今年の第88回米アカデミー賞で、アリシア・ビキャンデルさんが助演女優賞に輝いた映画「リリーのすべて」が18日に公開された。メガホンをとったのは「英国王のスピーチ」(2010年)や「レ・ミゼラブル」(12年)で知られるトム・フーパー監督だ。世界で初めて性別適合手術を受けたデンマーク人、リリー・エルベとその妻ゲルダの関係を、実話に基づき描いた今作について、フーパー監督は前2作同様、「愛と友情が人に与える力を語っている」と表現する。来日したフーパー監督に聞いた。
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――「英国王のスピーチ」を準備していた08年末に今作の脚本と出合い、それを読み、3回泣いたそうですね。
言われるたびに回数が増えますが(笑い)、たぶん2回だと思います。(脚本の)“どこ”とは言えませんが、やはり、ゲルダの夫に対する無条件の愛……トランジション(性別移行)することで夫を失うことになりかねないのに、自分の喜びや幸せをさておいても夫を支える。そういった彼女が失うものと彼女の夫に対する愛、その二つに涙しました。
――人間は誰しも女性的な部分と男性的な部分を持っていると思いますが、エディ・レッドメインさんのどの部分に女性的なものを見いだし、リリー役にぴったりだと考えたのでしょうか。
脚本を読み、誰がいいかと目を閉じて考えたとき、エディが浮かんだのです。彼は22歳のとき、私が演出したテレビ映画「エリザベス1世 ~愛と陰謀の王宮~」(05年)に出演しました。そのとき彼は、ヘレン・ミレン演じるエリザベス1世に逆らい死刑を宣告される役だったのですが、英国人の俳優にはなかなか出せない繊細さを、非常にうまく出していました。英国の俳優というのはほとんど、自分を出さない抑制的なところがあるのですが、エディは本当に情感たっぷりに演じていた。それが今回、私が彼を選んだ引き金になっています。
それに彼は学生時代から女性役を演じていて、あるとき、(今年のアカデミー賞で助演男優賞を受賞した)「ブリッジ・オブ・スパイ」のマーク・ライランスが芸術監督を務め、出演もした舞台「十二夜」(02年)で女性役を演じていました。ですからきっと彼の中には、女性的な魅力があるだろうと思ったのです。
――レッドメインさんの演技で、最も印象に残っている場面はどこでしょう。
(ビキャンデルさん演じる)ゲルダが雨の中、帰宅したとき、彼女に「私はリリーにしかなれないの」と言ったときの強さ、かたくなな雰囲気が印象に残っています。
――ビキャンデルさん演じるゲルダには、可憐(かれん)さの中に強さを感じました。
私は、ゲルダの強さに興味があった。彼女は、時代の先を行っていた人だと思います。私はこの映画を、リリーをめぐるジェンダー(社会的、文化的性差)の話であるだけでなく、ゲルダの、強い彼女の話でもあると思っています。ゲルダは、当時のステレオタイプの女性ではなかった。当時のコペンハーゲンの芸術界自体、非常に男性的な社会だったと思う。その中で、女性が絵を描くということには、並外れた強さが必要だった。彼女はこの物語で決して“犠牲者”にはなっていません。それはやはり、彼女に強さがあったからだと思います。そういうゲルダの強さをアリシアで探ってみたかったのです。
――原作小説では、リリーとゲルダの友人ウラはオペラ歌手でしたが、映画ではバレエダンサーに変えていますね。
いいえ、もともと彼女はバレエダンサーでした。それは小説の中の話で、私がリサーチしたら本当にバレエダンサーで、実際に世界中を旅し、パリなんかにも行っていたようです。バレエダンサーは肉体的な鍛錬が必要です。リリーもまた、肉体的な面で女性的な要素をどんどんつかんでいくので、バレエダンサーがふさわしいと思いました。
――ウラのけいこ場を訪れたアイナー時代のリリーが、白いチュチュの間から顔をのぞかせる場面が印象的でした。
生地に触れたりすることが、リリーの女性に対する興味へのちょっとしたヒントになればいいと思いました。鏡の前で、リリーが理想の女性になるシーンがありましたが、あれはまさに、彼女の女性らしさが現出する場面です。普通、ウラという女性がいたら、彼女とアイナー(リリーが現れる前の名前)の間に何かあるのでは、とみんなが考えるところですが、リリーは女性にではなく自分の中の女性に興味があった。それを物語るシーンでもあります。
――アイナー時代のリリーは、いつも襟の高い白いシャツにベストを着て絵を描いていますね。
あれは、アイナーのポートレート写真からインスピレーションを得ました。高い襟のシャツを着ていて、まるで衣装の中に入っているような、それこそ鎧(よろい)を着ているようで痛みを感じます。そのときはまだ(アイナーは)、リリーの存在に気付いていなかったのです。
――フーパー監督の作品の画面構成は、いつも緊張感をはらんでいます。
そうですね。私は、構図を決めるのが好きなのです。フレームがあるということも忘れさせたいと思っています。その一方で、フレームを意識的に使うことにも興味がある。例えば、わざと顔を端に置いて、フレームとの間に摩擦を起こさせ、観客に緊張感を抱かせることも大切なのです。半面、リリーに移行し、徐々に女性として落ち着いてきてからは、昔風のフレーム作りをしています。
――昔風のフレーム作りとは?
(ノートに図を描きながら画面を)三つに分けて、この(分割した2本の線のうち1本の上)あたりに置くのです(上図)。昔風じゃない場合は、極端に端に寄せて置く(中央の図)。あるいは、フレームの下のほうに顔を置き、頭の上に余白があるようにします(下)。いわゆる、古典的な絵画の構図と同じですね。レンブラントなどのオランダの巨匠たちがそうしていました。
――この映画は、真のアイデンティティーを見つける勇気についての物語であり、結婚、さらに愛についての物語でもあります。
今作を含めた私の最近の3作は、すべて、愛と友情が人に与える力を語っていると思います。「英国王のスピーチ」は、吃音(きつおん)の(ジョージ6世役の)コリン・ファースを、ジェフリー・ラッシュ(演じるライオネル)が友情によって助け、トランスフォーメーション(変化)させる話でした。「レ・ミゼラブル」は、ジャン・バルジャンは銀器を盗みますが、司教によって許されます。それが、バルジャンをトランスフォーメーションさせ、彼自身が愛に献身することになった。彼は、母を亡くしたコゼットに出会いますが、彼女への愛は彼にとって、まさにテストだったのです。
そして、今回の「リリーのすべて」では、あの2人のあの時期に、なぜリリーが出てきたのか。それは、特別な場所だったからです。つまり、結婚と愛という場所があったからです。往々にして“愛の物語”といえば、誰かが恋に落ちるときの、その人の情熱と妄想の話が多いですが、私のこのゲルダの話では、ゲルダは夫であるアイナーの夢ではなく、その下に存在する女性の夢……本当に人間として、リリーを女性として実現させる助けになっている。つまり、純粋な愛です。彼女は、パートナーの本当のアイデンティティーを悟った上で、パートナーを愛したのです。間違ったアイデンティティーではなくね。
<プロフィル>
1972年生まれ、英ロンドン出身。オックスフォード大学で学び、92年からテレビの演出家として活動。2003年、テレビ映画「第一容疑者 姿なき犯人」を監督し、エミー賞監督賞などにノミネートされる。04年、「ヒラリー・スワンク IN レッド・ダスト」(日本未公開)で映画監督デビュー。05年のテレビ映画「エリザベス1世 ~愛と陰謀の王宮~」ではエミー賞監督賞を受賞。「英国王のスピーチ」(10年)は、米アカデミー賞作品賞、脚本賞、ジェフリー・ラッシュさんに主演男優賞をもたらし、自身も監督賞を受け、その他数多くの賞を受賞した。その後の「レ・ミゼラブル」(12年)は米アカデミー賞で3部門に輝き、うち、アン・ハサウェイさんに助演女優賞をもたらした。
(インタビュー・文・撮影/りんたいこ)
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