになってしまうことでした」と当時の気持ちを振り返る。その焦りがあだとなった。骨折してから2週間後にトレーニングを再開。2009年11月に撮影初日を迎え、7~8人と戦うシーンの最中に“2度目”が起こった。相手のけりが、安静にしていなかったために完治していなかった同じ左腕に“命中”してしまったのだ。1度目の骨折はカミソリの刃ほどの細い断裂だったらしいが、2度目は、レオンさんいわく「サメの刃のようにギザギザになっていた」という。そのとき「焦りは禁物だ」と思ったという。この骨折のせいでレオンさんの撮影は半年ほど延びた。
その後3年にわたる撮影期間中にも試練は待っていた。「いままでの映画人生の中で一番過酷な撮影だった」とレオンさんは表現するが、最も過酷だったのは雨の中の格闘シーン。どれほどつらかったかは、次のコメントから推察できる。
「(雨のせいで)寒いし、ぬれているから下はすべるし。その中で、僕は一人で何十人もの敵と戦わなければならなかった。夜の7時から翌朝の7時までの徹夜の撮影が50日間続きました。季節は10月。現場では火をたいていましたが、ぬれている服は(衣装なので)脱ぐことができず、夜食を食べたあとぐらいからは寒さでガタガタ震えだし、震えが止まりませんでした。今までカーウァイ監督と映画を撮ってきて、もう無理だと音を上げたことはありませんが、今回ばかりは30日を過ぎたあたりで、もう無理だと言いました」と振り返る。当時の過酷な状況がうかがい知れるコメントだが、話しているレオンさんはあくまで人のよさそうな笑顔を絶やさない。
では、“無理”といわれたカーウァイ監督の反応はどうだったのかというと、「ああ、分かってる、分かってるというそっけないものでした(笑い)」とか。そこからさらに10日間は、レオンさんも薬を飲みながら「だましだましやっていた」そうだが、体は正直なもので、その撮影が終わると、気管支炎で入院したという。
それほどの過酷な撮影に耐えながら、出来上がった冒頭の格闘シーン。降りしきる雨の中での戦いが、非常に美しく、繊細かつダイナミックに映し出されている。ところがレオンさんによると、実際は通りの一番端から反対側の端まで、敵と戦いながら移動するという映像を撮り、そのあとで寄りの映像も撮り、「あのシーンの撮影に、一晩だけで少なくとも100テークは撮っていた」そうだが、使われた映像はほんの一部だったという。「撮ったもののほとんどが使われず、編集で落とされることは分かっていました」とレオンさんは多少、予想はついていたが、それでも完成した映画を見たときには「これしか使われていないのか」とさすがにショックだったそうだ。「でもそれは仕方のないこと。監督の作品ですから……」と、またもや笑顔を見せるレオンさん。その笑顔にはカーウァイ監督に対する絶対的な信頼がうかがえた。
レオンさんが、中国武術、いわゆるカンフーを学んだのは今回初めてだったが、カーウァイ作品で実在の人物を演じたのも、また初めてだった。「カーウァイ監督はいつも、完璧な台本をくれるわけじゃないから、自分が演じる役が一体何なのか、ストーリーがどうなるのかが全く分からない。だから毎回、プレミア(試写)を見るたびにサプライズなわけです(笑い)」とカーウァイ監督の撮影スタイルをレオンさんは表現する。
その点、今回の葉問は実在の人物。「いろんな資料があったお陰で助かったし、自分が誰かがよく分かっていたから、以前の作品よりもすごく楽しめた」という。ちなみに今回の撮影で、女性武術家・宮若梅(ゴン・ルオメイ)役のツィイーさんはじめ、レオンさん以外の俳優は、レオンさんによると「自分が何の役なのかほとんど知らなかった」らしい。
レオンさんが演じた葉問について、演じる前は「彼に関する本や、写真を見たことがある程度」の知識しかなかった。しかし、演じ終えた今、彼の生きざまを振り返り、次のように話す。「山あり谷ありの人生を経験をしてきた人。にもかかわらずまっすぐな精神の持ち主だったところがすごいと思います。特に香港に亡命してからの生活はすごく大変だった。でも、彼の写真を見ると尊厳のある表情をしている。それにすごく楽観的な人だったようです。おそらくカンフーによって、彼の生き方は啓発されたのでしょう。カンフーが彼に信念というものを植えつけたのではないかと思います」と語る。
その葉問を演じるためにレオンさんは過酷な試練を経験したが、こんな経験はもうこりごりとは思わないらしい。「撮っているときは大変だと思うけど、撮り終えると大変さを忘れちゃうんです」と笑顔を見せる。この映画を撮り終えたときには、カーウァイ監督に「ありがとうございますと感謝した」そうだ。なぜなら「カンフーの勉強にもなったし、武俠(ぶきょう)小説などいろいろなものも読めたし、何より僕が啓発された」からだ。
「もしかすると人生というのは、大変なときが一番いいときだったりするのかもしれない。落ち込んでいるときのほうが、勇気や忍耐力が必要だったりしますから。僕の場合は、この映画のために4~5年を費やしました。その過程の中で、いいこともあれば悪いこともあった。そうした数々の問題を克服して、最終的にこれが完成したのです。すごくいい経験になったし、僕ら映画を作る人間にとって、そういうことが、いい結果につながっていくのだと思います」と語る。そんなレオンさんの表情からは、大役をやり遂げたことへの充足感と、作品の完成度に対する満足感がうかがえた。映画は5月31日から全国で公開中。
<プロフィル>
1962年生まれ、香港出身。18歳で俳優養成所に入所し、その後、テレビを中心に活動する。89年の「非情城市」で注目される。ウォン・カーウァイ監督作品は「欲望の翼」(90年)、「楽園の瑕(きず)」(94年)、「恋する惑星」(94年)、「ブエノスアイレス」(97年)、カンヌ国際映画祭で男優賞を受賞した「花様年華」(00年)、「2046」(04年)に出演。ほかの主な出演作に「フラワーズ・オブ・シャンハイ」(98年)、「HERO」(02年)、「インファナル・アフェア1・3」(02、03年)、「ラスト、コーション」(07年)、「レッドクリフ」(08、09年)などがある。
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