世界の果てまでイッテQ!
世界一暑い国ジブチで中岡Qtube!温泉同好会は韓国済州島でキャンプ
11月3日(日)放送分
1990年代に全国区の人気を誇ったお笑いタレントの森脇健児さん。現在は関西ローカルの「HITMON!!」(カンテレ、木曜深夜1時20分、10月からは月曜深夜1時25分)や地元・京都の「あんぎゃでござる!!」(KBS京都、日曜午後10時半)など関西を拠点に活動を続け、毎年春と秋の改編期に放送されるTBS系特番「オールスター感謝祭」の「赤坂5丁目ミニマラソン(赤坂マラソン)」で半年に1度、全国に健在ぶりをアピールしている。森脇さんは、高校時代にオーディションに合格すると、20歳そこそこでブレーク。すぐさま東京に進出し、90年代には10本以上のレギュラー番組に出演するなど大活躍。そんな人気絶頂期の心境や、その後、低迷した原因といわれる大御所とのエピソードの真相、挫折から得た教訓などを赤裸々に語った。
あなたにオススメ
「豊臣兄弟!」では池松壮亮が! 大河ドラマ“秀吉俳優”史を振り返る
1967年2月5日生まれ、大阪府出身の森脇さんは、京都の高校に入学し、2年生のときに「第1回松竹芸能タレントオーディション」に合格。1984年から事務所に所属し、1988年から、関西ローカルのバラエティー番組「ざまぁKANKAN!!」(読売テレビ)のMCを山田雅人さんと共に務め、女子高生を中心に人気を博す。90年代に入ると、東京に進出し、1992年からSMAP、森口博子さんと出演したバラエティー番組「夢がMORIMORI」(フジテレビ系)など多くのレギュラー番組に出演し、人気を全国に広げた。
森脇さん自身、ここまで急速に、そして熱狂的に全国区で人気が出たのは、「競争相手が少なかった」ことを理由の一つに挙げる。
「僕がこの世界に入ったのは、80年代の漫才ブームが終わったころで、お笑いをする若い人が少なかったんですよ。だからテレビ局が『女の子をワーキャー言わす(若い)人がほしい』となった時に、当時21歳だった僕が抜てきされたんです」と当時の状況を語る。さらに「ラッキーだったのは、当時は関西にジャニーズ(のタレント)がいなかったこと。ジャニーズに来られたら、本物のアイドルには勝てるわけがないですよ(笑い)」とお笑いタレントがアイドル的な人気で時代の波に乗れた理由を語る。
人気番組「笑っていいとも!」(フジテレビ系)でもレギュラー出演し、俳優やレコードデビューまで果たし、CMに出演するなど、一躍時の人に。さぞかし有頂天だっただろう……と思いきや「アクセルしかない車に乗っているようだった」とそのときの心の内を明かす。
「時代の追い風が吹いたときって、タレントの意見ってあんまりないんですよ。みこしの上に乗って、周囲に持ち上げられるまま、『もっとこっちに行って!』とか言えない。今だから言えるけど、不安でしょうがなかったです」と明かす。「ちょうどそのころ、CMで一緒になった吉田栄作さんの(仕上がっている)体を見て『このままではいけない』と思い、ボクシングジムに通い始めました。プロを養成するような、すごく厳しいジムだったけど、練習している時が、自分自身に戻ったような感じがしていました」と、当時の知られざる心境を語った。
ボクシングは結局、プロテストを受ける過程が番組にもなり、1995年にプロテストに合格した。
森脇さんは、90年代後半からレギュラー番組が少しずつ減っていき、90年代末にはついにゼロに。その原因について、「タモリさんや笑福亭鶴瓶さんら大物タレントに対して空気を読まずに怒らせて干された」という話が定説になっているが、森脇さんはそれに関して、「本当に可愛がってもらったからこそ言えるネタ」と明かした上で、原因は他にあったと語り始めた。
「ボクシングを始めてから、業界の人との付き合いを減らしたのもあるし、何よりも30代になってから、誰をターゲットにすればいいのか分からなくなったんです。20代は、若い女の子をキャーと言わせたらよかったけど、30代でそうもいかなくなったときに、誰に向けて芸をしたらいいのかが、見えなくなったのが、厳しかった」と自己分析。
「やっぱり旬のものは腐るんですよ。今、売れている人も、だいたい30代で一度は低迷するもの。僕の場合、それが極端にバーッと上がってドーン!と落ちたという、単純な話なんです(笑い)」と思いをはせる。
1999年にほぼ仕事ゼロの状態で、関西に戻ってきた森脇さん。しかし関西でも「こっちはこっちで活躍してる人がいっぱいいた」ため、レギュラーはKBS京都のラジオ番組1本だけという状態が、10年近く続いた。しかしその番組に全力を注いだことが、自分を取り戻すきっかけになったという。
「夕方の6~9時の番組で、『そんな時間に誰がラジオ聴くねん?』と。それで、ターゲットを『僕』にしたんです。僕が聴いて面白い番組を作ったろうと思って、毎週録音を聴いて『うん、おもろい、おもろい。大丈夫や』と自分で確認していました」と振り返る。
そのかいあって、森脇さんと同年代の男性たちから、ぼちぼちと「ラジオ、聴いています」という声が届くようになり、2008年に始まった、再ブレークのきっかけとなるドキュメンタリーバラエティー「走る男シリーズ」(KBS京都)につながる。
「自分で『おもろいな』と思って作ったネタは、小さくてもやっぱり評価してもらえるんです。以前、鶴瓶さんが『マイナーを積み重ねることで、メジャーになれる』ってよう言ってたんですけど、その通りになりました」と先輩の言葉をかみしめる。さらに「最近ジャニーズ系の番組によく出させてもらうんですけど、おかげでめっちゃ若い子たちが『キャー! あの番組に出てた人だ!』って反応してくれる(笑い)。僕を知ってる(同年代の)人と、全然違う層に見てもらえる機会が増えたのはありがたい」と感謝の気持ちも語る。
激動の20~40代について、森脇さんは「ああいう(旬な)ところに自分がいたことは、全部財産です。山と谷がすごくあるけれど、だからこそ今、見える景色がきれいなんだと思います」ときっぱり。後輩たちには、自らの体験を基に、仕事以外での気配りや心構えの大切さも語っているという。
「僕が東京にいたころは、おいしいことばかりいって甘やかす人が、周りにいっぱいいたんです。そこに甘えちゃうと、ズルズルと落ちていってしまう。僕がジャニーズの子によく言ってるのは『SMAPを見習って』ということ。SMAPは僕が見る限りは、真摯(しんし)にバラエティーのことを勉強していたし、何よりメンバー同士がめっちゃ仲良かった」と語る。
さらに「芸能界に限らず、酒・金・女・時間・あいさつには気をつけないと。この人は面白いのに、何で売れてへんねやろ?っていう人は、だいたい女を泣かしてる、時間を守らない、お礼を言わない……みたいなことがある(笑い)。昔はそれが許されていたかもしれないけど、今は時代が変わりましたからね」と独特の言い回しでアドバイスを送った。
(取材・文:吉永美和子)
2024年11月06日 00:00時点
※TVer内の画面表示と異なる場合があります。