韓国で1410万人を動員し歴代2位の記録を打ち立てた感動作「国際市場(いちば)で逢いましょう」が16日から全国で順次公開されている。メガホンをとったのは、前作「TSUNAMI-ツナミ-」(09年)が本国で大ヒットしたユン・ジェギュン監督だ。朝鮮戦争が始まった1950年から80年代までの韓国激動の時代を、ただ家族のために生き抜いた一人の男の人生を追いながら、韓国現代史を貫く一大叙事詩に仕上がっている。「私の父への感謝の思いを伝えたいがためにこの映画を作った」と語るユン監督に、製作の裏話や出演者について聞いた。
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今作がこれまでの韓国の歴史映画と違うのは、主人公のドクス世代の人々が、ドイツやベトナムに赴いたことが描かれていることだ。物語を組み立てるに当たってユン監督の頭の中には、当初から「朝鮮戦争に始まり、ドイツに派遣された炭坑労働者や看護師の話、ベトナム戦争に行った人たちの話、そして完全な形でないまでもドラマ的に一端の解決に向かう(朝鮮戦争によって)離散した家族探し」の四つの要素はあったという。だが、「それら四つの珠をつなぐ糸」が見つからなかった。「2年以上悩み抜いた末」にようやく、ドクスが朝鮮戦争の際に父親と交わす、「これからはお前が家長として家族をしっかりと守ってくれという約束を思いついた」と振り返る。
もっとも、物語の根底にはドクス世代への敬意、もっというならユン監督自身の父への感謝の念があった。ユン監督の父は、監督が大学生のときにがんで亡くなったという。サラリーマンで、人生を家族のためにささげた父に監督は「ありがとうございましたという言葉をきちんと伝えられなかった」と後悔している。その後悔は、04年に監督に第1子が生まれたことでますます強まった。しかし当時、ユン監督が手がけた作品は興行的に失敗し、「映画に必要な100億ウォン(約11億円)あまりの製作費を集められる状態ではなかった」。風向きが変わったのは09年。「TSUNAMI-ツナミ-」の大ヒットだった。
そういう背景を鑑みれば、印象に残るシーンについて、ユン監督がドクスが晩年、父親に対してこれまでの道のりについての思いを独白するシーンを挙げたことはうなずける。ユン監督は、「そのシーンを撮りたいがために作り始めた映画といってもいい」と言い切った上で、「それがまさに私が亡くなった父に対して言いたかった言葉でもあります」と明かし、「離散家族の再会のシーンに感動したという人が多いのですが、私にとってはその最後の独白のシーンにとても思い入れがあるのです」と感慨深げに語った。
ドクスを演じているのは、「ユア・マイ・サンシャイン」(05年)や「甘い生活」(05年)、最近では「新しき世界」(13年)などの作品で知られるファン・ジョンミンさんだ。ドクスはドイツの炭坑では危険な目に遭うが、ファンさんはそのシーンでは石炭まみれになった。撮影の際、いくら「俳優さんの安全を考え、お米と食用の色素を使って“石炭の粉”を作り、それを口の中に入れてもらった」とはいえ、ファンさんが、「すごくイライラしていた(笑い)」ことはユン監督にもわかったそうだ。しかし、「怒りを監督に向けるわけにはいかないから」、その矛先はスタッフに向き、ユン監督は「僕はそれを見て見ぬふりをしていました」と申し訳なさそうに打ち明ける。
また今作には、東方神起のユンホさんが、韓国に実在する歌手ナム・ジン役で出演し、本格的スクリーンデビューを果たしている。ユン監督によるとナム・ジンさんは当時、「70年代の東方神起といえるほどの人気者だった歌手」で、キャスティングに当たっては、「現在、韓国において最高にハンサムなトップ歌手であってほしい」「ナム・ジンさんは全羅道の出身なので、そこの方言を完璧にこなせる人であってほしい」「人間的にいい人であってほしい」という三つの条件を掲げていた。大勢の候補者の中で第1候補として挙がっていたのがユンホさんだった。ユンホさんに会ったところ、「トップスターのイメージとは全く違っていて、おしゃべり好きのおばちゃんのようによくしゃべる子で(笑い)、でも、人気者なのに決して偉ぶるところがなく、演技に対しても、すごい情熱を持ち合わせていて人間的に素晴らしい人だった」。そこで、「ほかの候補者に会う必要はない、彼でいこう」と決めたという。
ちなみにユン監督は、あるときユンホさんに「君のファンは、君がこんなにおしゃべり好きだと知っているのか」と聞いたそうだ。するとユンホさんは「昔からの親しいファンの人たちは知っています。でも大多数の人は、僕をカリスマ性のある男だと思っているから、監督、あちこちで言わないでくださいね」とくぎを刺されたそうだ。このインタビューで公にしていいのかと尋ねると、「大丈夫。彼には『言うからね』と言ってきたから(笑い)」と了承してくれた。
ドクス世代、さらに自身の父への敬意を形にした作品とはいえ、今作は決して“内向き”の内容にはなっていない。というのは50年代の国際市場の活気あふれる描写が、私たちが戦後の日本を描いた映画でしばしば見かける風景とそっくりで、共鳴せずにはいられないからだ。その指摘に監督は「日本も第二次世界大戦を経て、廃虚となったところから今の繁栄を築いています。それは世界的にも奇跡だといわれたような復興ぶりでした。一方韓国も朝鮮戦争を経て、短い期間でいわゆる『漢江の奇跡』といわれるほどの発展を遂げました。ですからこの映画を見ていただくと、きっと、日本でも韓国でも、私たちの親世代、祖父母世代の人たちに多くの共通点があることが分かると思います」と述べた。
だからといって、日本の観客に対して「こう見てほしい」という思いはないという。その代わり、自身が映画「ALWAYS 三丁目の夕日」三部作(05年、07年、11年)を見たとき、「楽しみ、感動し、涙した」ことに触れ、「日本のみなさんがこの『国際市場で逢いましょう』を見てくだされば、私が『ALWAYS 三丁目の夕日』を見たときのように、楽しめて感動もしていただけると思います。ですから、たくさんの関心と愛情を注いでいただけることを願っています」と話した。映画は16日からヒューマントラストシネマ有楽町(東京都千代田区)ほか全国で順次公開。
<プロフィル>
1969年、韓国・釜山生まれ。高麗大学経済学科卒業後、広告会社でコピーライターとして活躍。その後、「身魂旅行(原題)」(2002年)の脚本がシナリオコンクールで大賞を受賞したのを機に映画界に転身。これまでの監督作に「マイ・ボス マイ・ヒーロー」(01年)、「セックス イズ ゼロ」(02年)、「1番街の奇跡」(07年)がある。09年製作の「TSUNAMI-ツナミ-」では、韓国映画歴代9位の動員を記録。そのほかプロデューサーとして関わった作品に「シークレット」(09年)、脚本執筆作品に「ハーモニー 心をつなぐ歌」(10年)などがある。
(取材・文・撮影/りんたいこ)
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