松山智一:「ニューヨークはセクシー」 米NY拠点の現代美術家 スノーボーダーを挫折し「思い立って飛んじゃいました」 「徹子の部屋」で

5月20日放送の「徹子の部屋」に出演した松山智一さん=テレビ朝日提供
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5月20日放送の「徹子の部屋」に出演した松山智一さん=テレビ朝日提供

 現代美術家の松山智一さんが、5月20日放送の黒柳徹子さんの長寿トーク番組「徹子の部屋」(テレビ朝日系)に出演。現代美術家として、米ニューヨークへ渡ったいきさつや魅力などを語った。

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 小学3年の時に米ロサンゼルスに家族で移住、小学6年のころ帰国して飛騨高山に戻った。LAでは友達とスケートボードを楽しんだが、飛騨高山は雪国。スノーボードにのめり込み、大学生の頃にはスノーボーダーに。セミプロとして多くの企業から協賛を受け、海外へ行ったり、雑誌の撮影を受けたりと選手活動をしていた。

 だが、22歳の時に足首を折ってしまい、10カ月ほどリハビリを強いられた。スノーボーダーをこれで終わりにしないといけない。次はどうしようか、と悩んだ。

 「(スノーボードは)僕にとってある種の表現方法だったので、じゃあ表現として何ができるんだろうと思って、それで違う方向に歩もうと思ったんです」と語る。その2年後にはNYへ。「20代で何か表現をするとなるともう遅いですよね。僕はスノーボードで挫折した。でも、何か表現をしたいんだったら、最初に、美術の”首都”に行こう、と。いつかニューヨークに行きたいと思うんだったら、今行こう。思い立って飛んじゃいました」

 NYに行って表現しようと思っても、かけ出しの時代は全く食べることができなかった。お金がないので全て切り詰めていった。たばこをやめ、美容室に行くお金もなくなったためバリカンを買ってずっと丸刈りにし、寝室の端っこで絵を描いた。絵の具を買うお金もないため、家庭用のペンキを使いながら絵を描いていたという。

 NYについて、松山さんは「エネルギーがあります。人が人を呼ぶというか。街は汚いですし、(美しい)景色もそんなにない。でも、人が作る文化の街、都という感じがするので、毎日がドキドキする」と表現。当時はまだ治安も悪かったが、「どこか、とってもニューヨークはセクシー」なので、離れようと思ったことは一度もないという。「しんどいんですけれども、暮らしている」と語った。

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