渡辺謙:「許されざる者」について聞く 「枯れ老いる雰囲気その内の闇」を表現するため素メークに

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 俳優の渡辺謙さんが主演する映画「許されざる者」(李相日監督)が全国で公開中だ。クリント・イーストウッドさんが監督・主演し、米アカデミー賞作品賞、監督賞など4部門に輝いた1992年の同名映画のリメークで、謙さんはイーストウッドさんが演じた主人公にふんした。秋から冬にかけての北海道を舞台に業を背負った男のドラマが紡がれていく同作で、オリジナルにオマージュをささげながらも、「明らかに違う作品になった。日本の映画ができたとちょっと誇らしく思う」と胸を張る渡辺さんに話を聞いた。(りんたいこ/毎日新聞デジタル)

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 まず、今回は“渡辺さん”ではなく、お名前の“謙さん”で呼ばせていただくことをお断りしておく。というのも、取材前、謙さんについて誰に聞いても返ってきた感想は、「いい人だ」「すてきな人」「女性はもとより男性もほれる」という褒め言葉ばかりだった。それらを生来、疑り深い筆者は言葉半分に聞いていたが、取材当日、部屋に「よろしくお願いします!」とさっそうと入ってくるなり、「で、いかがでしたか?」と気さくに映画の感想を求め、質問に対してざっくばらんに答える謙さんに、あっさり“やられて”しまった。そのざっくばらんさには、渡辺さんより謙さんのほうが適切な気がするからだ。

 さて、その謙さんは李監督版「許されざる者」でかつて“人斬り十兵衛”と恐れられ、人を斬ることで生き延びてきた男・釜田十兵衛を演じた。舞台は1880年、明治維新の北海道。十兵衛はやせた土地で農作物は育たず、極貧生活にあえぐ男だ。十兵衛が、我が子のために1度捨てた刀を取り、昔の仲間の柄本明さん演じる馬場金吾とともに賞金が懸かった開拓民2人(小澤征悦さん、三浦貴大さん)を殺しに行くというストーリーだ。

 今作での謙さんのメークは、頬や額に付いた傷あと以外はほぼ素顔のように見える。それはすなわち、カメラが謙さんに近づくと、顔に刻まれたしわや毛穴までが見え、それによって十兵衛という男が背負った苦悩や業が浮かび上がるという効果をもたらす。シークエンスをつなげるための「非常に丁寧なメーク」は施したものの、「基本的には素」で挑んだという謙さん。そこには、「人間の中にある枯れて老いていく雰囲気、その内にある闇が見たい」との李監督による計らいがあったという。

 そのメークも含め、「そのまま素の状態で、常にそこにいることを試されているような現場だった」と謙さんが振り返る今回の撮影では、「粘り……僕らは執念深いと言っているんだけど」と冗談交じりに表現する、納得するまでテークを重ねる李監督の演出に苦労させられたようだ。極寒の中、裸でつるされるという過酷な体験をした柄本さんからは、「もう死ぬ」と弱音が出たほどで、謙さんとスタッフで、カットの声がかかるたびに柄本さんを「まるでレスキュー隊のように抱え」、暖を取る部屋に運んだそうだ。しかしそうした苦労を、「豊かな時間」と表現するところが謙さんらしい。

 謙さんは「このシーンはこうだからこうしましょうと計算を働かせたり、論理武装して演じていてはだめなんです。その状況で、その人間が本当に何を感じ、何をしようと思っているのか、そういうことを丁寧に拾おうとしている。だからこそ時間がかかるんです」と李監督の演出に理解を示す。

 オリジナルがそうであるように、映画は終盤、宿場町の初代戸長(町長)兼警察署長を務める、佐藤浩市さん演じる大石一蔵との闘いになだれ込む。このとき、対峙(たいじ)する一蔵に十兵衛は銃を向ける。かつて侍であったなら、それを向けるのは銃ではなく脇に差す刀であったはず。当初、小道具係は、侍ならば持つであろう大刀を用意していたという。「だけど、僕はどうもそうじゃない気がした」とは謙さん。

 「というのは、十兵衛の中にはすでに侍としての大義どころか侍の心すらない。人を殺すことでしか生き延びる術がない。逃亡せざるを得ない。その中で自分の刀も折れ、殺した相手のものなのか、奪い取ったものなのか分からないけれど、とにかく誰かの刀を十兵衛はたまたま武器として持っていて、それも血でさび付いたまま封印してしまう。それは、侍として刀を封印したわけではなくて、人殺しをする武器を封印した、人をあやめるという行為を封印したんだと僕は思ったんです。だからそこで大刀を(脇に)差してしまうと侍を意識してしまうし、たぶん映画をご覧になる方も、彼は侍なんだととらえてしまう。それにあの銃には、もっというと、その持ち主のための復讐(ふくしゅう)の意味もある。だからその思いが遂げられるのなら武器はなんでもいい。十兵衛の心情としては、刀というのはそれぐらいのものだったと思うんですよ」とそこに託された意図を語った。

 出来上がった今作を見たイーストウッドさんは、「素晴らしい出来で非常に満足している」という手紙を寄越した。イーストウッドさんの監督作「硫黄島からの手紙」で主演して以来親交がある謙さんはその感想に対して、「クリントが喜んでくれたということに、僕も本当にうれしい」といいつつ、「この作品に参加できたことで僕は俳優だとか、映画を製作する者というものを超えて、重いメダルをクリントからもらえたような気がしています」と素直に喜びを口にする。

 謙さんはかれこれ20年前にオリジナルを見たとき、あの時代のハリウッドが、ウエスタンでありながらエンターテインメントの要素を一切排除した作品を作ったことに「衝撃というよりも驚いた」という。それをリメークした今作に出演し、それが完成し、公開される中、「分かりやすい映画が全盛の今にあって、こういう映画がどこまで観客のみなさんに届くんだろうというちょっとした懸念はある」と正直に打ち明ける。

 その一方で今作は、伊ベネチア国際映画祭(8月28日~9月7日)とカナダ・トロント国際映画祭(9月5~15日)への出品が決まっている。「たぶん外国では、ある種、日本映画ということで武士道や侍の精神を描いた作品にカテゴライズされていて、そうなると“お手上げ”になる。欧州にはナイト(騎士)という存在はあるけど、やっぱり彼らと僕ら日本人は精神構造が違う」と指摘。そのうえで、だからこそ今作が、主人公の武士道や侍魂を強調していないことが、むしろ普遍的作品になっていると分析する。「武士道というすごく特殊な世界観を外国に訴えるわけではなくて、この映画のような状況に追い詰められたとき、一人の人間としてどういう行動をとるかはどこの国でも共通だと思う。その部分はむしろうまく表現できたんじゃないかなという気がしています」。映画は13日から全国で公開中。

 <プロフィル>

 1959年、新潟県出身。83年テレビドラマ「未知なる叛乱」(TBS系)で映像デビュー。87年、NHK大河ドラマ「独眼竜政宗」に主演。そのほか、数々のテレビドラマ、映画、舞台に出演。2003年「ラスト サムライ」で米アカデミー賞助演男優賞にノミネート。以降、日本作品はもとより、「バットマン ビギンズ」「SAYURI」(ともに05年)、「硫黄島からの手紙」(06年)、「インセプション」(09年)など海外作品にも出演。主な作品に、「明日の記憶」(06年)、「沈まぬ太陽」(09年)、プロダクトマネジャーも務めた「はやぶさ 遥かなる帰還」(12年)など多数。映画「GODZILLA」が14年公開予定。

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