僕たちは戦争を知らない:菊池風磨・中間淳太・松村北斗・阿部亮平が戦争経験者を取材 「今後の人生において重要な時間に」

8月14日放送の「僕たちは戦争を知らない~1945年を生きた子どもたち~」に出演する(左上から時計回りに)菊池風磨さん、中間淳太さん、松村北斗さん、阿部亮平さん=テレビ朝日提供
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8月14日放送の「僕たちは戦争を知らない~1945年を生きた子どもたち~」に出演する(左上から時計回りに)菊池風磨さん、中間淳太さん、松村北斗さん、阿部亮平さん=テレビ朝日提供

 人気グループ「Sexy Zone」の菊池風磨さん、「ジャニーズWEST」の中間淳太さん、「SixTONES(ストーンズ)」の松村北斗さん、「Snow Man」の阿部亮平さんが、8月14日午後1時55分から放送される「僕たちは戦争を知らない~1945年を生きた子どもたち~」(テレビ朝日系)に出演することが8月1日、明らかになった。ジャニーズ事務所所属の4人が、子供時代に戦争を経験した証言者の声を聞きに、全国各地を訪ねる。

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 菊池さんは、都内在住の鈴木忠典さん(93)のもとへ。鈴木さんは、14歳で海軍特別年少兵に志願し、ソロモン諸島付近で、20メートルにも満たない小型船で敵の軍艦に近づいて魚雷を放つ任務についた。鈴木さんは、相手を攻撃することしか考えられなくなり、仲間が負傷しても、優しい言葉をかけられなかったと明かす。菊池さんは「人の心をなくしてしまう戦争の悲惨さが、ひしひしと伝わってきました」と語る。

 菊池さんは、埼玉県在住の鈴木賀子さん(84)の戦争体験も聞く。1945年3月10日、東京大空襲で母を亡くし、当時7歳の賀子さんは4歳の弟と生き延びた。2人がたどり着いたのは上野駅の地下道。食べ物もなく、誰も助けてくれない状況で、どのように生き抜いたのかが語られる。

 中間さんは、国内唯一の地上戦となった沖縄県へ。当時16歳の女学生だった武村豊さん(93)は、故郷への思いから従軍看護助手になった。だが、16歳の少女にとって、手足がもがれたような負傷兵のケアは簡単なものではなく、母と姉、女学校の仲間たちが犠牲となる中、生き残った武村さんは今も心の中でわび続けていることを打ち明ける。中間さんは野戦病院の跡地も訪問し、「今後の人生において重要な時間となりました」と語る。

 松村さんは長崎県を訪れ、原爆の語り部をしている池田松義さん(84)の話を聞く。爆心地から700メートルほどの地点で被爆した池田さんは奇跡的に助かったが、父と母を亡くした。池田さんにとって、安らぎの場となったのが再開した学校だった。約1500人の生徒のうち、1400人あまりが亡くなったが、生き残った生徒が集まった。池田さんとの対話を経て、松村さんは「取材中に言葉にし切れなかった瞬間、その感情がすごくリアルで大切」と振り返る。

 阿部さんは、ジャニー喜多川さんも疎開していた和歌山県に住む、田中誠三さん(86)を訪ねる。1945年6月22日に、空襲で自宅に爆弾が直撃し、田中さんの母と2人の姉は命を落とした。7月9日の和歌山大空襲では、市街地一帯を円で囲むように焼夷(しょうい)弾が落下。逃げ場を失った700人以上が焼死した。

 ジャニーさんは「二度と悲惨な出来事を起こしてはならない」という信念で、自らが演出するステージで戦争の場面を表現してきた。ジャニーさんが自身の戦争経験を投影して作った舞台「少年たち」にも出演した阿部さんは、「どこか田中さんにジャニーさんを重ねてお話を聞いていたところもあったかもしれません」と語るも、田中さんの体験談に言葉を失う場面もあるという。

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