超硬派のゲーム雑誌「ゲーム批評」の元編集長で、ゲーム開発・産業を支援するNPO法人「国際ゲーム開発者協会日本(IGDA日本)」元代表の小野憲史さんが、ゲーム業界を語る「小野憲史のゲーム時評」。今回も前回に引き続き、小野さんの編集長時代の思い出を語ってもらいます。
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編集長になって困ったことに業界の肌感がつかみづらくなったことがあった。それまでは日々の取材を通して、業界のトレンドやクリエイターの問題意識が、なんとはなしに理解できていた。しかし、営業部との調整をはじめ、社内にいる時間が増えたため、そうした肌感が効かなくなった。追い打ちをかけるように売上低迷と返本の増加、そしてノルマの増加に耐えかねて、社員やアルバイトがどんどん退職していった。そのうち他の編集部から手伝ってもらいつつも、実質的に自分一人で編集作業を行う必要性が出てきた。何か抜本的な改善案が必要だった。
そこで考えたのが連載陣の強化だ。当時、雑誌編集のコツとして、特集で新規読者を開拓し、連載で常連に定着させることが上げられていた。連載が増えると、新たに企画を立てる必要がなく、毎回決まった連載陣に記事を発注すれば良かったのも、好都合だった。さらに対面での打ち合わせを通して、業界事情をはじめとした、生の情報が得られるのも大きかった。いろいろなゲーム会社を回るうちに、自然と他誌では書けないネタが集まってきた。当時はまだ業界内で横の繋がりが乏しく、専門誌が情報のハブ的な役割を期待されていた点も有利に働いた。
中でもお世話になったのが、カプコンで開発トップだった岡本吉起さんだ。前編集長から担当を引き継ぎ、岡本さんが上京するタイミングにあわせて足を運んだ。「バイオハザード3 LAST ESCAPE」や「コード:ベロニカ」などの開発で多忙な中、ゲームの開発や評価について、さまざまな知見をいただいた。特に「面白さを伸ばすのではなく、つまらなさを減らすことで、万人受けするゲームを作る」という考え方に影響を受けた。面白さは人それぞれだが、つまらない点は似てくるからだ。大学に転じてからも、カリキュラムの骨子の一つになっている。
また、セガの名越稔洋さんには、自らお願いして連載を引き受けてもらった。当時、雑誌「STUDIO VOICE」で、「バーチャファイター」で知られる鈴木裕さんがコラムを連載される中、名越さんが代打でコラムを書かれたことがあった。その後、連載終了を受けてすぐにセガに打診し、「ゲーム批評」で連載を引き受けてもらった。後に「龍が如く」の発売を機に、強面のイメージが定着する名越さんだが、実際に話してみると非常に理論派で、ゲームについて深く考察されており、驚かされた。任天堂の宮本茂さんと対談していただいたのも、良い思い出だ。
他にゲーム開発会社ダイスの元経営者で、現在は亜細亜大学教授のサイトウ・アキヒロさんには、公私ともどもお世話になった。十代の頃からアニメーターとして活躍し、ファミコンでのゲーム開発、雑誌「ログイン」の編集、CMディレクターなどを経て、ゲーム会社を設立した人物で、開発現場の密着取材というオファーを受けた。渡りに船とばかりに会社に押しかけ、ゲーム「シグナル」のプロトタイプ開発を取材し、企画から発表まで、誌面で紹介させてもらった。発売には至らなかったが、ゲームの開発過程を生で見られたことは、自分のキャリアで大きな節目になった。
他にも「ぷよぷよ」「バロック」で知られる米光一成さんには、毎号のようにゲームの批評原稿を寄稿いただいた。同じゲーム開発者が他のゲームを忖度なく批評するという、新しいスタイルが生まれた。また、立命館大学教授で、日本デジタルゲーム学会で会長もつとめた中村彰憲さんは、自分が会社を退職する当日に電話をいただいたご縁で、後にさまざまなリポート記事を寄稿いただいた。このようにゲーム批評では、連載陣をはじめ、さまざまな立場の書き手がいた。対象は同じでも、立場が異なることで、さまざまな評価が生まれることが、よくわかった。
「雑誌の雑は雑多の雑。記事同士で内容に矛盾や対立があっても、それがかえって雑誌のエネルギーになる」。誰から言われたのか覚えていないが、膝をうったのを覚えている。編集長になって良かった数少ないメリットは、こうした才能あふれる、さまざまな人々と仕事ができたことだ。それが雑誌編集者の醍醐味だろう。20代のうちにこうした仕事ができたことは、一生の財産になっている。ただ、もう一度やれと言われても、やりたくないのが本音だ。若いからこそできた無茶だったのではないかと思う。
※クリエーターの所属企業は雑誌掲載時のものです。
おの・けんじ 1971年生まれ。山口県出身。「ゲーム批評」編集長を経て2000年からフリーランスで活躍。2011からNPO法人国際ゲーム開発者協会日本(IGDA日本)の中核メンバー、2020年から東京国際工科専門職大学講師として人材育成に尽力している。