テレビ質問状:「ノンフィクションW デヴィッド・ボウイの愛した京都」ボウイと京都の関係性を深くえぐる

「ノンフィクションW デヴィッド・ボウイの愛した京都」のビジュアル (C) Photo by Sukita
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「ノンフィクションW デヴィッド・ボウイの愛した京都」のビジュアル (C) Photo by Sukita

 WOWOWは「WOWOWオリジナルドキュメンタリー」枠として、「ノンフィクションW」と「国際共同制作プロジェクト」の2番組を両輪に、国内外のさまざまなテーマを扱ったオリジナルのドキュメンタリー番組を放送している。1月8日午後8時45分からWOWOWプライムで放送される「ノンフィクションW デヴィッド・ボウイの愛した京都」の番組プロデューサーを務めるWOWOW制作部の内野敦史エグゼクティブプロデューサーに、番組の魅力を聞いた。

ウナギノボリ

 --番組の概要と魅力は?

 レディー・ガガやジャスティン・ティンバーレイクから、国内ではザ・イエローモンキー、X JAPANなど数えきれないアーティストへ多大な影響を与え、世界のポップアイコンとして、これからも永遠に語り継がれるであろうデヴィッド・ボウイ。70年代前半におけるロック音楽界での成功から、さらなる高みを目指すボウイが、一時期ベルリンに“ひきこもり”音楽制作に没頭していたことは広く知られているが、このころ日本を訪れるとひそかに京都へ通っていたことは、あまり知られていない。彼はいったいそこで何をしていたのか?

 関係者への丹念な取材によりあぶり出てきたのは、ボウイの人並み外れた“東洋の美”への憧れと探究心だった……。世界の“ボウイ学”としては初となる“東洋の精神文化”という視点からのアプローチ。WOWOW渾身(こんしん)の独自取材によるオリジナルドキュメンタリーがここに誕生した。

 --今回のテーマを取り上げたきっかけと理由は?

 率直に申し上げますと、大ファンだからです。去年1月の訃報を聞いたとき、インフルエンザで会社を休んでいたのですが、熱にうなされながら私はすぐに企画書を書き始めました。彼の功績をトリビュートするとともに感謝をしたかったからです。彼の成し遂げてきたことはロック音楽界にとどまりません。ファッション、アート、舞台芸術……ポップカルチャーすべてについてボーダレスに活躍したアーティストは他にいません。さらに、“世界のボウイ”を作り上げる過程でファッションデザイナーの山本寛斎さんや写真家の鋤田正義さん、スタイリストの高橋靖子さんなど、世界を制覇したアーティストへここまで日本人クリエーターが深く関わった例は他にありません。しかも今回の番組企画開発段階での調査で、京都の人々がどれだけ彼の精神に影響を与えたか、ということを知ることで、世界中の人々に“日本は素晴らしい国だよ”という思いを伝えたい、と強く考えた次第です。

 --制作中、一番に心がけたことは?

 大ファンゆえ“近視眼”的な作品にならないよう心がけました。ボウイの逝去報道後、イギリスのBBCが“未公開音源”を使ったボウイのドキュメンタリーの制作発表をしたり、大回顧展「DAVID BOWIE is」の日本開催が決定したりと、ボウイを巡り、この一年に世界中でさまざまな動きがある中、いかに私の企画が他に惑わされることなく“ブレずに”独自性を貫けるか?ということにこだわり続けました。そうすることで、この番組が50年後、100年後の世界のポップ音楽史における参考資料の一つになってくれたらいいな、という思いで企画を実現させていきました。

 --番組を作る上でうれしかったこと、逆に大変だったエピソードは?

 うれしかったことは、1970年代後半に制作された、後世に残るアルバム「ロウ」と「ヒーローズ」が制作されたドイツのハンザスタジオを撮影取材できたことです。今回の番組本編では触れていませんが、ベルリンの壁の崩壊へ民衆を動かしたともいわれるアルバムタイトル曲「ヒーローズ」の歌詞をボウイがひらめいた、その部屋から窓の外を眺めることができたことは忘れられません。

 大変だったことは、世界最高峰レベルの取材対象をテーマとすることにはさまざまな障壁が存在することを痛感するとともに、今回のテーマにフィットする取材対象の絞り込みが何よりも大変でした。もろもろたくさんあり過ぎて、これ以上は書けません!(笑い)

 --番組の見どころを教えてください。

 何と言っても、ほとんど公式に語られたことのない“ボウイと京都”の関係性を深くえぐっているところです。あらゆる手段を使い、“うわさ”や目撃情報、実際に接触したことのある人物を丹念にたどっていくことで見えてきたのは、彼の“東洋の美への限りない愛情と探究心”でした。ボウイが京都に出没していた時期は、一度は世界のスターダムにのし上がった彼がステージの喧噪(けんそう)やドラッグから逃げるようにベルリンに身を投じていたころのことです。一度は見失いかけていた自己を取り戻し、新しい自分に生まれ変わろうと、ボウイはもがき苦しんでいたのです。そこで彼が求めたのが、東洋の精神文化だったというわけです。視聴者の皆さんは、今回の番組の視点からボウイを見る、聴く、知ることで、彼の創作の“もう一つの源泉”が京都であり、日本であることを深く感じ取れるのではないでしょうか。

 --視聴者へ一言お願いします。

 ご存じのようにデビッド・ボウイのキャリアは長く多岐にわたるため、ファンの方たちの捉え方もさまざまだと思います。よって番組の演出については、一緒に制作したディレクターと議論に議論を重ね、視聴者の皆さんが放送を見ながら“ボウイへの思いをはせたり、考えたりすることのできる”ように、計算しつくした構成で作りました。これ以上は見てのお楽しみです。ビートルズ以降、ロック音楽のさらなるポップス化に貢献しただけでなく、90年代後半にはデジタル配信を先駆けて開始、知的財産権を証券化するなど、世界のエンターテインメントビジネス界への多大な貢献も忘れてはなりません。この番組をきっかけに、世界中のエンターテインメントを愛する人々とともにボウイをトリビュートしませんか?!

 WOWOW 制作部 エグゼクティブプロデューサー 内野敦史

 *……WOWOWでは「特集:生誕70年記念 デヴィッド・ボウイよ永遠に」と題して1月8日午後6時から「洋楽主義 #118 デヴィッド・ボウイ ~追悼~」「デヴィッド・ボウイ ジギー・スターダスト 1973」「ノンフィクションW デヴィッド・ボウイの愛した京都」をWOWOWプライムで放送する。

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