乙葉しおりの朗読倶楽部:第49回 宮沢賢治「風の又三郎」 「人間」か「神の精」か

「新編 風の又三郎(新装版)」作・宮沢賢治(新潮文庫)の表紙(左)と乙葉しおりさん
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「新編 風の又三郎(新装版)」作・宮沢賢治(新潮文庫)の表紙(左)と乙葉しおりさん

 美少女キャラクターが名作を朗読してくれるiPhoneアプリ「朗読少女」。これまでに50万ダウンロードを突破する人気アプリとなっている。「朗読少女」で、本の朗読をしてくれるキャラクター、乙葉しおりさんが「朗読倶楽部」の活動報告と名作を紹介する「乙葉しおりの朗読倶楽部」。第49回は宮沢賢治の「風の又三郎」だ。

ウナギノボリ

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 皆さんこんにちは、乙葉しおりです。

 私の学校では期末試験も終わって、試験休みに入りました。

 といっても、朗読倶楽部の活動は続いていますから毎日学校に行ってます。

 先日の雨の日はおじいちゃんが車で学校に送ってくれたんですけど、本格的に寒くなってきたこともあって、窓ガラスがすぐにくもってしまって、ふくのが大変でした(おじいちゃんの車は昔の車なのでエアコンがないんです……)。

 そんなわけで、お家でも居間にこたつを出したんですけれど、これがもうどこにも行きたくなくなってしまう気持ちよさで、本とみかんさえあれば何時間でも座っていられそうです……というか、実際その通りになってしまって、お母さんにあきれられちゃいました(>_<)

 さて、12月6日は「音の日」です。

 1877年のこの日は、トーマス・エジソンさんが発明した「蓄音機」を使って、録音した音の再生に初めて成功した記念日なんですよ。

 この発明がなかったら、朗読を手軽に楽しめる「オーディオブック」という存在もなかったでしょうし、私もここでこうしてお話をさせていただく機会もなかったと思います。

 ちなみに音を録音することに関しては、1875年にフランスのエドゥアール=レオン・スコット・ド・マルタンヴィルさんが成功していたとか。

 その翌日、12月7日は与謝野晶子さんのお誕生日です。

 以前ご紹介させていただいた「源氏物語」を現代語訳した一人として有名ですが、詩人としても著名で「君死にたまふことなかれ」「みだれ髪」などで広く知られていますよね。

 ではここで朗読倶楽部のお話、今回は朗読倶楽部の一日についてご紹介しますね。

 平日は授業がありますから、クラブ活動の時間は主に放課後からになります。

 朝練はみかえさんの家が学校から遠かったり、部長さんが朝に弱かったりといった理由から、日が昇るのが特に早い夏場の一部でしかやったことがありません。

 私とみかえさんは同じクラスなので、お掃除当番になったときを除けばいつも一緒に部室に行くんですけど、部長さんは中等部で少し早く授業が終わるので、先に先生と部室にいることが多いんです。

 活動場所は大体先生の司書室の隣にある「司書控室兼部室」ですが、声を出す練習をしないときは図書館もよく利用させてもらっています。

 さて、肝心の練習風景はというと……部長さんいわく「演劇部と文芸部を足して2で割れない感じ」というところでしょうか。

 朗読や発声練習ではみんなで声を出すんですけど、朗読のためにお話を読み込むようないわゆる「下読み」のときはひたすら黙読になるので、騒がしいときと静かなときの差が極端なんです。

 「2で割れない感じ」という表現、なんとなく伝わったでしょうか?

 ……と、いうところで、今回はここまでです。

 次回も引き続き、朗読倶楽部の一日についてお話しさせてくださいね(*^^*)

■しおりの本の小道 宮沢賢治「風の又三郎」

 こんにちは、今回は宮沢賢治さんの「風の又三郎」をご紹介します。

 このお話は宮沢賢治さんが亡くなられた翌年の1934年に発表されました。

 題名にもなっている風の神様の子「又三郎」は、東北地方の伝承「風の三郎さま」がモデルと言われ、これに宮沢賢治さん独自の解釈が加わえられたものとなっています。

 夏休みが終わった9月の新学期。

 30人に満たない全校生徒が一つの教室で学ぶような、村の山間の小さな小学校に、赤い髪にまん丸黒目の転校生、高田三郎くんがやってきました。

 「風の強い日にやってきた」、「風変わりな格好で言葉が通じない」、「三郎という名前」……五年生の嘉助くんは、彼が風の神様の子、「又三郎」ではないかと考えます。

 クラスの子供たちは三郎くんとともに、時には小さな事件を起こしたり、言い争いになったりしながらも、仲良く過ごしていくのですが……。

 「風の又三郎」と疑われる三郎さんですが、彼の行動を観察していくと、住んでいた地域が違うために習慣の違いや方言が通じなかったり、からかわれないようにひたすら強がってみせたり、村の自慢に対して住んでいた北海道の話で張り合おうとしたりと、いかにも転校生らしい特徴がうかがえる普通の少年として描かれているのが分かります。

 その一方、村の子供たちが夢の中で垣間見る「又三郎」像は、ガラスのマントで空を飛ぶ妖精という幻想世界の住人そのものとして描かれており、その正体が分からないままにお話が終わるため、果たして彼が「人間」か「神の精」か、宮沢賢治作品を研究されている方の間でも意見の分かれているところです。

 皆さんもぜひお話を繰り返し読み込んで、三郎さんの正体をはじめ、病床からこれを書き上げた宮沢賢治さんの伝えたかったことについて、考えてみませんか?

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