ゼロの未来:テリー・ギリアム監督に聞く コンピューターに「支配されているから破壊したい」反動を映画に

最新作「ゼロの未来」について語ったテリー・ギリアム監督
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最新作「ゼロの未来」について語ったテリー・ギリアム監督

 「未来世紀ブラジル」(1985年)や「12モンキーズ」(95年)、「ブラザーズ・グリム」(2005年)といった作品で知られるテリー・ギリアム監督の最新作「ゼロの未来」が16日に公開された。コンピューターに支配された近未来を舞台に、一人の天才プログラマーが「人生の意味」を見いだそうと模索する姿を、ギリアム監督が独特の切り口で描いた作品だ。3月に作品のPRのために「Dr.パルナサスの鏡」(09年)以来約5年ぶり5度目の来日を果たしたギリアム監督に、今作について聞いた。

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 ◇人生の意味は自分の中にある

 インタビューの直前まで、作品が上映される劇場でのイベントに出席。それ以前は各メディアの取材で部屋に缶詰めだったギリアム監督。部屋での取材にほとほと飽きたようで、気分転換したいという監督からの要望で急きょ場所を変更し、ホテルの近くにあるしゃれたカフェでの取材となった。店内に落ち着き、飲み物を注文の段となり、監督が選んだのはマルガリータ。時間は午後4時を回ったあたり。まだ日も高いのに大丈夫?と思ったが、監督は気にする気配もない。ともかくインタビューは始まった。

 主人公のコーエンは、会社から与えられた仕事、数式「ゼロ」の解明に黙々と挑みながら1本の電話を待っている。その電話が「人生の意味」を教えてくれると信じているからだ。ギリアム監督は、そうしたコーエンの姿勢に「宗教や、あるいはいわゆるドグマ(教義)といった、すでにあるものに人生の意味や目的の答えを求めるのは危ういことだ。確かにそういったものは使い勝手はいいかもしれない。でも、そこにすべての答えがあるわけではないんだ」と懐疑的だ。

 そういった監督の考えを象徴するのが、コーエンが住む火事で焼失したチャペル(教会)だ。「かつてなら宗教に見いだせた答えが、今やそれでは見つけられなくなっている」ことを表現したかったという。その一方で、街に氾濫する広告に惑わされ、物質的充足感に幸せを求め「気が狂ったように物を買おうとする」コーエン以外の人々についても、「それによって人生の意味が見つかるわけではない。それもまた間違った方法だ」と断じる。その上で、「人生の答えは他人から与えられるものではなく、自分自身を掘り下げて見つけなればいけないんだ」と唱える。

 ◇ヴァルツの真面目さは日本人と同じ

 コーエンを演じるのは、「イングロリアス・バスターズ」(09年)などの作品で知られるアカデミー賞俳優のクリストフ・ヴァルツさんだ。ヴァルツさんは劇中、真っ赤なスーツを着る。この衣装については「中世の物語なんかを見ると、ときどきああいう(ピエロのような)格好をしたキャラクターが出てくるよね。あれを思い出させるのと同時に、悪魔的な感じがするところが面白さなんだ」と解説し、「まっ、僕がデザインしたんだけどね。ハッハッハッ」と自画自賛しながら笑い飛ばす。

 そして、「クリストフは、特に何も言わずに着ていたよ。彼は、これを着ると自分が変わって見えるかもしれないとか、そういうことを気にする役者じゃないからいい役者なんだ。自分のやるべきことに集中してキャラクターを演じてくれる」とヴァルツさんをたたえ、「彼は日本人と同じように、言われたことに真面目に取り組むタイプなんだ(笑い)」と冗談交じりに語る。

 ◇映画作りの原動力は「嫌いなものに対するリアクション」

 コーエンは自分が置かれた状況に耐えられなくなり、金づちでコンピューターを破壊する。コーエンが感じたコンピューターに対するフラストレーションはギリアム監督も日々感じているようで、「毎日破壊してやりたいと思っている」と豪快に笑う。「コンピューターはいろんな可能性を示してくれるが、ときどきフリーズしたりするだろ? 支配されているからこそ破壊したいという気持ちになるし、この映画もそういう自分の反動から生まれたといえる」と今作を製作したきっかけを明かす。

 ならば、ギリアム監督がフラストレーションを感じないユートピアはどういうところなのだろう。この問いに、自身がイタリアに持っている「自然に囲まれ、教会の廃虚みたいな建物が近くにある、電話もインターネットも使えないような別荘」を挙げ、「そこにいるととても落ち着く。自然に立ち戻るのが、僕の考えるユートピアに近いのかもしれない」と答えながら、「とはいえ、僕自身はユートピアというものの存在を信じていないんだけどね」とニヤリと笑う。

 それでも、来日するたびに訪れている、大好きだという比叡山(滋賀県と京都府にまたがる天台宗の総本山)には今回も行くそうで、「明日、京都に行くんだ。比叡山に登るんだ」とうれしそうに語った。比叡山では「ただ歩き回ったり、自然に触れたりする」だけで、新作の構想を練ったりはしないという。なんでも「嫌いなものに対するリアクション」が映画作りの原動力になるそうで、「どちらかというと、都市部にいるときのほうがインスピレーションを受けることが多い」と語る。

 ◇「その人次第」の映画

 映画には、コーエンのほかに、人生に喜びを見いだせない15歳の少年ボブ(ルーカス・ヘッジズさん)も登場する。彼の姿は、今の日本の若者と重なる部分がある。その指摘に、「日本の若者の代弁は僕にはできない」と前置きしながら、「だけど昨日、福田雄一監督と対談したときに、日本の若者はこの作品に救済を感じるのではないかという話で盛り上がったんだ。だからもしかしたら日本の若者に響く部分が、この映画にはあるかもしれないね」と推測し、そのうえで「その人の人生の見方によって反応は変わってくると思う。まあ年齢に限らず、その人次第だね」と作品をアピールした。

 インタビューの終わり際、監督の悲願の作品である「The Man Who Killed Don Quixote」について尋ねると、「今、鋭意努力中(製作中ではない)」で、「製作費が全部集まったら、うまくいけば9月に(製作に)入れるかな……。もしかしたら入れないかも……でも、いつか必ずきっと」とコメントをするなど、終始、ちゃめっ気たっぷりな人柄がにじみ出ていたギリアム監督。ちなみに、監督が頼んだマルガリータは、最後まで口をつけなかった。映画は16日からYEBISU GARDEN CINEMA(東京都渋谷区)ほか全国で順次公開。

 <プロフィル>

 1940年、米ミネソタ州生まれ。60年代に英ロンドンに移住。その後、コメディグループ「モンティ・パイソン」のメンバーになり、アニメで貢献した。77年、単独監督作品「ジャバーウォッキー」、81年「バンデットQ」を経て、85年の「未来世紀ブラジル」を製作。そのほかに「バロン」(88年)、「フィッシャー・キング」(91年)、「12モンキーズ」(95年)、「ラスベガスをやっつけろ」(98年)、「ブラザーズ・グリム」(2005年)、「Dr.パルナサスの鏡」などがある。悲願の「The Man Who Killed Don Quixote」の製作に間もなく取り掛かる模様。

 (取材・文・撮影:りんたいこ)

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