君塚良一監督:最新作「遺体 明日への十日間」を語る 「意見があれば全部受け入れる覚悟がある」

映画

 11年3月に起きた東日本大震災で、壊滅的な被害を受けた岩手県釜石市。川を1本隔てていることが人々の生死を分けたという。震災直後、廃校となった中学校の体育館が遺体安置所となり、生き残った人々が、そこに亡くなった人々の遺体を運び込み、身元確認や家族との再会に尽力していたという。そんな話を知る人は少ないのではないか。当時現地で取材をした1人のジャーナリストのルポルタージュの書籍を基に映画化した「遺体 明日への十日間」が23日公開された。「踊る大捜査線」シリーズの脚本家として知られる君塚良一監督がメガホンをとった。「命の尊さを伝えるためには人の死を描かなければいけない」という覚悟で映像化に挑んだ君塚監督に話を聞いた。(りんたいこ/毎日新聞デジタル)

 映画は、石井光太さんのルポルタージュ「遺体 震災、津波の果てに」(新潮社)に基づいて作られた。震災発生時、仕事に忙殺され、「何かできるはずなのに何もしていない自分に対して後ろめたさを感じていた」という君塚監督は、石井さんのルポルタージュを、「踊る大捜査線」の本広克行監督に勧められて読み、ショックを受けたとともに、「この原作はなんとしてでもいろんな人に伝えなければいけない」と感じ、映像化に動き出したという。

 −−作品を伝える手段として、テレビではなく映画を選んだのはなぜですか。

 タイトルも含めて、遺体安置所に特化して作品を作るということになると、遺体を映すということは当然あります。それは、僕は、テレビでは無理だと思う。見たいと思う人、見るという判断をした人が劇場に見に行くものだという気がしたのです。

 −−どのようなことに配慮して脚本を作っていったのですか。

 まず、僕は当時、その場にいなかった。実際の遺体安置所に何日もいらした石井さんが書いたものを、ありのままに映像として伝えることが僕の一番の役目ですから、創作は一切加えず、とにかく映像として伝えるということ。もう一つは、被災地でお会いした被害に遭われた人のことを常に思うということ。それだけを考えてシナリオにしていきました。

 −−映画としてのエンターテインメント的な要素も封印したのですね。

 今回は、僕がいままで培ってきた脚本術とか演出術というものは一切通用しないと思いました。とにかく、起きたことをありのままに伝える。ただ、これについての記録はないし、(遺体安置所を映した)写真も1枚しか残っていない。ですから、それを伝えるためには、ある種の劇化をしなければいけないし、俳優さんに演じてもらわなければいけない。セットも作らなければならない。けれどそこに、監督として、脚本家として創作を足すことは一切しませんでした。

 唯一頭にあったのは、上映時間です。かなり重たい内容だし、見る側もつらいものになるだろうと思いました。丁寧に(原作にある)すべて……ほかの地区のことや自衛隊について描くと、何時間にもなってしまいますから、僕は、遺体安置所というところに特化させて、1時間45分という中で見ていただこうと考えました。がれきの映像も津波の映像も使おうと思えば使えましたが、必要なかった。なぜなら、作品をセンセーショナルにしたり、観客にショッキングな思いをさせたり、興味を引く必要が僕には全くなかったからです。

 −−演出面で配慮されたことは?

 俳優さんと最初に約束したのは、うそをつくのだけはやめましょうということでした。演技はもともとうそなのかもしれないけれど、うそじゃない演技もあるはずで、自分がどう生きてきたかを含めて、悲しむのか、怒るのか、何も考えなくなるのか、それを全部自分に問いかけて、感じたものをそのままやりましょうとお話ししました。

 もう一つは、俳優さんもスタッフもすべてが発信者、表現者ですけど、声高にメッセージとか、表現するのはよしましょうということです。そして常に、被災者や被災地、あるいは犠牲になった方々、ご遺族の方を忘れないで仕事をしましょうということでした。

 −−そこまでこの作品を大切に思う気持ちはどこから生まれているのでしょう?

 これまで、ワイドショーやニュースを見ながら、これは劇化、ドラマ化できると思っていたのに、あれほど衝撃を受けた大震災に対しては目をそらしてやらないという選択をしたら、今までの自分の作品は全部うそになってしまうという気がしたのです。それほど作り手にとって、震災というものが、自分に問いかけてきました。

 −−撮影現場でのやりとりで印象に残っていることはありますか。

 ほとんどリハーサルなしでカメラを回していたんですが、西田敏行さんが(遺体安置所の)セットに初めて入るぐらいのところで、本当に腰が抜けたんですね。そのあとにもう1度入って来るときには、「靴を脱ぎたい」とおっしゃったんです。「ご遺体とはいえ、同じ町の方が寝ていらっしゃるのだから、家と一緒でしょう。そこに土足で入れるわけがない」と。靴を脱ぐのは事実ではないけれど、僕たちは真実を目指しましょうといった以上、「西田さんがそう思ったならそうしましょう」とやっていただきました。

 −−その西田さん演じる民生委員の相葉さんが、ご遺族に遺体のお化粧をさせてあげるシーンでは、思わず笑みがこぼれました。

 あの場面も、事実としては彼は葬儀社に勤めていた人間ですからお化粧はできるんです。でも西田さんはあのとき、心から娘さんにやらせてあげようと思ったのです。それによって、2人のご遺体やご家族に対するとても優しい思いが出た。それが結果的に、ほっとする笑顔になったのかもしれない。それもすべて、俳優さんみんなが心にうそをつかないで率直にやってくれたからです。今回の俳優さんたちは、本当に優れた方々でした。

 −−君塚監督は、コメディアンの萩本欽一さんに弟子入りし、そこで放送作家の修業をされました。今作に、その修業時代の経験が生かされていると思われますか?

 萩本欽一は僕の師匠であり、僕をこしらえてくれた人。その萩本欽一から教えられたことはもちろんたくさんあります。例えば、観客のことを忘れるな。あるいは、僕ら作り手は、観客や周囲の人たちにうそをついてもすぐバレるぞ、とよくいわれていました。そうしたことは、この映画を作るときの、僕の心の奥にはきちんとありました。被災地のことを思って、ワンカットワンカット撮っていこうと思ったし、僕がうそをついたり、そこそこの決意でものを作ったら、それがばれてしまうと思うのは、萩本さんから教わったことかもしれません。

 見ていただきましたよ、萩本さんに。「今もこれからも、悲しんでいる人たちが本当にいるんだということを、この映画を見ながらずっと思っていた」といってくださいました。

 −−改めてお聞きします。君塚監督にとって今作はどのような位置づけの作品ですか。

 特別です。これは伝える映画だし、僕はおそらくこの作品に一生かかわっていかなければいけないし、災害や震災ともずっと思いはつながっていかなければいけない気がしています。作りました、公開しました、じゃあ次の作品はこのテーマでいきます、というわけにはいかない。僕の中の特別な映画なんです。

 気が重くなるタイトルかもしれませんが、見ていただければ分かるし、見ていただいた上で、もしご意見があれば僕は全部受け入れる覚悟があります。とにかく、見ていただきたいということだけです。

 *……映画は2月23日から全国で公開。なお、今作の収益金は被災地に寄付される。

 <プロフィル>

 1958年東京都生まれ。日本大学芸術学部卒業後、萩本欽一さんに師事し、バラエティー番組の構成作家でキャリアを積む。92年のテレビドラマ「ずっとあなたが好きだった」の脚本を担当し、“冬彦さんブーム”を巻き起こし、以降、「誰にも言えない」(93年)、「コーチ」(96年)といった人気ドラマの脚本を手がけた。97年に脚本を担当したテレビドラマ「踊る大捜査線」は、のちに映画化もされ大ヒットした。「踊る大捜査線」シリーズのスピンオフ作品「容疑者 室井慎次」(05年)では監督と脚本を務めた。そのほかの脚本・監督作として「MAKOTO」(05年)、モントリオール世界映画祭最優秀脚本賞受賞作「誰も守ってくれない」(08年)がある。初めてはまったポップカルチャーは、小学校6年生ごろに見た、英テレビシリーズ「謎の円盤UFO」。「毎週土曜午後8時からの放送でしたが、7時半ぐらいからテレビの前に座って待っていた」というぐらいはまっていたそうで、「あれにはまったということは、若干の超常現象オタクであり、きっと特撮オタクなんでしょうね」と自己分析していた。

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