歌舞伎俳優の市川海老蔵さんが23日、東京・渋谷の「Bunkamura シアターコクーン」で会見。海老蔵さんは妻でフリーアナウンサーの小林麻央さんが死去したことを公表し、何度も涙で言葉を詰まらせ、涙を拭いながら、麻央さんとの最後の時間や子供たちの様子などについて明かした。会見の主な内容は以下の通り。
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(冒頭あいさつ) このたびは、わざわざご報告するようなことではないかもしれませんけれど、今朝、家の前にも多くのマスコミの方がいらっしゃいました。ご報告をするということも一つ義務なのかなと思います。
昨日夜に、妻・麻央が、旅立ちました。それによりまして、いろいろとございます。その中で家族の時間や家族で話すべきこと、また子供たちとのこと、そういった時間の中で、思った以上に皆様に伝わったのが早かったということで、急きょ、このように皆さんにお時間を作っていただいたのも、多くの方に迷惑かからないようにと。ブログやアナウンサー時代から妻のことを応援してくださった方にご報告ということで、このような時間を設けさせていただきました。本日はどうぞよろしくお願いします。
――麻央さんとの最期の時はどなたがいて、どんな言葉をかわされた?
私は昨日も舞台でございまして、それまで麻耶さんと麻央のお母さんとずっと看病してました。私は昨日、舞台が終わった後に、ここで別の撮影がございまして、その後にロビーでまた別の稽古(けいこ)がございました。そして、そのときにお母様からLINEが来てたんですけど、そのとき僕は見ることができませんでした。約1時間半ほど遅れて見た内容が、具合が悪いと、お医者様も来ていて、家族を呼んだ方がいいという内容でして、私も慌てて急いで家に帰ったわけです。
そうして帰りましたら、まだ麻央はこの世にいてくれて、たまたま私が妻の前に座って呼吸が苦しそうだったので、大丈夫かなと、一昨日まではしゃべれたんですけど、昨日はずっとしゃべれずにいたので、これは本当に不思議な話ですけれど、息を引き取る瞬間、不思議なんですが、『愛してる』と言って、彼女が……。その一言を言って……。泣いちゃいますよね。その一言を、愛してると言って、それで、そのまま旅立ちました。
僕が言ったわけではなくて、彼女が旅立つ間際に、愛してる、「る」が聞こえたか聞こえなかったか分からなかったですけど、旅立ったのがちょっと、何と言うんでしょうか。こんなに愛されていたのは、よく分ってたんですけど、最後の最後まで愛してくれていたことに……何とも言えませんね。(何度も涙を拭う)
――最期、自宅で送ってあげたことについては?
それはとても良かったと思います。お父様も、お母様も、私もお兄様も、麻耶さんも、子供たちも、ずっとそばにいられたので、すごく良かったなと。私は父を病院で亡くしているので。病院のときとは、違う。家族の中で、家族とともに一緒にいられた時間というのはかけがえのない時間を過ごせたと思います。子供たちも見ていました。
――闘病の中で勇気と愛情を忘れずに闘ってた麻央さんの生き方をどう思いますか。
おっしゃるとおり、本当に笑顔と勇気と愛情、そして決してぶれない自分、そして、どんな状況でも相手のことを思いやる気持ち、愛ですよね。そういった力が、最後までぶれず、一昨日まで笑顔で、笑顔で、話していて。昨日はやっぱり調子悪かったので、我々家族も急にそういうふうになってしまったので、戸惑った部分も大きかったです。
――麻央さんにどんな言葉を送ったか?
もうこの世にある、ありとあらゆる言葉を耳元で話していました。
――海老蔵さんにとって麻央さんはどんな存在だった?
うーん……とにかく、私のどんな部分も、どこまでも、愛してくれていたんだと。うーん……存在ね。できれば、ずっと一緒にいて、私の方が先に、逝って、彼女にはもっと幸せに、もっと楽しく、家族やお友達や、麻耶さんやお母様やお父様、そして私が役者として成長していく過程をずっと見守ってもらいたかった存在です。