ムロツヨシ:“大河ドラマ歴代最恐”秀吉が秀でていたもの 先が見える力は“通常の3倍”だった?

大河ドラマ「どうする家康」で秀吉を演じたムロツヨシさん (C)NHK
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大河ドラマ「どうする家康」で秀吉を演じたムロツヨシさん (C)NHK

 松本潤さん主演のNHK大河ドラマどうする家康」(総合、日曜午後8時ほか)で秀吉を演じてきたムロツヨシさん。初登場時(1月29日放送の第4回「清須でどうする!」)から、どこかに「狂気」をまとい、底知れない「恐怖」を視聴者に与え続けて、いつしか「大河ドラマ歴代最恐」との声も上がるようにもなった。そんな今回の秀吉だが、結局、人として何が秀でていたのか? “天下人”を演じ終えたムロさんに話を聞いた。

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 ◇失敗したとしても、その次のことをすぐ考えられた

 ムロさんが演じた秀吉は欲望の塊で、それを全開で表現し、全力で追い求めた。そんな「戦国乱世を最も楽しんだ男」には、信長(岡田准一さん)や家康(松本さん)にはない「予知能力」が備わっていたとムロさんは考える。

 「先見性、先が見える力。将棋の名人の藤井聡太さんじゃないですけど、何手も先を読んでいた。時代はもちろん、戦うこと、人を集めること、領地をどうまとめるか、他の有力武将の倍、もしくは3倍くらい先を読んでいたと思います。秀吉は時に馬鹿にもなれるし、失敗したとしても、その次のことをすぐに考えられる。失敗を受け入れられる力を含めて、そこは他とは大きく違っていた」

 信長が明智光秀(酒向芳さん)に本能寺で討たれた際も、それ以前から毛利輝元(吹越満さん)の本拠である中国攻めから「すぐに引き返せる」準備を弟の秀長(佐藤隆太さん)に指示し、実際に“事が起こる”と素早く毛利と和議を結び、急ぎ戻り「山崎の戦い」で光秀を破って、織田家の実権を握ることに成功した。

 さらに「小牧長久手の戦い」でも、家康の前に手痛い敗北を喫したかと思いきや、相手方の大将である織田信雄(浜野謙太さん)を抱き込んで和議を迫り、自身は「関白」というポストを手に入れ、形勢を逆転。“天下人”への足場を固めた。

 「『小牧長久手の戦い』では秀吉は勝てると思って、任せた人間も間違っていなかったが、そこは家康が上手(うわて)だった。ただ、天下をとるためには、この負けを認めて、次にどうするかで、その全ての行動が早かった。秀吉は誰かが理解する前にすでに動いているし、弟の秀長とか、秀吉についてきてくれた人にはそこが見えていたと思います」

 ◇秀吉が感じた「確実に見ていたものが見えなくなる恐怖」

 ムロさんは、秀吉が他と比べて人として秀でていたものとして、この「予知能力」に加えて「計算高さ」や「自己分析能力」を挙げている。そんな恐ろしいくらいの圧倒的才能をもってして“天下人”へと上り詰めたあと、秀吉が目を向けたのが「朝鮮を従え、明国をとる」ことだった。

 「世に戦がなくなると武士は生きていけない。武士の行き場がなくなって世が乱れることも秀吉には見えていたし、それは避けたかった。そうなると次に攻めるところは日ノ本(ひのもと)のどこかというよりかは外で。みんなが一つになれるんじゃないかという思いも、どこかにはあったのかなと思います」

 ムロさんは朝鮮出兵に関して、何でも欲しがる「欲望の怪物」となった秀吉が「自分の野心がなくなることへの恐怖で動いた可能性もあると思った」と考えを明かす。その前後には、茶々(北川景子さん)との最初の子・鶴松の誕生と死、さらに拾(後の秀頼)の誕生があり、秀吉はある意味、翻弄された。

 「お子を得てしまったことで、自分の野心が分からなくなって、靄(もや)がかかって、確実に見ていたものが見えなくなる恐怖。それを自分は誰にも言えなくて、孤独になっていく。それがはたから見れば『頭がおかしくなった』『老いた』となる。自分はそう解釈して演じさせていただきました」

 それまでできていた“先読み”ができなくなり、迎えた悲しい最期。10月15日放送の第39回「太閤、くたばる」をもって退場となったムロさんだが、秀吉の死後、「嫉妬もあったが、その嫉妬を超えるほど認めていた」という家康に期待することを聞くと……。

 「天下をとった後どうするのか。家康が次の“天下人”になることは間違いなく読めている。どんな戦や争いがあったとしても、最後に“天下人”になるのは家康であろうと。天下をとった後、家康は本当に戦なき世界を作れるのか。老いた秀吉にはそこに策はなかったので、それを楽しみに逝ったのだろうなと思います」

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