おぎやはぎの愛車遍歴:日産GTーRの開発責任者が登場 人員、開発費用は通常の半分以下も…“成功秘話”を明かす

4月18日放送の「おぎやはぎの愛車遍歴 NO CAR,NO LIFE!」に出演する水野和敏さん(C)BS日テレ
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4月18日放送の「おぎやはぎの愛車遍歴 NO CAR,NO LIFE!」に出演する水野和敏さん(C)BS日テレ

 カーマニアのお笑いコンビ「おぎやはぎ」がゲストの「愛車遍歴」に迫る、「おぎやはぎの愛車遍歴 NO CAR,NO LIFE!」(BS日テレ、土曜午後9時)。4月18日の放送は日産GTーRの開発責任者だった伝説のエンジニア・水野和敏さんが登場する。

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 水野さんは、1972年に日産自動車に入社。サニーやシルビア、スカイラインなどの人気車を世に送り出してきた。その一方で、レーシングチームの監督兼チーフエンジニアとしてレースにも参戦。国内外のレースでその名を轟かせた。

 水野さんが「フルカーボンのレーシングカーに勝てる工場生産の市販車を作る」と決心したのはル・マン24時間レースに挑戦した1995年。レースが終わったその日に構想を練り始め、2004年に本格的な開発がスタートした。

 当初のGTーR開発コアメンバーは、通常の半分以下である50人で構成されていたといい、開発費用も通常の半分以下だったと告白。水野さんは「世界にない新しいものを作る作業ということで、仕事の手順も組織も技術もなかった」と当時を回想し、低価格販売を実現できた秘密や車の開発期間をわずか3年で叶えた、水野さんならではのすご技も明らかになる。

 開発当時、日産は繁忙期で水野さんが開発を進めたくてもエンジニアのスケジュールが確保できず頭を抱えていたいう。そんな中、現れた救世主は意外な業界のエンジニアたちで、水野さんは退職後のエンジニアたちを雇用。その数は開発メンバーの80%を占めていた。

 「乗用車なんかみたこともない方たちでした」と聞いた小木博明さんは「そのエンジニアの方たちって、役に立つんですか?」と直球質問。それに対する水野さんからの“それこそが成功要因の一つ”ともいえる回答に、小木さんも大納得する。

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