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大江千里:ロングインタビュー(上) 「40代で人生の岐路に」NYでジャズピアニストに転身した理由

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最新刊「ブルックリンでジャズを耕す 52歳から始めるひとりビジネス」を発売した大江千里さん

 シンガー・ソングライターとしてデビューし、現在は米ニューヨークでジャズピアニストとして活動する大江千里さんが、著書「ブルックリンでジャズを耕す 52歳から始めるひとりビジネス」(KADOKAWA、1944円)を19日に発売した。現地の音楽大学でジャズを学ぶために2008年に渡米した大江さんが、12年に大学卒業後、自身のレーベルを設立して起業する姿など、NYでの音楽活動や日常生活が記されている。また帯には、劇場版アニメ「君の名は。」で知られる新海誠監督が絶賛のコメントを寄せている。PRのために一時帰国した大江さんに、ポップスからジャズに転身した理由、日本で活動していた1980~90年代当時への思いなどについて聞いた。

 ――日本でシンガー・ソングライターとしての実績を築きながら、そのキャリアに区切りをつけて米国に移住されたわけですが、決意した理由は?

 僕の場合は30歳ぐらいで(シンガー・ソングライターとしての)ピークがきて、そこから売り上げ的には上がったり下がったりして、その中で学び、それを超えて自分の40代が見えてきて、そうこうして人生の岐路が訪れたというか。母が亡くなったり、一緒に暮らしていた犬が亡くなったり、親友が亡くなったりして、「人の命」を考えるような時期に差し掛かり……。ラッキーなことに、非常に満足度の高いアルバムをビジネスにつなげていけるような体制が整いつつあったときに、役者としても映画の主役(2007年の「WHITE MEXICO」)をもらって、そこに自分の演技を集大成できて、その映画の挿入歌も作ることができたり。肩の力を入れずに自分がやってきたものを何か一つ集約することができて、「やり切り感」みたいな充実感がものすごくあって……。

 同時にそれが、亡くした命の喪失感と相まって、自分がこれからどう生きていくのか……そうした光と影がその日によってものすごく変わった時期があったんです。シンガー・ソングライターとして頑張った評価はそれなりにいただいて、その充実感と裏腹に、その先に行きたかったんだと思うんですね。僕にはピアノがあって、いろんなことをもっと表現したい、もう一つ人生を味わってみたかったというか。何があるか分からないけど、その“何があるか分からない方”にかけたいという思いがあったんだと思います。

 ――日本で多忙を極めていた1980~90年代当時を振り返って、改めて感じることは?

 あのときの自分がいたからこそ今があるって思いますね。毎回ホントに本気でやり切っていたし、1回もステージに穴は空けていないし。その日の天候、政治状況、経済の動き、「誰々が離婚した」とか、そういういろんなニュースを抱えて会場に入ってきたお客さんのテンションとのキャッチボールで決まっていくから、永遠に答えが出ない、ライブという難しい仕事の怖さと楽しさに没頭しながら、振り回されながら、「でもやめられない」みたいな。そういう意味ではやり切ったなんて恐れ多いし、まだまだ見えていなかったし。でもかたや「もう思い残すことはない」というような、その両方の気持ちがありました。

 ――最近、大阪府立登美丘高校のダンス部が、荻野目洋子さんの「ダンシング・ヒーロー(Eat You Up)」(85年)で踊る“バブリーダンス”が注目されていますが、実は大江さんも大阪の高校の出身だそうですね。

 今は学区制度はなくなったんですけど、僕が行っていた富田林高校と登美丘高校は学区が隣同士で、僕が住んでいた狭山ニュータウンから山のトンネルを抜けると、泉北ニュータウンにつながっていて、泉北に入った途端に登美丘高校に行ける学区なんですね。だから何か他人じゃないような気がしていて、そういう子たちが紅白に出てキレキレのダンスを踊っているのを見ると、やたら沸き立つというか、興奮するというか……。

 ――日本でのこうした「80年代リバイバル」の傾向についてはどう思いますか?

 僕も80~90年代のころ、70年代がカッコいいと思って、そのエッセンスを入れたり、そのフォーマットを使わせてもらったりっていうのがときどきあったんです。アレンジでも70年代っぽい感じにしたり。だから、順当に時代は巡り巡って80年代というか。考えてみると、あのバブルの時代を乗り越えてサバイブしてきて、今も仕事を続けているっていうのは、やっぱり相当、面白いわけで、僕はあの時代を経験したことが今、ものすごく役に立ってますね。

 <プロフィル>

 おおえ・せんり 1960年9月6日生まれ。83年にシングル「ワラビーぬぎすてて」とアルバム「WAKU WAKU」でデビュー。「十人十色」「格好悪いふられ方」「ありがとう」などのシングルがヒット。2008年にジャズピアニストを目指すために渡米し、ニューヨークの音楽大学「THE NEW SCHOOL FOR JAZZ AND CONTEMPORARY MUSIC」に入学。12年、大学卒業と同時に自ら設立したPNDレコーズから、アルバム「Boys Mature Slow」でジャズピアニストとしてデビューを果たした。15年には、渡米からジャズ留学、大学卒業までを記した著書「9番目の音を探して 47歳からのニューヨークジャズ留学」(KADOKAWA)を発売。大江さんは昨年末のNHK紅白歌合戦をNYで見たそうで、最近のJ-POPについて「AIさんがすごくいい曲で素晴らしかった。あと三浦大知さんは、Folderのころは知っているけど、ソロになってああいうふうに円熟してくるってすてきだなって」と感想を語った。

 (インタビュー・文・撮影:水白京)

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