黒川文雄のサブカル黙示録:テレビゲームの歴史と本質

 ドキュメンタリー番組「カンブリア宮殿」(テレビ東京系)で、カプコンの辻本憲三会長の経営コンセプトを垣間見た気がする。間口3間の駄菓子屋からスタートし、綿菓子製造機を行商し、その後はパチンコ台を再活用した子供向けのゲーム機を作り成功を収めた……という内容だった。戦後の混乱のなかでの起業は想像を超えた苦労があっただろう。あまり知られてないがコナミの受付には軽トラックにジュークボックスらしきマシンを運ぶ夫婦のフィギュアがある。これは若き日の上月景正社長とその奥様の作業をジオラマ化したものだ。すべての原点は人であり、行動を起こしたか否かということだ。

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 番組の中でもゲームの歴史を振り返ると、自身も経験したゲーム「インベーダー」がすべてを変えた。当時高校生だった私は、友人のK君と街角ににわか作りで現れた「ゲーム喫茶」に入り浸っていた。筐体(きょうたい)のガラストップに100円硬貨を大体10枚以上は重ねていたと思う。シュコーン、シュコーンという電子音がリズムを刻み、K君とスコアを競った。

 その後、しばらくして「インベーダー」ゲームのブームは終わりを迎える。飽きたのが大きいだろうが、興味が他に移っていたということになるのだろう。確かに私もトップガラスの上に100円硬貨を積むことは止めた。

 当時は選択肢の少ない時代だった。娯楽と言えばテレビ、映画くらいしかなかった時代に登場したゲームという新しい価値観。パチンコや競馬のようにうまくいっても何も与えられるものはなく、すべては「ハイスコアのため」というストイックな感覚をプレーヤーたちは突き詰めていった。

 やがて、街のゲーム喫茶は普通の喫茶店に戻るか、廃業など他の業態に変化していった。そして、携帯ゲーム機の「ゲーム&ウオッチ」が人気となり、続いて家庭用ゲーム機「ファミリーコンピュータ」へと時代は移り変わる。「集団から個へ」という時代への変革である。街頭テレビから家庭用テレビへ、さらにテレビは一人一台になり、今のケータイ・ワンセグ……というフローを見れば明らかだ。ゲーム機のカテゴリー(分類)もしかり。家庭用ゲーム機から携帯ゲーム機へ。そして今や携帯電話で多くのゲームが遊べてしまう。

 カンブリア宮殿で紹介された辻本氏のエピソードで興味深かったのは、子供たちはわたあめがほしいと言うよりも、製造機の中心部分からフワフワと魔法のように現れるもの自体が面白かったのだろう……と。つまり実体よりもその過程に引かれたのではないかと言っている。そして、日本が経済発展を遂げていく中で、対価を求めないサービス生まれてくると言う点であった。

 日本は成長し、産業のカケラもなかったゲーム産業は成熟したが、ゲーム機100円玉を積み上げたあのころの新鮮さはなくなった。もはや、携帯キャリアーからの月末の請求明細をみても実感は薄い。しかし、チャリンチャリンと硬貨をスロットしていることに変わりは無い。

 個人的に「インベーダー」から興味が薄れたころ、バイクブームも一段落しつつあった。どちらも熱しやすく冷めやすい若者文化の象徴だった。いつの時代も「今の若いヤツは」などという言葉がさけばれる。しかし物事の本質は、いつの時代もそう簡単に変化するものではないことを、歴史は教えてくれる。

◇筆者プロフィル

くろかわ・ふみお=1960年、東京都生まれ。84年アポロン音楽工業(バンダイミュージック)入社。ギャガコミュニケーションズ、セガエンタープライゼス(現セガ)、デジキューブを経て、03年にデックスエンタテインメントを設立、社長に就任した。08年に退任後、ブシロード副社長に就任したが10年7月に退く。音楽、映画、ゲーム業界などの表と裏を知りつくすメディアコンテンツ研究家。

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