乙葉しおりの朗読倶楽部:第26回 新美南吉「手袋を買いに」 心のつぶやきを反映?

「手ぶくろを買いに(日本の童話名作選)」新美南吉著、黒井健イラスト(偕成社)の表紙(左)と乙葉しおりさん
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「手ぶくろを買いに(日本の童話名作選)」新美南吉著、黒井健イラスト(偕成社)の表紙(左)と乙葉しおりさん

 美少女キャラクターが名作を朗読してくれるiPhoneアプリ「朗読少女」。これまでに50万ダウンロードを突破する人気アプリとなっている。「朗読少女」で、本の朗読をしてくれるキャラクター、乙葉しおりさんが「朗読倶楽部」の活動報告と名作を紹介する「乙葉しおりの朗読倶楽部」。第26回は、新美南吉の「手袋を買いに」だ。

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 みなさんこんにちは、乙葉しおりです。

 皆さん、6月19日は何の日かご存じですか?

 実は、「朗(6)読(19)の日」なんです、読んで字のごとし、ですね(*^^*)

 NPO日本朗読文化協会によって02年から実施されている記念日で、この日は毎年朗読大会が開かれているんですよ。

 そして、この日は青森県五所川原市で「太宰治生誕祭」の行われる日であり、同時に東京都三鷹市では「桜桃忌(おうとうき)」の行われる日でもあります。

 「桜桃」は晩年の短編作品の名前から、「忌」は忌日(きにち)、すなわち没年月日のこと。

 太宰治こと津島修治(つしま・しゅうじ)さんが生まれたのは今から100年以上前の1909年、亡くなられたのは戸籍の記載では1948年6月14日とされていますが、入水(じゅすい)自殺後、発見されたのが19日で、くしくも誕生日と同じ日だったことになります。

 作品だけでなく作者の人物像も注目され、後年多くの俳優さんたちが太宰治を演じ、映像化されました。

 これまでに「走れメロス」と「人間失格」をご紹介しましたが、いずれの作品も太宰治さん自身が体験したエピソードをきっかけに誕生したといいますから、作者自身が注目されるのも当然のことなのかもしれません。

 ではここで、朗読倶楽部のお話です。

 前回に続きクラブでの練習について、今回は「朗読セルフチェック」のお話です。

 自分がうまく朗読できているかどうか、その確認は他の人にチェックしてもらうのが一番ですよね。

 言葉に詰まってしまった場合は聞いている人だけでなく、自分でもはっきり「ミスをした」と分かりますが、発音などの間違いはしゃべっている時には気づきにくいものです。

 これは、ある録音スタジオの方にうかがったことなんですが、声のお仕事をしている方でも、発音間違いは起こるそうで、一度間違った発音に慣れてしまうと、指摘されても同じ間違いを繰り返してしまうことがよくあるとか。

 プロの人でもそうなんですから、私なんかは言うに及ばずという感じで……。言葉の細かい発音違いなどは、自分の声を自分で聞いて発音の違和感を実感しないと、なかなか直りません。

 そこで携帯音楽プレーヤーを使って、自分の朗読を録音して後から聞くようにするんです。

 朗読しているときはちゃんとしゃべったつもりでも、録音したデータはウソをつきません。

 自分の朗読を聞くのはなんだか恥ずかしい気持ちになったりもしますけど、文章を推敲(すいこう)するように、朗読にも「推敲」が必要なんだって思い知らされます。

 ……初めてこの練習法を実践したときなんて、あまりにひどくて「推敲」どころか「全書き直し」状態でしたから(>_<)

 そんなわけで「自分の発音チェック」お勧めですよ(^−^)

 ……と、いうところで、今回はここまでです。

 次回もまた、よろしくお願いしますね(*^^*)

■しおりの本の小道 新美南吉「手袋を買いに」

 こんにちは、今回ご紹介する一冊は、新美南吉さんの「手袋を買いに」です。

 このお話は、新美南吉さんの生前に計画され、亡くなられた半年後に出版された童話集「牛をつないだ椿の木」(1943年)で発表されました。

 初めて雪を見た子ぎつねが外を元気に走り回った後、「お手々が冷たい」と、母さんぎつねのところに帰ってきました。

 母さんぎつねは、子ぎつねの手が霜焼けになってしまっては可哀そうだと、人間の町へ行き、手袋を買ってあげることにしました。

 人目につかないよう、夜を待って町に出かけたきつねの親子でしたが、いざ町の灯が見えたところで、以前ひどい目にあったことを思い出した母さんぎつねの足が前に進まなくなってしまいます。

 母さんぎつねは仕方なく、子ぎつねだけで町へ行かせることにしました。

 きつねと分からないように、子ぎつねの片手を人間の子供の手にした母さんぎつねは、「人間の手」でお金を払って手袋を買うように子ぎつねに言い聞かせます。

 子ぎつねは町の灯を頼りに、初めて見る人間の町にお買い物に出かけるのですが……。

 このお話は原稿の最後の「一九三三・一二・二六よる。」という記述から、二十歳の時に執筆されたと言われています。

 実はこの年の春、北原白秋さんと児童文芸誌「赤い鳥」編集長の鈴木三重吉さんが絶縁した影響で、白秋門下生だった新美南吉さんも、同誌に新作を発表できなくなってしまいました。

 新しい発表の場を求めて、同じ白秋門下生の人たちと新雑誌創刊の準備をしたものの、北原白秋さんに止められて断念します。

 この日付が、1933年12月24日……作品完成のわずか2日前のことだったそうです。

 お話の最後の母さんぎつねのせりふ、「ほんとうに人間はいいものかしら。ほんとうに人間はいいものかしら」は、人間不信を感じていた新美南吉さんの、心のつぶやきが反映されたものだったのかもしれませんね……。

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