ファインディング・ドリー:ピクサーで働く小西園子さんと原島朋幸さんに聞く 日米アニメの違いとは?

ピクサー・アニメーション・スタジオでスタッフとして働く原島朋幸さん(左)と小西園子さん
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ピクサー・アニメーション・スタジオでスタッフとして働く原島朋幸さん(左)と小西園子さん

 2003年に公開され大ヒットした「ファインディング・ニモ」の続編「ファインディング・ドリー」のMovieNEX(ブルーレイディスクとDVD、スマホで本編が見られるデジタルコピー、購入者限定のスペシャルサイトのセット)がリリースされた。その名作が生まれた米カリフォルニア州エメリービルにあるピクサー・アニメーション・スタジオを訪ね、作品にスタッフとして携わる日本人の小西園子さん(キャラクター・テクニカルディレクター)と原島朋幸さん(キャラクターアニメーター)に日米のアニメの違いなどについて聞いた。

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 ◇忘れん坊のドリーが主人公

 「ファインディング・ドリー」は物忘れの激しいナンヨウハギのドリーが主人公。前作「ファインディング・ニモ」で、カクレクマノミのマーリンと出会い、人間にさらわれた彼の愛息ニモの救出劇に一役買ったドリー。今作は、その冒険から1年後、グレートバリアリーフのサンゴ礁で幸せに暮らすドリーが、今度は、ニモとマーリンの助けを借りながら、自分の家族を探す旅が描かれている。

 ◇米国人は善悪がはっきりしている話は好き

 ――ピクサーで働くに当たって日本人で大変なことは?

 原島さん:やっぱり英語ですね。私はアニメーターなんですけれど、監督と直接やりとりすることが多くて、監督は考えているニュアンスを的確につかみとって映像化するのが仕事なので、そこが難しいところです。100%自分の中で理解できているのか、みたいなところが。日本語でも同じなのかもしれないですけれども、特に英語になっていることが大変な部分でもあります。いつもではないですけれどもね。

 小西さん:難しいところは、テクニカルな方では予期しなかったことが起こると、バックアッププランも一応とってありますけれども、勝負を張っていざやるときに少し心配になりますね。

 ――逆に日本人ならでは楽しさは?

 原島さん:日本がらみのことが作品の中に入っているとちょっとうれしくなりますね。「ファインディングドリー」のときは特にはなかったんですけれど、私はやっていないんですけれど、「カーズ2」のときに東京が出てきたりするじゃないですか。そういうときにああいう部分で声優やれないかなとか(笑い)。あとは違うプロジェクトとかで日本をフィーチャーしていて、そういうのが出てくると、日本人としてはやっぱりうれしいですね。

 小西さん:テンション上がりますよね。

 ――(原島さんに)日米のアニメの楽しみ方の違いがあると思います。米国は子供向け、日本は幅広い層が楽しんでいると思いますが、違いはどのように感じますか?

 原島さん:日本のフルアニメーション、スタジオジブリさんなどの長編映画とテレビで流れているアニメと分かれるとすれば、米国のはフルアニメーションに近いと思うんですけれども、それでも別物というか、同じアニメーションというカテゴリーにはありますけれど、別物だと。アメリカはきちんとストーリーを伝えるという部分があって、日本ってわりとストーリーの最後は視聴者に任せるよという部分があって、たぶんアメリカ人はそういうのが好きじゃないんですよ。最後にハッピーエンドとか、善悪がはっきりしているのが結構好きで。日本は逆にいうと、たとえば「エヴァンゲリオン」とかエンディングが結構ミステリーで、サイトとかであれはこうじゃないかああじゃないか(余韻があって)と議論になるのが多いような気がするんですよね。

 あとはせりふで話が進んでいく。どちらかというと動くマンガ的な感じがするんですね。キャラクターで動いているというよりかは絵はわりと止まっているんですけれどせりふとナレーションでどんどん話が進んでいく感じがする。それがキャラクターを動かすアニメーターとして見るともっと動いているのが見たいという感じがしますね。あとは動いていて、アメリカ人もクール!とか言うんですけれど、でも何が起こっているかよく分からないんですけれどカッコいいという表現が日本のアニメーションの中には多くて。それはアメリカではNGなんですよ。監督は意図して映画を作るじゃないですか。観客に見てほしい部分というのが必ずあって、ここに見てほしい部分があったら違う部分が動いていてはだめなんですよ。次のカットでは必ず見てほしいものを見てもらえるようにカメラワークとかも考えて作っているんですね。そのへんは少しギャップがあります。

 ――小西さんは以前のインタビューで、日本人でピクサーに入りたい人は絵コンテやストーリーが描けて、アニメーションができる人だと答えていますが、日本人は特徴としてどういうところを伸ばせばいいと思いますか。

 小西さん:日本は技術的には高いと思うんですよ。だって幼稚園のときからキャラクターとか描いているので。でも最近思ったんですけれどピクサーの作品は5歳から50、60歳まで幅広く愛されているのは絶対にシナリオにあると思うんです。そこは結構日本人は弱いところもあるのかなと思うんです。絵コンテを描く人はたぶんシナリオとか頭に置いて描けばいいんじゃないかなと思うんですけれど。

 原島さん:映画の脚本家を連れてきますからね。アニメーションの映画を作るのに。アニメーションの勉強というよりかは、もっと映画というか脚本とかの勉強をするとか。

 小西さん:レイアウトも結構重要。だから実写の映画と同じようなものなんですよ。私たちはピクサーでアニメーションを作っていますといってもライブアクション(実写映画)のエディター(編集)をしていた人とか脚本書いている人がほとんどですから、映画扱いとして、たまたまアニメーション、CGのキャラクターがアクターという。CGとしてセットを動かしたりという。最初に『ピクサーは演劇を作るような感じだ』と言われたんですよ。何もないところから立ち上げるので。

 ――お二人が日本のアニメで好きな作品は?

 原島さん:私はジブリ作品が好きです。昔の作品の方が好きですね。「天空の城ラピュタ」とか、あとはもっと前の東映アニメーションとか、「長靴をはいた猫」とか宮崎駿さんや大塚康生さんがジブリをやる前の。あとは「ルパン三世 カリオストロの城」とか。あのときによかったのはキャラクターがちゃんと演技をしていて動いて、大塚さんが動かすのが好きな人でとにかく動かしたいという人だったので、本当に動いていたんですね。予算もあったんだと思うんですけれど。

 小西さん:私も最近、インターネットで昔の(日本の)アニメを見だすと止まらないです。「日本昔ばなし」を最近見だして。

 原島さん:日本昔ばなしも回によっては長編アニメーションを描いていた人たちが描いていますもんね。

 <小西園子さんのプロフィル>

 キャラクター・テクニカルディレクター 東京都出身。1978年、7歳の時に東京の映画館で「スター・ウォーズ」を見て視覚効果の仕事に魅了される。17歳で米国に渡り、スクール・オブ・アート・インスティチュート・オブ・シカゴで美術と技術を専攻。94年8月、「トイ・ストーリー」のテクニカルディレクターのアシスタントとしてピクサーでの仕事を始める。同スタジオで、セット美術、照明などの仕事を担当。そこから、キャラクター・モデリング、モデリングの関節制御といった仕事に移り、「モンスターズ・インク」「ファインディング・ニモ」「Mr. インクレディブル」「レミーのおいしいレストラン」「ウォーリー」「カールじいさんの空飛ぶ家」「トイ・ストーリー3」「メリダとおそろしの森」「インサイド・ヘッド」などピクサーのほぼすべての長編作品に貢献。また「カーズ」ではピンク色の日本のリポーターカーとして声優デビューも果たした。「ファインディング・ドリー」では、ハンクの吸盤や海のプランクトンのシミュレーションを担当。現在、夫と2匹の猫とともに米国で暮らしている。

 <原島朋幸さんのプロフィル>

 キャラクターアニメーター 電気通信大学卒業後、エンジニアとして会社に勤務するも、「ジュラシック・パーク」(1993年)がきっかけでハリウッド映画とVFXに興味を持つ。退職し、専門学校で3DCGとプログラミングを学ぶ。2001年、米国に語学留学。03年、Academy of Art University(サンフランシスコ)の大学院に進学し、通称“ピクサークラス”でピクサーのアニメーターからキャラクターアニメーションを学ぶ。06年、DreamWorks Animation(ロサンゼルス)に入社。07年、同社のレッドウッドシティに異動。「マダガスカル2」(08年)、「ヒックとドラゴン」(10年)、「マダガスカル3」(12年)、「ヒックとドラゴン2」(14年)などの制作に参加。15年3月からピクサーに移籍し、「アーロと少年」(15年、日本では16年3月にロードショー)の製作に参加。現在は同社にて、次回作のキャラクターアニメーションに従事している。

 (取材・文・撮影:細田尚子/MANTAN)

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