田川啓二:「徹子の部屋」きっかけに「徹子の衣装」を管理 「チャップリンに会ったときも着ていた」NY時代の振り袖、見つける

「徹子の部屋」に出演した田川啓二さん=テレビ朝日提供
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「徹子の部屋」に出演した田川啓二さん=テレビ朝日提供

 ビーズ刺しゅうの第1人者として知られる田川啓二さんが、5月14日放送の黒柳徹子さんの長寿トーク番組「徹子の部屋」(テレビ朝日系)に出演した。

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 2002年の番組出演がきっかけで、徹子さんと意気投合した田川さん。「オートクチュール・ビーズ刺しゅう」について「ヨーロッパでオートクチュールというものがある。そのデザイナーの人たちの思いを、刺しゅうで表現していくお仕事。色々なテクニック、材料を使って、デザイナーの人たちの思いを形にしていく刺しゅうです」と説明した。

 徹子さんが、NHK紅白歌合戦や「徹子の部屋コンサート」の衣装の相談をするうち、衣装管理も田川さんに依頼するようになった。徹子さんの大量の衣装を田川さんが整理していたところ「ニューヨーク留学時代の思い出の振袖写真」としてたびたびメディアに登場した写真の中で着ていた着物が発見された。

 「この着物がなかなか出てこなくて。3年ぐらい前に不思議なところから出てきたんです」と田川さんが明かすと、徹子さんは「チャップリンに会ったときも、いろいろなものに出たときも、全部これを着ていたんです」と振り返った。

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 学生時代は「勉強嫌い」だったという田川さん、学校ではおしゃべりで有名だったという。「(おしゃべりをしていたため)小学校から高校まで必ず席替えになると、一番前にさせられていたんです」と明かした。

 明治大学法学部卒業後、アパレルメーカーに就職した。「自分は洋服の仕事を一生やるだろうな」とその後、サラリーマンをやめて専門学校へ。「生まれて初めて勉強したいと思ったんです。先生の言うことが耳に入ってきて、ノートなんて取ったことがなかったのに、取り始めて。ああ、勉強ってこういうことなんだなって思いました」と述べた。

 ビーズの世界に入ったきっかけは「この刺繍を見たときにすごいなと思って。日本ではあまり見たことがなくて。この刺繍を日本の皆さんに紹介したいという思いから、この仕事をスタートしたんです」と語っていた。

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