市村正親:戦争帰りの父は“酒浸り” 10歳下の母に飲み屋をやれと勧める 父に言われた言葉を胸に「ハングリーに」 「徹子の部屋」で

9月12日放送の「徹子の部屋」に出演した市村正親さん=テレビ朝日提供
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9月12日放送の「徹子の部屋」に出演した市村正親さん=テレビ朝日提供

 76歳の俳優、市村正親さんが、9月12日放送の黒柳徹子さんの長寿トーク番組「徹子の部屋」(テレビ朝日系)に出演。両親の思い出などを語った。

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 父は農家の長男に生まれたにもかかわらず、長男の権利を次男に譲り、「好きなことさせてくれ」と言ったという。戦争から戻り、さまざまな仕事をして、「最終的には自分で自分の表現をするローカルの新聞を作ることに命を懸けていた」と話す。

 母は父の10歳下だった。「本当に仲良かったです」と思いをはせる。父は酒が好きなので、「お前、飲み屋でもやったらどうだい? 愛嬌(あいきょう)があるんだから、お客さん来るぞ」と提案し、店を開いたら当たった。「親父にとってうれしいのは、ただで酒が飲めることです。指定席があっていつもそこにいて、うれしそうに飲みながら、みんなの話を聞きながら取材、新聞の記事を書いたり」していたという。

 父は軍人恩給を「無事に生きて帰ってこられただけでも御の字なんだから、お金なんかもらっちゃだめだ」と拒み、亡くなる前に母に「これだけ酒浸りの男の体は貴重な医学の研究になるから献体させてくれ」と伝えたという。

 「ちょうど(父が亡くなった)その時、僕は青山劇場で劇団四季の公演で『ロミオとジュリエット』をやっていた。その初日だったんです。急に声が出なくなった。(午前)10時何分くらい。やばいと思ってマッサージやいろいろやって(声は)出たんだけど、その瞬間に親父が亡くなったということをその日の夜、知ったんです」「きっと何か言いたかったんですよね」と振り返る。献体後1年半ほどして、家に戻ってきた。「死んでからも人のために生きたいというのは親父らしい」と語った。

 中学3年の時、初詣の帰りに父から「飢えてるんだぞ」と言われた。当時は意味が分からなかったが、役者になって「ハングリーでいるってことなのかな。何でもかんでもあるんじゃなくて、ない方がいいんだ、と。そういうことを言ったんだろう」と気づいた。「これだけ生活できるようになっているけれど、ハングリーでいろ、というのは残っています」と話していた。

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