TOKYO MX:マツコ、北斗を発掘 「5時に夢中!」「バラいろダンディ」大川Pの秘密

TOKYO MXの大川貴史プロデューサー
1 / 7
TOKYO MXの大川貴史プロデューサー

 マツコ・デラックスさんや北斗晶さんら辛口トークで人気のコメンテーターを“発掘”したのが東京エリアの独立UHF局「TOKYO MX」の人気番組「5時に夢中!」。さらに元オセロの中島知子さんや元フジテレビアナウンサーの長谷川豊さんを起用して話題を呼んだ「バラいろダンディ」も同局の人気番組だ。「制作費が圧倒的に少ないからこそできた」と明かす両番組の生みの親・大川貴史プロデューサーに、人気の理由を聞いた。

ウナギノボリ

 「5時に夢中!」は、2005年に始まった平日午後5時から放送されるトーク番組で、マツコさんや北斗さんのほか、タレントの岡本夏生さんや作家の岩井志麻子さんらコメンテーターがテレビとは思えないような本音のトークを繰り広げることで人気となっている。「バラいろダンディ」は、2012年からスタートした前身の「ニッポン・ダンディ」が14年4月にリニューアルした。平日午後9時からインターネットのニュースなどをネタに、中島さんをはじめ、ジャーナリストの山路徹さんや俳優の梅沢富美男さん、認知科学者の苫米地英人さんら多彩な顔ぶれのコメンテーターがトークを展開する。

 「5時に夢中!」は当初、主婦向けのワイドショーとして企画された。大川さんは「予算がないので基本的にトークショー。あとはネタと誰を引っ張ってくるか」ということで夕刊紙をネタにした。コメンテーターは、出版関係の知人からの紹介などで、作家や編集者といった文化人に“お友達価格”で出演してもらった。「当時は文化人が肩書も良くて、テレビではない世界でご飯を食べられる人が一番引っ張ってきやすかった。その中で面白い人を」という。人選の基準は「極端に過剰な人。言い過ぎちゃうとか、エロ過ぎるとか、下品過ぎるとか……という「~過ぎちゃう」人が僕自身も好きなんです。MXって媒体力も弱いし、普通に話していたところで伝わらない。(普通ではない)伝え方をする人の方が見ていてインパクトがあるかなということでそういう人を起用しました」と明かす。

 その中でも北斗さんは当時あまりバラエティー番組などには出演していなかったが、プロレス好きだった大川さんが直接交渉し、まずはゲスト枠で出演してもらい、レギュラーになった。「北斗さんは自分の言葉も持っている人で、意外にまともなコメントする面白さがある。今出ているメンバーで考えたら北斗さんが一番普通に近い。怖いキャラなのに、まともなことを言うギャップがある。だから(中村)うさぎさんとかマツコさんが映えるんだと思います」と分析する。

 その後、コメンテーター陣が次々とブレークした「マツコさんがどんどん売れていったように、ツイている番組だと思います。北斗さんが24時間マラソンで出たりとか、美保純さんがNHKの連続テレビ小説『あまちゃん』に出たりとか。視聴者の人からのメールの数も増えました。ここまでくるのに10年かかった。3年以上やらないと番組自体が気付かれない。その3年間の中でいかに会社でつぶされないようにするかが大事」と振り返る。

 「5時に夢中!」の成功を受け、企画されたのが「バラいろダンディ」の前身となる「ニッポン・ダンディ」だ。「もともとは男性版の『5時に夢中!』にしようと思っていた。『5時に夢中!』が時間的に見られないという人から再放送のリクエストを結構いただいていて、似たようなことやってもいけるんじゃないかと思った」という。そこで「ダンディ」としてミュージシャンのダイヤモンド☆ユカイさんや俳優の今井雅之さんら男性コメンテーターを起用した。

 だが、放送から1年後に方針を変更、漫画家の倉田真由美さんや作家の室井佑月さんら女性コメンテーターを起用した。大川さんは「“男の言いたい放題”をやれば、今の時代は女性の時代で男の人は虐げられているから受けるのかなって思ったんですが、ちょっと時間帯が早すぎた。奥さんや子供がチャンネル権を握っている。あと、テレビを見ている人は、男がやり込められるのが好きだと感じて女性を入れていきました」という。

 さらに、MCにNHKを退社した堀潤さんやフジテレビを退社した長谷川さん、コメンテーターでは芸能活動を休止していた中島さんを起用、3人とも復帰後初レギュラー番組となった。大川さんは「そういう人の方が一生懸命やってくれる。傷ついて不安だから、逆風の中で、一つの仕事をやった方が一生懸命やってくれる。“『ダンディ』は再生の場”と言われたりしますが、みなさん面白がってやってくれるからありがたい」と語る。

 大川さん自身、大学で野球に打ち込んでいて、マスコミ志望は全くなかったという。就職先が決まらなかったとき、開局準備中だった同局の募集に応じて、第1期生として入社。最初は営業担当だったが、CM運行部を経て6年目に制作に移り、アシスタントディレクター(AD)を務めた。「野球部だったんで、みんなでやる仕事が得意。制作が合っていたと思う。ただ気を遣う人間ではないので、ADには全く向いていなかった。同僚が優秀で悩みました」という。だが、開局間もないため、すぐにディレクター、プロデューサーを務めるようになり、少しずつ変わっていった。「僕は一番声がでかい。人が仕切れる。一つのきっかけ。人に指示するのは得意だった。入るすき間があるなって感じた」と振り返る。

 そして一から立ち上げた番組が「5時に夢中!」だった。「制作費が全然もらえないから『なんちゃって』っていうノリ。セットも『なんちゃってニュース』にしちゃおうよ、というようにやっているうちに皆の創意工夫もあってそれなりに見えてきた。出ている人もアマチュアだったけれど、僕らもアマチュアという感覚でやっていたが、たまたまヒットしたんだと思います」という。

 現在、制作部長として「週末めとろポリシャン」「淳と隆の週刊リテラシー」などを一手に手がける。「スタッフの人数も少ないから、キャストとどんどん仲が良くなるし、視聴者も番組との距離が近く感じると思う。それがMXの売りだと思います。血が通わない仕事はいやだし、けんかになろうが互いに言いたいことを言えるような感じの人の方がいい。どうせなら好きな人と“心中”した方がいいかなという気持ちでやっています」と語る。経験が少ないからできたこそ実現したキャスティングの妙。大川さんが今後どんな人材を発掘するか注目だ。

写真を見る全 7 枚

テレビ 最新記事