ルックバック:AIでは表現できない線 人間が描く意味 押山清高監督インタビュー(2)

「ルックバック」の一場面(c)藤本タツキ/集英社(c)2024「ルックバック」製作委員会
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「ルックバック」の一場面(c)藤本タツキ/集英社(c)2024「ルックバック」製作委員会

 「チェンソーマン」などで知られる藤本タツキさんのマンガが原作の劇場版アニメ「ルックバック」。6月28日に119館で公開され、公開初週の興行収入ランキングで1位を記録。大規模の上映ではないにもかかわらず、口コミで火がつき、公開3週目には興行収入が10億円を突破するなど大ヒットを記録している。監督を務め、脚本、キャラクターデザインも担当したのが押山清高さんで、原作者の藤本さんは、同作のアニメ化が発表された際に「押山監督はアニメオタクなら知らない人がいないバケモノアニメーターなので、一人のオタクとしてこの作品を映像で見るのが楽しみです」とコメントしていた。“天才アニメーター”とも呼ばれる押山監督に制作の裏側を聞いた。

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 ◇独りよがりにならないとやっていけない

 「ルックバック」は、集英社のマンガアプリ「少年ジャンプ+(プラス)」で2021年7月に発表され、初日で250万以上の閲覧数を記録した話題作で、マンガへのひたむきな思いが二人の少女をつなげるが、やがて大きな出来事により二人の運命が分かれていく……というストーリー。若手俳優として注目を集める河合優実さん、吉田美月喜さんがW(ダブル)主演で、声優に初挑戦したことも話題になっている。押山監督が代表を務めるスタジオドリアンがアニメを制作した。

 押山監督は2004年、ジーベックで原画デビュー。2005年からはマッドハウスにて「電脳コイル」で作画監督を経験し、「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破」「借りぐらしのアリエッティ」「風立ちぬ」などに主要スタッフとして携わってきた。2014年の「スペース☆ダンディ」では脚本、演出も担当し、2016年に「フリップフラッパーズ」の監督を務めた。

 「ルックバック」は、学年新聞で4コママンガを連載している小学4年生の藤野が、クラスメートからは絶賛を受けていたが、ある日、不登校の同級生・京本の4コマを載せたいと先生から告げられることになる。圧倒的な画力を誇る京本と出会うことになる。“天才アニメーター”とも呼ばれる押山監督は同作に共感、共鳴するところがあった。

 「ある種の独りよがりで傲慢なところでしょうか。クリエーターに関わらず、才能と出会ってしまうと、負けられない。負けを認めたくないという気持ちが芽生える。自分が勝負しているところで、やっぱり負けるわけにはいかないし、譲れないものがある。藤野はそういう才能に出会ってしまったわけです。僕らの業界も負けず嫌いじゃないと続けられないし、うまくなれない。純粋に才能だけでひょうひょうとした天才もいるかもしれないけど、そういうふうに見せているだけで、内心は負けたくない!と思っているはずです」

 青春を描いているようにも見えるが、普遍的なテーマなのかもしれない。

 「青春で終われたらいいんですけど、そのままではいられない。うかうかしていたら、あっという間に若い人たちに追い抜かされていきますし。比べても仕方がないところもあるけど、比べてしまうのは人間の性(さが)なんでしょう。40代くらいになって、上に立つ者として、そういう気持ちをいつまでも持っていると恥ずかしいとも思うかもしれない。でも、クリエーターの世界は、そんな眠たいことを言っている場合じゃない。独りよがりにならないとやっていけない。藤野がやっていることも、そういうことなのかもしれません」

 ◇アニメーションのダイナミズムを

 原作のコミックスには、マンガを描く藤野の背中が描かれている。アニメでも藤野の背中にフォーカスしたシーンが多く見られる。

 「この作品における背中は、ある種のアイコン的な意味を持っているので、映画化の際に、原作以上に背中を象徴的に描こうとしました。机に向かっている姿は、マンガにしても勉強にしても何かに打ち込んでいるように見えて、努力の象徴のようにも思えます。この作品は、クリエーター賛歌でもあって、藤野の努力する姿を見せたかった。努力した人に共感してもらえると考えました」

 藤野がマンガと向き合いながら貧乏ゆすりする動きも印象的だ。

 「僕自身の癖でもあるのですが、椅子に座り続けている人は、体を動かさないと体によくないし、長時間座っていられないと思うんです。集中していて、ゾーンに入っていたり、考え込んでいると、無意識に貧乏ゆすりをしている。背中だけで描いている姿を絵にすると、絵が止まってしまう。アニメーションは、監督が作り出す映像のリズムに縛られるものですし、見ている人の多くを飽きさせないように、画面に変化を付ける必要があるんです」

 人間らしく、生っぽい動きも表現しようとした。何気ない動きにリアリティーがある。

 「アニメーションであまりやらないレベルでリアリティーを追求しています。普通のアニメーションでは省略してしまうところをあえて見せることで、差別化して、目新しさを表現しようとしました。冒頭の長尺のカットもそうです。おなかをかいたり、肘を組み替えたり、体を伸ばしたりする。アニメーションではストーリーに影響しない無駄な情報だと思われるかもしれませんが、何気ない日常をしっかり描写しようとしました」

 藤野が雨の中でスキップする名場面は、アニメならではの動きによってドラマチックに見える。

 「本作の少ないアクションシーンの中で、アニメーションのダイナミズムを表現しようとしました。それまで内なる感情を表に出さなかった藤野が、人目をはばからず、体で感情を爆発させます。極めて絵描きらしいですね、人前では恥ずかしくて、率直な感情表現ができない。僕も周りの視線を意識する自意識過剰な部分がありますから」

 ◇わざと人間くさい線を残す

 「ルックバック」はスタッフとして“原動画”というクレジットがある。原画はアニメのポイントとなる絵を描き、動画は原画を基に着彩しやすいように、線を拾い直すが、原画にそのまま色を塗った。線も独特に見える。

 「わざと人間くさい線を残そうとしました。線には絵描きの気持ち、何か描こうとする意志のようなものが宿っています。トレースして機械的な線にすると、線の情報がなくなってしまう。線をダイレクトに画面で見せようとしました。ボソボソザワザワして見えるし、線がはみ出ているから手抜きに見えそうではあるのですが、この作品だったら納得してもらえるかもしれない。本来は、色を塗る時に、汚れ線や下描き線を消してしまいますが、基本的に残しています。体の裏側にある下描き線もあえて残しているのは、かなり特殊だと思いますが、意識的にやったことです。人間が絵を描くために、必要だから描く線で、それを消してしまうのはもったいない。機械的なトレースと違って、原画の線は情報量が多くなります。線の汚さを指摘されることがなくて、安心しました」

 AIが絵を描く時代に、あえて人間らしさを表現しようとした。

 「AIによってキレイな映像が簡単に作られるようになってきているから、こういう人間が描く線に活(い)きがあると思います。AIが人間のまねをして下描き線を再現したとしても、それはただのデザインになってしまう。それは偽物です。人間が描くからこそ意味がある線なんです。こういうことができるのは、今が最後かもしれないけど、それにこそ価値がある。クリエーター賛歌につながっているところでもあります」

 「なんで描いてるの?」。京本から藤野に投げかける言葉に心を動かされた人も多いはず。最後に、押山監督にも同じ言葉をぶつけた。

 「何でこんなに一生懸命に作品を作り続けているのか……。別に成果がほしいだけでもなくて、そうせざるを得ないという自分の生き様なのかもしれませんね。自分が楽しい思いをしようとした結果なんです。アニメーション作りが始まり、突き進んでいる時が一番楽しい。それがないと、こんな大変なことはやらないです。『はじまりへの旅』という映画の『日々 人生最後の日と思え。全ては一瞬だ』という言葉が印象に残っているのですが、どの瞬間も精いっぱいやった方が楽しい。極めて人間らしいのかもしれません。自然に食って、寝て……という生活からは外れているけど、尊く、それでしか味わえない楽しさがある。クリエーター以前に人間賛歌ですね」

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