乙葉しおりの朗読倶楽部:第19回 アンデルセン「マッチ売りの少女」最後の幸せとは…

アンデルセン「マッチ売りの少女−アンデルセン童話集3」(新潮文庫)の表紙(左)と乙葉しおりさん
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アンデルセン「マッチ売りの少女−アンデルセン童話集3」(新潮文庫)の表紙(左)と乙葉しおりさん

 美少女キャラクターが名作を朗読してくれるiPhoneアプリ「朗読少女」。これまでに50万ダウンロードを突破する人気アプリとなっている。「朗読少女」で、本の朗読をしてくれるキャラクター、乙葉しおりさんが「朗読倶楽部」の活動報告と名作を紹介する「乙葉しおりの朗読倶楽部」。第19回は、アンデルセンの「マッチ売りの少女」だ。

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 みなさんこんにちは、乙葉しおりです。

 いよいよゴールデンウイークが始まりました。

 「休みの日は何をして過ごしますか?」「帰省や旅行での道路・鉄道の混雑は?」……といった話題が多いと思いますが、今回は物語に関係するお話をしてみたいと思います。

 まずは5月1日、この日は「メーデー」、労働者の日としてニュースでもよく取り上げられていますが、その前夜から大きな行事があるのはご存じですか?

 それは、「ヴァルプルギスの夜」と呼ばれる、魔女たちの宴(うたげ)です。

 日本ではなじみのない行事ですが、ゲーテさんの戯曲「ファウスト」や、ディズニー映画「ファンタジア」などをご覧になった方は、ご存知かもしれませんね。

 魔女の宴というとちょっと怖い感じがしますけど、実際のお祭りは、飲んで騒いで、春の訪れを喜ぶ明るいものみたいです(^−^)

 その翌日は作家の樋口一葉さんのお誕生日です。

 旧暦3月25日生まれですから、現在の暦では5月2日になるんですね。

 学校で首席になられるくらい頭のいい方でしたが、お父さんの事業の失敗から苦しい生活を送るようになり、結核にかかって24歳の若さで亡くなられてしまいました。

 19歳で小説を書き始めてからおよそ5年間に多くの傑作を残されましたが、この機会に読んでみるのもいいのではないでしょうか。

 ではここで、朗読倶楽部のお話です。

 今日は、朗読倶楽部でのはじめての練習について。

 朗読倶楽部の部室ができあがり、朗読用の蔵書もそろったところまでお話しましたが、「そろそろ倶楽部らしい活動をしたい!」との部長さんの提案で、早速練習をすることになりました。

 みなさんは「自分の朗読経験」というと、何を思い出しますか?

 私はそれまで、学校の授業で教科書を読むくらいしかありませんでした。

 あがり症の私でも、倶楽部のみんなと先生の前だけなら、何の問題もなく朗読できるはず、最初はそう思ったんですけど……。

 いざやってみたら、全然だめでしたっ(>_<)

 まず、読む長さが全然違います。

 学校の授業で読む長さは、長くても2~3ページで、本のごく一部です。

 でも、普通の朗読はもっとたくさんのページを連続で読みますし、対面朗読などでは1時間以上続けて読むこともあるんです。

 私は、10分も読むことができませんでした(>_<)

 読み始めでかんでしまったら、倶楽部のみんなの前なのにすごくあがってしまって……。読む速さが上がったり下がったり、息を継ぐ場所がわからなくなってしまって途中で息切れしたり、最後は声が消えてしまいそうなくらいに小さくなっていました。

 そんなわけで、初めて朗読した「銀河鉄道の夜」は、ケンタウル祭の夜までたどり着くこともできずに終わってしまったのです(>_<)

 ……と、いうところで、今回はここまでです。

 次回もまた、よろしくお願いしますね(*^^*)

■しおりの本の小道 アンデルセン「マッチ売りの少女」

 こんにちは、今回ご紹介する一冊は、ハンス・クリスチャン・アンデルセンさんの「マッチ売りの少女」です。

 出身地のデンマークでは詩や紀行文でも有名なアンデルセンさんですが、日本ではなんといっても「アンデルセン童話」が有名ですよね。

 このお話はアンデルセンさんの生涯156編の創作童話の一つとして、1848年に発表されました。

 寒い寒い大晦日の夜、ひとりの小さな女の子が街頭でマッチを売っていました。

 マッチが売れないと父親にしかられてしまいますから、売れるまではおうちに帰れません。

 女の子は一生懸命マッチを売りこむのですが、街の人々は全く相手にしてくれませんでした。

 マッチが売れないままに夜も更けていき、女の子はあまりの寒さに暖を取ろうと、持っていたマッチに火をつけました。

 すると、マッチの明かりが呼び覚ました陽炎(かげろう)のように、目の前に暖かいストーブが浮かび上がってきたのです……。

 マッチを売る女の子のモデルは、アンデルセンさんのお母さんだと言われています。

 彼女は幼いころから貧しい境遇にあり、両親の言いつけで物ごいをさせられることもありました。

 やがて靴職人のお父さんと結婚してアンデルセンさんが生まれた後も生活は裕福にはならず、「洗濯女」として働き続けるうちに、水の冷たさとリウマチの痛みを和らげるために飲み始めたお酒からアルコール中毒にかかって亡くなられました。

 訃報を旅先のローマで聞いたアンデルセンさんは、深い悲しみに包まれながらも「神さまありがとう」と、感謝の言葉を残したそうです。

 アンデルセン童話は悲劇的な結末を迎えるお話が少なからずあるのですが、これは彼自身が経験した、貧困層の苦しみと希望のない暮らしに対して、「最後の幸せは天に召されることしかない」というメッセージだったと言われているのです……。

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